第16話 勇者の剣

 月夜に照らされた城下町。

 本来ならば静けさに包まれているはずの、その空間は今――突如始まった野党達の襲来により、混沌の渦へと巻き込まれていた。

 飛び交う怒号と悲鳴。剣と剣が交わる轟音。幾重にも響き渡る叫びと衝撃音は、一向に絶える気配を見せない。


 逃げ惑う人々を守るように、剣を取り賊に立ち向かう一角の騎士団。彼らは帝国兵への恐れを払拭するかの如く、勇ましい雄叫びを上げて野党達に挑んでいた。

 ――が。


「こいつら……よ、様子がおかしい! しょ、正気じゃないっ!?」

「斬られても怯まないなんて、気でも狂ってるのかよ!?」


 盾で殴ろうと剣で斬ろうと、怯むことなく憑かれたように戦いを続ける野党達の――狂気の瞳に、呑まれつつあった。


「ウ、ガ、ァァアアッ!」

「グウ、ァァアッ!」


 戦意ではない。むしろ、恐怖。

 「何か」を恐れるあまり、狂気の渦へ堕ちた野獣達は、本能の赴くままに剣を振るう。

 その「何か」に比べれば、騎士団の剣など気にもならないのだろう。それほどの恐怖が、男達を支配しているのだ。


 悲鳴にも似た男達のけたたましい叫びは、獣の咆哮の如く夜空に響き渡り、騎士団の気勢を圧倒していた。


「どうなってるんだよこいつらは! なんでこんなに……!」

「とにかく下がれ! 退却して体勢を立て直せ!」


 もし騎士団の気力が勝っていたならば、自分達の敗走が住民達の危機に直結するということを忘れることはなかっただろう。

 退却している間に、どれほどの被害が齎されるのか――その重さを見失った彼らは、精神に異常を来たした野党達に背を向け、次々に戦線を離脱していく。


「あ、あ……!」


 救うべき人々を、見捨てて。


 ――野党達の暴走により、炎上する料亭。そこから足を引きずるように地を這い、逃げようともがく少女が一人。

 退却していく騎士団の背に、手を伸ばしていた。


 しかし、彼らがそのが細い手に気づくことはなく、彼女の目に映る騎士団の姿は徐々に小さくなって行く。

 そして――ついにその影が見えなくなる瞬間。


「ウギ、アァガアァッ!」

「ひっ……!」


 彼女の視界を、狂人の姿が埋め尽くす。

 振り上げられた斧と血走った眼の色は、少女の心に絶望を齎し、その顔から血の気を失わせる。

 逃げる術もない。守ってくれる人間もいない。もはや少女には、死という末路しか残されていない。


 誰もが、そう信じて疑わない――そんな光景が、彼女の前に広がっている。


「逃げろハンナぁあぁあ!」


 その横から、壮年の男性が角材を振るって野党に挑み掛かるが、効果など望めるはずもなく――敢え無く、野党の肘鉄に沈められてしまうのだった。


「ごがぁっ……!」

「ルーケン、さんっ……!」


 鼻から血を噴き出し、膝から崩れ落ちて行く男性。その痛ましい姿に、少女は唸るように、声にならない悲鳴を上げる。

 ――そして。邪魔者はいなくなった、と言わんばかりに。


 野党の凶刃が、再び少女へと向けられる。


 もはや、少女に残された道は、祈ることしかなかった。


(助けて……誰か! 姫様、ローク君っ……!)


 彼女は心の奥底から、絞り出すように名を叫ぶ。例え、その声が届かないとわかっていても――彼女には、そうすることしか出来ないのだ。


(……ダタッツ、さんっ!)


