第17話 明かされる物語

「本当なのか、バルスレイ将軍」

「……えぇ。私も薄々は感じておりましたが……彼自身がそのように申している以上、間違いないかと」


 夜が明け、街が平穏を取り戻した後。

 王の寝室にて、二人の人物が神妙な面持ちで言葉を交わしていた。

 この国を統べる国王も。その監視を務める帝国将軍バルスレイも。深刻な表情を浮かべ、今の事態を憂いている。


 野党達を狂わせた「恐怖」の実態は、六年前の戦争で王国を追い詰めた「勇者の剣」の力によるもの。

 かつての持ち主がそう証言したことが、その説に説得力を与えていた。


「牢に閉じ込めた賊共は、今もなお恐怖に囚われ続けています。あの症状は……私にも、見覚えがありますな」

「そう、か……。しかし、どういうことなのだ。『勇者の剣』とは本来、勇者にしか扱えぬ代物ではなかったのか……? それに……」


 そして――「その説に説得力があること」が、国王をさらに思い悩ませている。


 今、病床に伏している彼の手元には、帝国の皇帝から届けられた書状が握られていた。

 その文面には、出稽古に赴いていたヴィクトリアが、授与された「勇者の剣」と共に行方をくらましたことが告げられていたのである。


「なぜ、あのヴィクトリアが……」


 彼女が謁見室で剣を抜き、瞬く間に姿を消す。そのような大事件が起きていたことに、国王の心はさらに苛まれていた。それが事実ならば、野党達を狂わせたのは彼女が振るった剣によるもの、ということになる。

 王国を代表する騎士が、民を苦しめる遠因となっていた――などとは、考えたくない。何より、彼女は父のような清廉潔白な騎士であり、決してそのような振る舞いをするような人間ではない。だが、否定するにはあまりにも条件が揃いすぎている。

 本来ならばとうに帰国しているはずのヴィクトリアが未だに帰らないままでいることも、国王の焦りを募らせていた。


 書状には、帝国側は民衆を混乱させないために事件を隠蔽し、「ヴィクトリアは『勇者の剣』を無事に受け取り、王国へ帰って行った」――と帝都に報じていることが書かれていた。

 今の平和な日々は、嵐の前の静けさだとでもいうのか。……国王はその報せを受け、そう感じている。


「……そのはず、ですが私には何とも……。当代の勇者である彼なら、何かわかるかも知れませんが……」

「そうだな……して、彼は何処へ?」

「先程、街までパトロールに向かったようです」

「パトロールだと? 今まで住民への刺激を避けるために、王宮から出ることを避けていた彼が……?」


 当代の勇者――ダタッツが、パトロールに出ている。

 今まで自分に怯える人々を案じて、王宮の外へ出ることを避けてきた彼が、騎士としての職務で街に繰り出しているという事実。それが意味する事態の重さが、国王の心にさらなる重圧を与えるのだった。


「国王陛下。事の全貌は未だ見えぬままでありますが……良からぬ事態に備えておく必要はありましょう。当分は、私の部下達も王宮の警備に加えさせて頂きたい」

「うむ……そうだな。我が王国の勇猛なる騎士達を先の戦争で失った今、萎縮した騎士団を支えられる存在は限られておる。ダイアンにいつまでも頼るわけには行かぬし、ロークは勇敢ではあるものの、今の騎士団を牽引するには些か力不足だ。歯痒い限りだが、終戦協定が結ばれている今、貴殿ら帝国騎士以外に頼れる当てはない。――頼めるか、バルスレイ殿」

「――お任せください。力ある者の責務として、御身は我々が身命を賭してお守りします」


 苦悩の果てに国王が出した答えに、バルスレイは表情を変えぬまま深く頷く。

 かつて自分達から幸せを奪い去った仇に、頭を下げて救いを求めねばならない。その苦痛は、察するに余りある。

 その痛みを汲むバルスレイに出来ることは、これ以上の被害を回避するための体制を築くこと以外にない。寝室の門前で警備している騎士達にも、練兵場で訓練に励む新兵達にも、迫ろうとしている危難を打ち払う力はないのだから。


