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 悠岐飄護ゆうきひょうごは、現場付近に車を止め、主に集合住宅を中心に見回りをしていた。

 監視カメラに映っていた人影は、何となくそのぎこちなさから、大人ではないと推測していた。ただ、探しているのは白く見えた髪の持ち主の方ではない。そいつに引きずられていたもう一人の方だ。

 明け方にあんな昏睡状態こんすいじょうたいで人に引きずられていて、かつカメラに映っている範囲ではすぐに目を覚ましそうにはなかった。もしそいつが学生なら、学校を休んでしまっていても不思議ではない。そして、あの事件が起こったであろう時間帯にこの辺にいる学生ということは、現場からそう遠くないところに自宅があると踏んだ。

 高校以下でも制服ではない学校も多い新宿では単純に確率論だが、学校に行っていなければ手ぶらの可能性も少なくない。もっとも、外にいるだけでは外出してくれなければ何の意味もないので、そういった学生が一人暮らしをしていそうな集合住宅、そこまで家賃の値が張らなそうなアパート、もしくはマンションを確認していたところ。

 現場付近に、一人の学生らしき人影が現れた。飄護と公園までの間にはバスの通るメイン通りから伸びる支線や路地が何本かあり、そのうち一本の道から何か探るような雰囲気でゆっくりと公園の方に歩いていく。髪の短い、どうやら服装からして女のようだが、帽子だけが全体から浮いている印象を飄護は受ける。帽子以外は自然で、それだけは目的重視でとってつけたような、流れの中にない異質感。

 そしてさらに今日の日に、あの公園へ。ただの野次馬なら、あんなに縮こまらずとも良いはず。ここまで露骨に怪しい人間が出てくると、とりあえず職質という選択肢が飄護の頭に浮かんでくる。

ー職質とかガラじゃねぇなぁ。全く狙わねぇナンパのつもりで行くか。

 飄護は何食わぬ顔で歩いて近づきながら、携帯灰皿に突っ込んでいたシケモクの中から新しいものを選んで咥える。彼はこれで、不真面目な印象を与えられるものだと思っているのだった。

 会話が成立するくらい、つまりは突然走り出されても、反射で手を伸ばして腕がつかめるくらいの近さまで接近して、

「あのー君、ちょっといいかな?」

 声をかける。

 すると一つ大きな痙攣をするように肩が跳ね上がって、まるでホラー映画のワンシーンのようにゆっくりとこちらに振り返る。

「あら?そんなに驚かせた?ごめんごめん。ちょっとこの辺のこと聞きたいんだけど」

 と、言い終わるか否か。

 その人物が、脱兎だっとのごとく走り出す。

 急に走り出されても、と用心して詰めていた距離は無駄だった。職業柄、荒事にも備えて鍛えられた反射速度ですら、その挙動きょどうはつかみきれなかった。

「なっ!?ちょっ…」

 その人物は車の往来のある道路を、事故が起こる時間すら与えないような速度で横断し、元来た路地を曲がっていく。飄護の目にはそれが異様な速度に移った。人のそれではないような速度だ。

 単純に人間の運動能力を鍛えたとしても想像しえない早さに、飄護には思えた。

 しかし光は超えない。飄護の目に一つだけ情報が飛び込む。帽子が隠しきれない、うなじの髪の生え際。

「なんなんだよ…?」

 車に注意しながら道路を反対側に渡り、先ほどの人物が曲がっていた角を覗き込むが、すでにその人影は無かった。

ー一瞬だったが、あの首は…

 嫌な感じがした。

 路地の方をもう一度注意深く観察してみるが、誰かが隠れているような気配はない。一軒家や、数階建てのマンションや古いアパートが道沿いに並んだ、何の変哲もない住宅街の一角だ。