 その名を呼び――


「帝国式投剣術、飛剣風ッ!」


 ――男の叫びが、轟くまでは。


「……え……」


 どこからともなく聞こえてくる、少女にとっては聞き覚えのある、若者の声。

 それが彼女の耳に入る瞬間。


 夜空から矢の如き速さで降り注いだ一振りの剣が――野党の脚を、串刺しにしてしまう。


「……ウグアアァアッ!」


 野党は唸り声を上げながら崩れ落ち、のたうちまわっていた。

 どれほど精神が肉体を凌駕しようとも、脚の筋肉を断たれれば人は立てなくなる。物理による強制力が、野党をねじ伏せたのだ。


 肘鉄に沈められた男性も。その一閃を目の当たりにした少女も。その光景を目撃し、目を見開く。


 そして、次の瞬間。


 彼女達の前に、声の主が降り立ち――赤いマフラーを靡かせた。

 正規の騎士のものより、一回り短い兜の角。そんな、少しだけ頼りないシンボルとは裏腹に……黒い瞳は眩いばかりの凛々しさを放ち、残る野党達を見据えている。


「ダタッツさん……!」


 その姿を見つめ――少しだけ、安堵するように。少女は、彼の名を呟くのだった。


「……」


 だが、彼と視線が交わる瞬間。その表情は陰りを帯び、彼の眼差しを避けるように伏せてしまった。

 そんな彼女を見遣るダタッツも、顔色に憂いを滲ませている。


 彼らを隔てる溝は、今も深いままなのだ。

 ダタッツを睨む男性――ルーケンの瞳が、それを物語っている。


「おいこら帝国勇者ぁぁ! てめぇ無茶苦茶しやがってぇぇえっ!」


 すると、その静寂を突き破るかのように――少女騎士の叫びがこだまする。

 その声の主は、憤怒の形相で街角から顔を出すと、ダタッツ目掛けて突進を敢行した。それをひょいとかわし、ダタッツは険しい表情のまま周囲を見渡す。既に彼らは、狂乱の男達に取り囲まれていたのだ。


 民家の屋根。路地の影。あらゆる場所から、妖しい瞳がぎらついている。そこから迸る殺気を感じ取ると、ロークも狙いをダタッツから野党達へ切り替えた。

 ――闘いの気配は、否応なしに少女を戦士に変えてしまうのだ。


 刹那。


「グガァアァアッ!」


 雪崩の如く、野党達が踊り掛かる。理性など欠片も持たぬ、猛獣として。


「だぁああっ!」

「……ッ!」


 そして、相手が猛獣であるならば。理性を保持する人間として、騎士として、毅然と立ち向かわねばならない。

 その矜恃を胸に、ロークは短剣を振りかざして野党達に向かっていく。ダタッツも彼女を援護するべく、その後ろに続いて行った。


 野党達の一人は、本能で敵の接近を感じ取ると、薙ぎ払うように斧を水平に振るう。


(相手の動きを、よく見る……!)