(『勇者の剣』は人智を超越した神器。その威力が万一、牙を抜かれたこの王国に向かおうものなら……この地は、瞬く間に血の海となろう)


 銀髪の老将は、城下町の方角へと視線を移す。その向こうに、希望の光を求めて。


(ダタッツよ。人類が、あの剣が纏う『力』に立ち向かわねばならぬとしたら……それができるのは、現世の勇者であるお前だけなのかも知れんな……)


 ――そして、その頃。


 城下町に広がる、石畳の街道に――とある騎士が佇んでいた。

 野党に破壊された建物の修繕のため、資材を担いで道を行き交うを人々を見つめる、黒い瞳は――白いフードにその輝きを隠し、痛ましい光景を真摯に見据えている。


「ちょっと……あそこに居るの、騎士団の人じゃないの?」

「野党共が来た時は何もしなかったクセに、よく今になってのこのこと……」

「姫様やローク君以外、まともに戦いもしなかったって話だぜ、あいつら。バルスレイ将軍達がいなかったら、街は火の海だったって話だ」

「全く、情けない……戦争で死んだ先人達に申し訳ないって考えはないのかね。早いところ、ヴィクトリア様に叩き直されてくれねぇかな……」


 騎士団に支給される白いマントとフードにより、己の姿を覆い隠している彼は、町民達の冷たい視線や陰口を浴びせられても、一歩もそこから動く気配を見せない。


(古の時代、魔王を打ち倒した「勇者の剣」。それは即ち、人類を超越した魔物を打ち払う、さらに強大な超常の力……)


 ダイアン姫に花を捧げていた少女の、軽蔑するような視線を受けても――


(それを振り下ろす先を失った今、「勇者の剣」はもはや……暴発を待つ災厄の存在でしかない。その兆候が、この光景なんだ……)


 ――無言を貫き通し、破壊された町の姿を、ひたすらその眼に刻み続けている。


「そういや、帝国勇者も戦ったのかな……。噂じゃ、姫様達と一緒に野党達をとっちめたらしいけど」

「まさか! どうせ騎士団みたいに途中で逃げたか、参加すらしなかったに決まってらァ。王国人を大勢殺したあいつが王国を守るために戦ってたなんて、俺ァ信じらんないね」

「よせよ、ルーケンの店の前でそんなこと……」


 帝国勇者を噂する人々の言葉は、ある人物の名前が出たところで打ち切られた。その名の持ち主――廃墟の前で黙々と復興作業を続ける男性は、無言のまま眉を顰めている。

 その隣で彼を手伝う、そばかすの少女も、町民達の言葉を受け、表情を曇らせていた。彼女の両手に在る、焼け焦げた料亭の看板が、戦いの痛ましさを物語っている。


 帝国勇者が旅人を装い、ルーケン達を騙して料亭で働いていた、という話は有名だ。

 かつて彼の味方をしていた常連客達は、口々に彼を罵り続けていたが、それが少女にそのことを思い出させてしまうことに繋がると気づき、口を塞ぐ。


(挫けてなんか、いられないよね。天国のお兄ちゃんにも……みんなを守ってくれたダタッツさんにも、笑われちゃう)


 しかし。

 その少女――ハンナは、それでも逆境に負けまいと、気丈な面持ちで空を見上げ……白装束の騎士に微笑みかけるのだった。

 私達は大丈夫だから、心配しないでください――と、勇気付けるかのように。


 それを見た人々は、これ以上の陰口を続けることの無意味さを悟らされたのか。気まずい表情を浮かべ、蜘蛛の子を散らすようにこの場から離れていく。

 やがて騎士の方もハンナの想いを汲んでか、何も語らぬまま踵を返して立ち去るのだった。


(ハンナさん……やっぱり、強いんだな。君は)