 飄護は、もしかすると現場を見に来たのかと思い、無関係な人の気配しかしない路地から背後に振り返る。少し行けばあの現場の公園だ。

 と、そこである人影に気づいた。その人物は、ゆっくりとした足取りで路肩に止めた自分の車に向かうところだった。

ーまじかよったく。

 公園に近付くにつれて、それが誰であるかはっきりして内心で舌打ちする。

 知り合いだとは気づかなかったふりをしてすれ違い、見張りの制服警官に会釈して、現場の規制テープ奥に入ろう手をかけた時、

「あら?やっぱり悠岐ゆうき警部じゃないですか?もう。お声かけてくださればいいのに」

ーさすがにスルーしてくれなかったか。

「ん?ああ、これはこれは。紅建こうこん桓武かんむ室長じゃないですか。どうしたんですかこんなところで?」

 向き直る。

「ちょっと野暮用がありまして。全く、うちの代表の無茶振りも困ったものですわ」

「そんなに人使い荒いんで?」

「ええそれはもう。夜中だろうと御構い無しに呼び出されますし、こちらのスケジュールなんて御構い無しですもの」

「それはそれは、お疲れ様です」

「ありがとうございます。悠岐警部も、お忙しそうですし、ご自愛くださいね。ところでそこ、何かあったんですか?」

「またまた、もうご存知なんでしょう?野暮用って、こいつでしょう」

 と、ひょいと片手の親指を上げて背後の現場を指差す。

「出なきゃあんたみたいな人がこんなところに何の用ですか。社長にしたって、こんなところにあなたを回すほどの用件なんてそうそうないと思いますが」

 飄護の発言を聞いて一つため息をつく桓武。しかしすぐに笑顔を作って続ける。

「そうですね。隠しても無駄だったわ」

「用件は手短にどうぞ?っても、お答えできることはほとんどありませんけどね」

「何があったんですか?」

「ご覧の通り、大量の闇血吹き散らし事件」

「遺体は?」

「さあ?そもそも誰か死んだんですか?」

「犯人は?」

「さあ?そもそも被害者と加害者がいたんですかね?」

 言って、飄護は珍しくタバコケースを取り出して、新品をくわえる。

「十三課の推測は?」

「さあ。ただまあ、何か起こったのはそうでしょうね」

 桓武は問いかけながら、ジャケットのポケットからライターを取り出して点火。ふざけたような口調の飄護のタバコにを火をつけてやる。

「これはどうも」

 大人しく火をもらって一つ吸い込み、煙を宙に吐き出す。

「加害者と被害者がいないのであれば、一体どういうこと」

「例えば、自殺。例えば、アンプルの中身をぶちまけた。今鑑識が調べてますが、本物の自然闇血しぜんあんけつかアンプルの人工闇血じんこうあんけつかはまだわかりませんからね」

 桓武の目つきが気持ちきつくなるが、口元は営業用の笑みを絶やさない。

「またまた、おたわむれを、悠岐刑事」

「いや、人手が無いんでね。リアルにそんな憶測も出てるんですわ」

 少しの間。それは返す手の不足。

「…もしよかったら」

「はいはい。何かわかったら連絡しますよ。携帯番号は知ってます」

 最後まで聞かずに、飄護が諦めのような声音で返すと

「よろしくお願いしますね」

 と、今度は極度に冷え切った笑顔が向けられ、桓武は車で走り去る。

 飄護は行く先を見届ける。先ほどの人物が走り去って消えたあの路地には曲がらずに直進していく。

「見られては、いないか?…しっかしやべーな。増え鬼かね」

 ひとりごちてタバコを携帯灰皿で処理し、今度こそ現場に入る。

「カピカピになってんな。鑑識、あまり持って行かなかったか」

 闇血のこびりついた現場地表を舐め回すように、嗅ぎ回るように、地面に這いつくばって目を凝らす。

 しばらくそうして、闇血の付着がない地表まで観察して、一息。携帯端末を取り出す。

「あ、橘くん?」

『悠岐さん。どうしました?』

「いや、鑑識撤収してたからちょっと聞きたいんだけど」

 テープをくぐって、川沿いの手すりにもたれる。そこで、表通りの方にベンチがあることに気づいた。

『はいはい。あ、川に飛ばしたドローンの観察結果はまだ出てません』

「了解。あのね、地表サンプルある程度持ってってるだろ」

 話しながら、監視カメラの映像を思い出す。設置していたマンションを左において、同じような挙動を取ってみる。

『もちろんです』

「そこに、髪の毛混ざってねぇ?」

『赤い短髪が数本。と、これも短い毛髪が数本。今鑑定中です』

「なるほど。長い髪はないか?」

 ふくらはぎに、硬いものが当たる感触。

『今のところはありませんが、何かわかったんですか?』

「いや、ちょっと待った…」

 飄護は電話をベンチの上に放置して四つん這いになって、ふくらはぎに覚えた硬い感触の正体、ベンチの下を先ほど同様舐め回すかのように目を凝らして観察する。コンタクトレンズを探すにしてもここまで伏せないだろうという勢いだ。

「……あーらら」

 ベンチの下は現場のように土の上に雑草が生えているわけではなく、細かい砂が構成する平らに慣らされた地面だった。その一部分を、片手がつまんだ。

 起き上がって、ベンチに放った携帯を取り上げ、通話を再開する。

「橘くん、今からそっち行く。ちょっと見つけた。髪毛検定、優先してもらうかも」

『了解です。ちなみになんですか?』

「髪の毛だよ。しかも、綺麗な真っ白いやつな」

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