第6話 小さな騎士ローク

「ほら、ダタッツさんモタモタしない!」

「ちょちょ、ちょっと待ってください!」

「ハッハハ、だらしないぞダタッツ君!」


 青き空が晴れ渡るこの日。店を休みにして町へ繰り出した三人は、親善試合が開かれるババルオ邸へ向かっていた。

 ダイアン姫の勇姿を観るべく、意気揚々と店を飛び出して行くハンナ。そんな彼女に手を引かれ、慌てて駆け出すダタッツ。その背を突き飛ばすように押し、豪快に笑うルーケン。三者三様の動きで店を後にする彼らを、道行く人々は微笑ましく見送っていた。


「……それにしてもダタッツさんの剣と盾、ホントにボロボロね。買い換えないの?」

「い、いやぁ。その日暮らしの毎日で、新調する余裕もなくて……」

「しょーがないんだから。じゃあ、試合が終わったらマシなモノに換えましょうよ。大分給料も溜まったでしょ」

「いえいえ、ジブンにはこれくらいで十分なんですよ」


 その道中。

 ハンナはダタッツの腰に提げられた銅の剣と木の盾を見遣り、ため息をついていた。買い換えを勧める彼女に対し、ダタッツ本人は苦笑いを浮かべて首を振る。


「……せっかくの男前なのに」

「ジブンにはもったいない台詞ですよ」

「き、聞こえてた!?」

「わりとはっきり」

「わ、忘れて! 今すぐ!」


 ダタッツの済ました対応に頬を赤らめ、ハンナは照れ隠しに拳を振り上げる。そこからポカポカと繰り出されるパンチを、ダタッツは穏やかに胸で受け止めていた。

 端から見れば、付き合い始めて間もない恋人同士にしか見えないやり取りである。そんな彼らを後ろから見つめながら、ルーケンは吹き出しそうになる笑いを懸命に堪えていた。


「……ん?」


 ふと、ダタッツが苦笑いを浮かべ、そんな彼へと視線を移した時。

 笑いを噛み殺していたルーケンの、さらに奥で――人通りに紛れて身を隠し、こちらを覗き込んでいる子供の姿が伺えた。


 年齢はおよそ十三、四歳。サファイアのように蒼く、短く切り揃えられた髪を持つその子供は、ブラウンの瞳でこちらを射抜くように見つめている。


(あの子は……)


 だが、それよりもダタッツの目を引く特徴があった。

 騎士団の正規団員の証である、青い制服。それを身に付けた小さな身体を守る、鉄製の甲冑。

 王国騎士団のものと同じ形状で造られた、その小柄な鎧は――本物と寸分違わぬ輝きを放っていたのである。普通の子供が持つような、おもちゃなどではない。

 帝国兵の兜と対を成すかのように額から伸びる、鉄兜の一角も……確かな力強さを示しているようだった。


「ダタッツさん? あ……」


 異質な存在に目を向けていたダタッツの目線を、ハンナが追う。そして、振り返って子供に気づいた彼女は、一瞬だけ憂いを帯びた表情を浮かべた。


「どうした?」


 だが、二人の反応を訝しむルーケンが振り向いた頃には、例の子供は既にその姿を消していた。

 何事だと首を傾げる彼を尻目に、ダタッツはハンナに問い掛ける。


「ハンナさん、あの子は……」

「……ローク君っていう、王国騎士団の見習いよ」

「騎士団の見習いって……。見たところ、十五歳にも満たないのに」

「お父さんが王国騎士団の団長でね。アイラックス将軍の片腕だったお父さんが亡くなった後、騎士団に引き取られたの。戦後に産まれてすぐに、お母さんも病気で失って、身寄りもなかったから……」