 そして――路地裏でフードを脱ぎ去った、黒髪の騎士は。

 彼女の強さに惹かれるように、一度だけ振り返ると……そのまま王宮へと歩みを進めていこうとする。


「こんなところにいらっしゃいましたか。――探しましたよ」


 すると。路地裏の入口に差し込む光を背に浴び、一人の姫騎士が姿を現す。その登場に、黒髪の騎士――ダタッツは一瞬だけ驚くように目を見開き、ため息をついた。


「その様子だと、腕はもう大丈夫のようですね」

「ダイアン姫。今はいつまた戦いが始まるかわからない状況なのです、迂闊に出歩いてはいけません。ババルオの雑兵とはわけが違うのですよ」

「『勇者の剣』の力……ですか。確かにその通りでしょうね。けれど――」


 そうして、彼女がここに居ることを無謀と見なそうとするダタッツ。

 しかし。そんな彼と視線を交わす、ダイアン姫の眼差しは――


「――あなたでも解決出来ない程の事件であったならば……安全な場所など、どこにもないでしょう? 王宮から頑なに出てこなかったあなたが、ハンナさんの無事を確かめるためだけに、わざわざパトロールと言い張って外に出る程の事件……となれば」

「……!」

「わからないとでも? ……わたくしは、何から何までまであなたに縋るほど、弱い姫騎士でいるつもりはありませんわ」


 ――アンジャルノンと戦っていた時とは、比にならない鋭さを湛えていた。

 「お遊び」としてババルオに用意された相手とは違う、死と隣り合わせの戦いを経験したことが、いつしか彼女に剣士としての変化を齎していたのだ。


 そんな彼女の面持ちを前に、ダタッツは悟る。彼女はもはや、守られるだけの姫君には戻れないのだと。


「……さぁ、用が済んだのなら城に戻りましょう。あなたには、聞かなくてはならないことがあります」

「――わかりました。ただ……」

「ただ?」

「……もう一人。それを聞かせなくてはならない人がいるのです。もはや、隠し通せないところにまで来てしまいましたから」


 訝しむ彼女に対し、ダタッツはそう答えると、視線を王宮の方角へと向ける。

 ――正しくは、その中にある練兵場へと。


「……」


 そんな彼の背を――その右腕を、ダイアン姫は静かに見つめている。

 あの時も、アンジャルノンとの戦いの時も。彼女はダタッツに回復魔法を施そうとはしなかった。

 恐れているからだ。一度でも彼を癒してしまえば、一度でも彼に心を開いてしまえば……自分はすぐに、骨抜きにされてしまうと。それほどまでに、彼に惹かれてしまっている事実を、認めてしまうのだと。


(認めない……認める、ものですか……)