 その動作を、あくまで冷静に見据えて――小さな騎士は垂直に跳び上がり、一閃をかわす。彼女の立ち回りには、憎むべき敵から学んだ教訓が活きていた。


「だぁああぁあぁあッ!」


 そして、ジャンプによる勢いを利用した縦一文字の斬撃が、野党の脳天に直撃する。錆びた鉄兜は敢え無く砕け散り、野党は仰向けに昏倒するのだった。


 しかし、その勝利に酔いしれる暇などない。すでに彼女の真横から、別の男が槍を突き出していたのだ。


「飛剣風ッ!」


 だが、それよりも疾く。

 ダタッツの鉄の剣が矢と化し、槍を粉砕してしまうのだった。


「今だ、ローク君! あとは脚を斬れ、ば……!?」


 そして壁に突き刺さった剣を引き抜くと、敵を無力化するための手段を進言するのだが。


「――はぁあぁああッ!」


 それを実践したのは、少女騎士ではなく――


「姫様ッ!?」

「……ローク。後で水浴び用の桶を持って練兵場に立ってなさい」


 ――深緑の軽鎧を纏い、優雅に舞う姫騎士だった。


「ダイアン姫……!? まさか、あのロープで!? なんて無茶を……」

「その無茶を通したあなたにだけは、言われたくありませんわ」


 厳しい表情でダタッツを睨むダイアン姫は、王家の剣の刀身に纏わり付く血糊を払うと、視線を敵方へ移す。

 その額からは、野党達の狂気を前にしてか――大粒の汗が滴っていた。


「なんなのでしょう、この得体の知れない狂気は……。略奪を目論む人間の眼ではありません。むしろ、何かを恐れているかのような……」

「……何かを、恐れて……」


 ババルオが去り、バルスレイ将軍の監視により治安が改善された城下町に攻め入るなど、本来ならば無謀の極み。

 その上、彼らの瞳からは正気も失われている。悍ましい存在から、恥も外聞も捨てて逃れようとするかのような――「恐怖」から。


 その、彼らを包み込む「恐怖」は……帝国勇者として戦い抜いて来たダタッツさえ凌ぐのか。彼の強さを目の当たりにしても、野党達は戦いを止めようとはしなかった。


「ジブンの技を前にしても、一歩も退く気配がない……。つまり、それ以上の恐怖が彼らの精神を汚染している、ということなのか」

「ダタッツ様以上、ですって……!?」

「な、なんなんだよそれ……!」


 野党達を支配している狂気。その実態を見据えようとするダタッツの言葉に、ダイアン姫とロークは表情を強張らせる。帝国勇者を超える恐怖などあり得るのか、と。


「それよりまず、あの火災を何とかしないと……。放っておいたら、他の民家に燃え移る一方だ」

「そ、そんなこと言ったって、どうすりゃいいんだよ! 他の正規団員は逃げちまったし……!」


 野党達の襲撃により、火災に包まれている料亭。その火の手は、周辺の民家にも及ぼうとしていた。

 このままでは、被害はさらに拡大してしまう。近くに住む住民の多くはすでに避難しているが、やがてはその避難先に飛び火する可能性もあるだろう。

 だが、消火活動を始めるには人手がいる。騎士団が逃げ出した上、野党達との戦闘も続いている現状では、消火に注力できるはずもない。


「どうすれば……くッ……!」

「――やむを得ません。ダイアン姫、バルスレイ将軍が来るまでの間……頼みます。あの火だけでも、消さないと」

「えっ……ダ、ダタッツ様!?」


 それでも、なんとかしなくてはならない。


 自分達の店が燃えて行くばかりか、周りの町々さえ傷付けていく様を見せつけられ、苦悶の表情を浮かべる二人の民間人。

 そんな彼らを見遣るダタッツは、そう判断したのだろう。


 ダタッツは鉄の剣を構え、一気に燃え盛る料亭の前に駆けつける。


「帝国式投剣術――」


 そして、飛剣風の構えを取り――さらに、柄を握る腕を螺旋状に捻りながら。


「――螺剣風らけんぷうッ!」


 天に向かい、剣を打ち放つのだった。


 飛剣風のエネルギーに回転の力を加えられた刀身は、周囲に旋風を巻き起こし――土埃や破壊された家屋の破片を、空高く吹き上げて行く。


「きゃあああっ!」

「うわぁああっ!?」


 その風圧は、炎の威力さえ飲み込み――料亭を取り巻いていた火の手を、瞬く間に掻き消してしまうのだった。

 ……そう。ダイアン姫とロークの悲鳴が終わる頃には。全てが、終わっていたのである。


 螺剣風の威力により、火災ごと吹き飛ばされた料亭。それが在った場所だけが、台風の跡のような廃墟と化していた。

 その圧倒的な破壊力を前に、ダイアン姫とロークは驚愕するばかりだった。


「……な、なんてヤツだ……!」

「これが……帝国式投剣術の、真の威力……!?」


 旋風を巻き起こし、天へ旅立っていた剣が、地上へ墜落してくる頃。ダタッツは踵を返し、鞘を天に掲げていた。

 その鞘に、堕ち行く剣が収まり――乾いた金属音が響き渡る時。彼は、静かに歩み始める。


 ダタッツは振り返ることなく、ダイアン姫達の方へと進んでいった。鉄の剣を握っていた右腕を、庇うように左腕で抱えながら。

 憎めばいいのか、礼を言えばいいのか――そう思い悩む民間人達に、背を向けたまま。


「ダタッツ、様……」

「帝国勇者……」


 料亭を破壊したこと。火災の拡大を阻止したこと。その両方の事実が、彼を見つめる者達の心を惑わせている。