「そうだったのですか……」


 ロークという子供を語るハンナの顔色は暗い。苦境に立たされ続けてきた幼子への憂いが、その表情から滲み出ている。


「お兄ちゃんを殺して、アイラックス将軍を殺して、団長を殺してローク君を苦しめて……。帝国勇者は、一体何の為に皆を……」

「……」

「あっ……ご、ごめん。ダタッツさんにこんなこと言っても、しょうがないよね」

「……いえ、別に。それにしても、あのローク君――なぜこちらを見ていたのでしょうか」

「きっと、帝国兵に立ち向かったダタッツさんを一目見たかったんじゃないかな。ダタッツさん、結構町じゃ噂なのよ?」

「買い被りにもほどがありますよ。結局、勝負にすらならなかったんですから」

「強い弱いの話じゃないよ。勇気を出して戦ったことが凄いんだから。きっと、ローク君もそう思ってるんだよ。男の子って、そういうのが大好きだしね」


 自身の行動を讃えるハンナに対し、苦笑を浮かべるダタッツは――かつてロークが潜んでいた人通りの方を一瞥し、唇を噛み締めていた。


 亡き父の誇りだったはずの王国騎士団が萎縮している中で、恐れを知らずに帝国兵に抗った旅人に対し――騎士団長の忘れ形見は、何を思ったのか。

 それを知る術は、彼にはない。


(何の為に、か……)


 ただ、ロークという幼子に課せられた運命が残酷なものだったということだけは、確かだった。


 ――そして、昼下がりの時刻が近づく頃。

 ババルオ邸には姫君の勇姿を求める民衆が、群れを成して集まっていた。


 ダタッツはダイアン姫の名を叫ぶ町民達の勢いに圧倒され、息を飲む。その隣では、ハンナが得意げな笑みを浮かべていた。


「どう? ちょっと驚いたでしょ」

「……ホントにダイアン姫の活躍がメインになってるんですね。人気を考えたら当然なんでしょうけど……」

「ハハ、姫様が勝った時の熱狂ぶりはこんなもんじゃないぞ」


 近くに立っていても、ルーケンやハンナの声が霞んでしまうほどの歓声。その凄まじさを前に、ダタッツはたじろぐように周囲を見渡している。


「キャーッ! 姫様ぁーッ!」

「姫様ぁ〜!」

「王国万歳、姫様万歳!」


 中には、王国の国旗を振ってダイアン姫を讃える観客もいた。そんな彼らの眼前に――とうとう、その熱狂の源泉である張本人が現れた。


 新緑の軽鎧を纏う、一輪の華。

 風に靡く、ブロンドの髪。


 その姿を民衆が認める瞬間、観衆の興奮はさらに激しく、大きく膨れ上がる。


「ひ、ひめさまっ!」


 すると――溢れんばかりの、その熱狂の波に流されるように。

 町に住む幼い少女が、色とりどりの花々で造られた花飾りを持って姫騎士の前に現れた。どうやら、ダイアン姫の応援のために持参してきたらしい。


「あ、あの……これ……!」

「――ありがとう。あなたのためにも、必ず勝ってみせますわ」

「……はいっ!」


 たどたどしい彼女の様子に笑みを浮かべ――ダイアン姫はその花飾りを受け取り、鎧の中にしまい込む。この戦いで、傷物にしないために。

 一方、丹精込めて作った一作が王女の手に届いたことに、少女は弾けるように喜んでいる。……その笑顔は、姫騎士に戦場へ踏み込む勇気を与えるのだった。


「……はッ!」


 短く気勢を張り上げ、軽やかに跳び上がる姫君。

 彼女のしなやかな身体が、屋敷前に造られた闘技舞台の上に舞い降り――瞬く間に、王国の紋章が描かれた盾から、煌びやかな直剣が引き抜かれるのだった。


 その切っ先が太陽の光を浴び、煌煌と輝く。彼女の一挙一動に注目していた民衆は、その剣が纏う凛々しさに絶対の勝利を期待するのだった。


「ダイアン姫ぇーッ!」

「姫様ぁ〜ッ! いつも以上に凛々しいお姿ですぞ〜ッ!」


 ハンナとルーケンもその例に漏れず、無我夢中でダイアン姫にエールを送っている。ダイアン姫自身も、それに応えるように華やかな笑みを浮かべていた。


「……」


 ――だが。

 その中でただ一人、ダタッツだけは。


(彼女は強い。観衆の勢いもある。だけど……)