 桜色の唇を噛み締め、拳を握り――姫騎士は、彼の背を睨み続けていた。

 ――その後。


「……なんだよ、オレを笑いに来たのかよ」


 騎士団が訓練に励む中。練兵場の片隅て、両手に水浴び用の桶を抱え、反省の意として立たされている少女騎士が一人。

 拗ねたような表情で、パトロールから帰って来たダタッツを見上げていた。


「違う。……君も聞いていただろう? 昨日、国王陛下の寝室でジブンが話そうとしていたこと」

「……!」

「あれを、寝室で改めて話そうと思う。君にも、一緒に来て欲しいんだ。今度はちゃんと正門から入って、ね」

「……別にいらねぇよ、そんな気遣い。そんなことより……!」

「ん?」

「あ、い、いや、なんでもねぇ」


 少女騎士――ロークの本音としては、その誘いには飛びつきたくてたまらなかった。

 傷付いても味方がいなくても、この国の人々のために奮闘できる彼が、なぜ帝国勇者として自分達に牙を剥いたのか。それを知ることができる、絶好の機会だったからだ。

 しかし。それ以上に彼女は――城下町の火災を食い止めるため、片腕を痛めていたダタッツの体調が気掛かりだったのだ。


 規律を乱したことにより、反省させられていることへの気まずさ。目の前の男への想いを知られたくない、という恥ずかしさ。

 それらの気持ちが絡み合い、ロークは腕への気遣いを言葉に出せず、俯いてしまう。


 そんな彼女の胸中を察してか――ダタッツはフッと微笑むと、彼女の両手に提げられた桶を優しく取り上げた。


「あっ……!」

「ダイアン姫から許可は降りてる。謝らなきゃいけないって思うなら、ジブンも一緒に謝るよ」

「で、でも!」

「腕なら平気。ありがとう、気遣ってくれて」

「……!」

「さ、行こう? ダイアン姫も待ってる」


 その笑みに、ロークは翻弄されるように頬を染め――意地を張る余裕もないまま、彼に手を引かれ、寝室へと向かっていく。

 まるで、エスコートされる淑女のように……。


 ――そして。


 王族の寝室に集まった五人の男女。

 ダタッツ。ダイアン姫。ローク。バルスレイ。国王。

 一堂に会する彼らの中で、初めに口を開いたのは――


「さて……ダタッツよ。そろそろ、思い当たることを話して貰いたい」


 ――真紅の鎧に己を固める、老練の武人。バルスレイだった。

 長きに渡る戦いの人生により培われた眼光が、国王の前に跪くダタッツへと向けられる。


 その眼差しを浴びるダタッツは、自分の隣で案じるようにこちらを見つめるロークの視線を他所に、真摯な表情で顔を上げる。

 話すべきことを纏めた人間が、見せる貌だった。


「ヴィクトリア様が、『勇者の剣』を使える理由……。それは恐らく――」


 そして、彼は静かに。


「――彼女が先代勇者の血を引いているから、であるかと」


 この場に居る人間全員に、衝撃を叩き込むのだった。


「先代勇者!? それは誠なのか、ダタッツ殿!」

「つまり、ヴィクトリアは――アイラックスは、勇者の末裔だったと!?」

「本当なのですか、ダタッツ様!」

「ヴィクトリア、様が……!?」


 どよめく四人に対し、ダタッツはあくまで冷静な面持ちで話を続ける。彼らが驚く様子も、全て予測していたかのように。


「『勇者の剣』は勇者にしか扱えない。その力が遺伝するものであったとしたら……ヴィクトリア様が使えることにも、説明が付きましょう」

「……確かに、アイラックスもヴィクトリアも、滅多にいない黒曜石のような黒髪の持ち主。お前と同じ、異世界から来た勇者を先祖に持っている、という説は確かにあり得るかも知れん……」


 この世界に伝わる伝承では、勇者は魔王を倒した後、旅に出て行方を眩ましたと言われている。その後、戦友の僧侶が統治する王国に子孫を残していた――とするならば、この仮説にも可能性が生まれてくるだろう。

 アイラックスが健在だった頃から、その強さ故に「彼が勇者の末裔ではないか」いう説は密かに囁かれていた。だが、それには確証に至る根拠などなく、あくまで噂の域を出ないものだったのだ。

 その噂が今、当代勇者のダタッツによって証言されたことで――突如、真実味を帯びたのである。


「しかし……。アイラックスやヴィクトリアが勇者の血を引いていたとして……なぜ、彼女は『勇者の剣』を持って行方を眩ましたのだ……。しかも野党共を狂わせ、城下町に被害を齎すなど……」

「お父様! ヴィクトリアは、そんなことをする人間ではありません!」

「『勇者の剣』の力に、彼女が操られているとするならば……今のヴィクトリア様は、危険な状態かも知れません」

「操られて……いるだと? 『勇者の剣』とは、そんな禍々しい力を宿した剣だったというのか?」


 ダタッツの言葉に、バルスレイは眉を顰める。彼と共に戦場を駆け抜けてきた自分にさえ、気付かなかった闇があったというのか――と。


「……ジブンが、帝国勇者として生きていた頃の話にも繋がることです。――全てを、お話しましょう」


 そして――こちらを見遣るロークを一瞥し、ダタッツは穏やかな口調で……ダイアン姫の、食い入るような視線を浴びながら。


 己の過去を語る。


 ――それは。

 異世界の少年、「ダタッツ」こと――「伊達竜正だてたつまさ」の追憶であった。

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