 それにダタッツの様子を見れば、今の技を放つために右腕を痛めたことも容易に窺い知れる。そんな彼を責め立てることに、彼女達は葛藤を覚えていた。


「ギアァアァアッ!」


 ――すると。

 その士気の乱れを、崩壊した理性の果てに残された本能で感じ取り――野党達が武器を掲げてなだれ込んで来る。

 ダイアン姫とロークは無数に煌めく狂乱の瞳を見据え、ダタッツを守るように各々の剣を握り締めた。


「帝国式投剣術ッ……飛剣風!」


 刹那。

 ダタッツとは異なる――古強者の声が、夜空に轟き。


 野党達の先頭に立つ男の膝が、突如砕け散り――片足を失った男が、うつ伏せに倒れて行く。

 さらにその男の足元に広がっていた石畳が弾け飛び、その破片が周囲の野党達を打ち抜いて行った。


 そして……その爆心地には。

 帝国騎士の剣が、深く突き立てられていた。


 大の男の鍛えられた脚を、紙切れのように切断し――それだけに留まらず、石畳まで破壊していく圧倒的な破壊力。

 その威力を生み出す、目にも留まらぬ疾さ。


 この二つが揃わねば、決して起こり得ない現象が今、この戦場に広がっている。


「これは……!?」


 驚嘆する姫騎士達は、声が轟いた方向へ振り返り――現象を起こした者の姿を視界に捉えるのだった。


「……遅くなったな」


 民家の屋上に立つ、赤い鎧を纏う銀髪の老騎士。

 彼の眼は、戦場に立つ古強者の色を湛え――残る野党達を射抜いていた。その視線はやがて、右腕を抑えたまま戦況を見守っているダタッツへと向かう。


「……螺剣風を使ったのだな。全く、相変わらず無茶をする」

「バルスレイさん……」

「飛剣風の派生技にして、最強の破壊力を誇る帝国式投剣術の奥義。――だが、刀身を回転させて貫通力を高めるために、腕を捻る動作が加わるため、関節に掛かる負担が非常に強く、自らの剣士生命を縮める諸刃の刃でもある。……それゆえに安易に多用してはならぬ、と教えたはずだがな」

「……」

「――それを知った上でも使わねばならぬ。そうお前は決意したのだろう? この街の人々のために」


 帝国式投剣術。すでに歴史の中で失われていた、その技を使いこなせる人間など、帝国勇者以外には存在するはずがないのだ。

 彼にその剣を伝えた、バルスレイ将軍を除いては。


「――ならば、あとは我々に任せておけ。王国騎士団と姫騎士様が時間を稼いでくれたおかげで、万全の準備で事に臨むことが出来たのだからな。さぁ、この街に手を出す愚者共に、然るべき鉄槌を下す時が来たぞ!」

「ハッ!」


 彼の背後に控える、深紅の甲冑に身を包む帝国騎士達。彼らは主の命に応じると――怒号を上げて野党達に襲い掛かって行った。

 僅かな時間を代償に、完全な武装で戦闘に臨んで行く彼らの気勢は、突発的な襲撃に乱された王国騎士団とは比べ物にならない気迫を放っている。


 さらに脚を斬れば無力化できるという情報を得ているためか、彼らの戦いには一切の迷いも試行錯誤もない。

 ただ為すべき任務を、全速力で遂行していくのみ。そう言わんばかりの素早さで、帝国騎士達は次々と野党達の脚を斬り裂いていった。


「つ、強い……」

「これが帝国の、騎士なんだ……!」


 ダイアン姫とロークは、その流れるような戦いぶりに目を奪われ、一歩も動けずにいた。ババルオの私兵達とは天と地ほどの差がある、バルスレイの部下達の剣技は、彼女達に「帝国騎士」の真の力を悟らせたのだ。


「……」


 一方。ダタッツは、彼らの剣技ではなく――圧倒され、鎮圧されていく野党達を注視していた。

 帝国勇者だった自分を凌ぐ恐怖。その実態を解明しようと、己の眼を光らせて。


(あの恐れ方……節々に見える切り傷……。まさか……いや、もはやそれ以外には……)


 そして――帝国騎士達により野党達が全員無力化され、地に倒れ伏した時。

 戦いの終わりを空気で感じ取ったダタッツは、剣を鞘に収めると……静かな足取りで倒れた野党達の内の一人に近づいていく。


「ダタッツ殿。まだ奴らは死んだわけではありませぬ、お下がりください」

「……心配ない。ジブンに任せてくれ」


 引き留めようとする騎士を片手で制し、ダタッツは倒れた野党の側で片膝をつく。

 足を失った痛みで、少しは正気に近づいたのか……野党は怯えるように身を震わせ、抵抗する気配を失っていた。


(……やはり、間違いない)


 野党達に起きた、精神異常。それは、ダタッツがよく知る現象だったのだ。

 怯えた野党を見つめる彼の眼に、もう戸惑いはない。彼にとっては、あり得るかも知れなかった可能性が、現実のものとなっただけなのだから。


「ダタッツ様、もしや何かわかったのですか?」

「……えぇ、わかりました。ジブンには、よくわかります」


 その言葉に、ダイアン姫とロークは目を見開き――帝国騎士達は互いに顔を見合わせる。バルスレイの表情も、より険しいものになっていた。


「ダタッツ。まさかとは思うが……」

「そのまさか、です。バルスレイさん」


 神妙な面持ちで、ダタッツはバルスレイと視線を交わし――その場に立ち上がる。


「この野党達を支配していた狂気。それは、『勇者の剣』によるものだ」


 そして。


 彼の瞳は、野党達の身体に残る傷跡を映していた。

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