 場の流れに馴染まない、神妙な面持ちを浮かべていた。その眼差しは、ダイアン姫の表情へと向かっている。

 恐れと涙を覆い隠し、覚悟という石膏で全てを塗り固めた、彼女の表情へと。


 だが、彼女自身は気づいてはいない。自身の胸中に渦巻く感情が、観衆の一人に看破されていることに。


「おおぉ……! なんと気高く、凛々しいお姿! 何度拝見しても素晴らしい限りでありますなぁ!」

「……ババルオ様」


 闘技舞台を見下ろせるバルコニーから、姫騎士の勇姿を讃えるババルオ。頭上に立つ諸悪の根源に向け、ダイアン姫は警戒した視線を送る。


「此の度も是非、その麗しき剣技を拝見したいものです」

「相手がまだ来られていないようですが」

「……申し訳ありません。少々、準備に時間の掛かる男でして。しかし、そろそろそれも終わる頃でしょう」


 だが、ババルオにそれを気にしている様子はない。ニヤニヤと厭らしい笑みを浮かべつつ、恭しく頭を下げるのみだった。


 その様子と物言いを訝しむダイアン姫は、不穏な空気を肌で感じ取り、眉を顰める。

 だが、いくら思案したところで、今すぐ答えが出るわけではない。気にしたところで、仕方ないのか――彼女が、そう判断しかけた時。


「……ッ!?」


 彼女の視界が、一瞬だけ揺らぐ。

 ほんの僅か。意識して気付けるか気付けないか。その程度の小さな揺れを、彼女は敏感に感じていた。


(――い、ま、のは)


 揺れていたのは――地面。正しくは、闘技舞台。

 それが意味するものを頭で考えるより速く、彼女は後ろを振り返り……刹那。


「――っ!?」

「さすがはダイアン姫。優れた感性をお持ちのようだ」


 先程とは比にならない振動に、彼女の警戒心が最高潮に緊張する。

 その地響きの震源――人間のものとは思えぬほどに大きな足が、闘技舞台の床に踏み込まれる瞬間。足元を通してダイアン姫の全身に、さらに強烈な衝撃が突き刺さるのだった。


 その振動を浴びた彼女が、その巨大な足から上を見上げた先には――全身を赤い鎧に包み込み、人間の身長並みの直径を持つ鉄球で武装した、色黒の大男が立ちはだかっていた。

 この男。常にババルオに付き従っていたこの男を、ダイアン姫は知っている。自分を邪な眼差しで見下ろしている、この男を。


「アンジャルノン、殿……」

「私を覚えて下さったとは、光栄の極みでございますな姫様。その栄誉に応えるべく、私も全身全霊を込めて参りましょう」


 帝国軍人アンジャルノン。

 六年前の戦争にも参加していたという剛の者。ババルオに仕える、帝国兵達の実質的なリーダー。過去に多くの略奪を繰り返し、女を喰い物にしていたという噂がある好色漢。

 その程度の情報しか把握していないダイアン姫でも、明確に理解していることがある。


 ――今まで戦ってきた相手とは、比べものにならない強さであること。

 そして、この戦いに負けた時。自分が、女として大切なものの全てを、奪われることを。


「……いいでしょう。望むところです」

「なんと健気で、美しく勇敢な方だ。私の部下共にも見習わせたいものですな」


 それでも、立ち向かわねばならない。精一杯の虚勢を張って。

 せめて、民に涙を見せないように。


 その決意が、柄を握る手に注がれ――ダイアン姫が持つ王家の剣が、太陽を浴びてまばゆい煌めきを放つ。

 彼女が戦闘態勢に入るまでを見届けたアンジャルノンは、それに続くように鉄球を構える。


 素人目にもわかる。今までとは格が違う戦い。その幕が上がる瞬間を前に、観衆は固唾を飲んで静まり返っていた。


「ル、ルーケンさん。ダイアン姫、大丈夫なのかな……」

「バカ言うんじゃねぇよ! 姫様を信じろ、いつもみたいにキメてくれるって……!」


 ハンナを叱咤するルーケンの肩は、微かに震えている。彼らも何処と無く不安げな表情で、闘技舞台に立つ姫騎士を見つめていた。

 他の人々も一様にダイアン姫を案じ、静かに試合を見守っている。しかし、その中で――


(アンジャルノン、か……)


 ――ダタッツだけは、ダイアン姫ではなく……彼女と相対するアンジャルノンを見つめていた。


(まさか、ここで会うことになるなんてな)

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