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 碧唯あおいが目覚めたのは、昼だった。

 開け放っていたベランダのサッシから、ベッドに光が差し込んで、眩しさから逃れる夢を見てしまった。

「…‥ん…」

 聞く人が聞けばつやっぽくも聞こえるその寝言は、しかし誰の耳にも止まらずに虚空こくうに溶けていく。

ーそうだ。私は…

 記憶にある限り、初めての、知らない天井。

 知らない壁に、見たことのない風景を見せてくれる窓。

 たったそれだけだったが。

ーそれだけで、こんなにも穏やかになれるなんて。

 施設の天井も壁も、窓からの風景も、それらに迎えられる碧唯の覚醒は、彼女に失意を思い出させたが、今日はそれがない。

 そして、混乱していた意識で過ごしていた彼女の元には、今は部屋の主もいない。

ー眩し、い?

 初めてだった。

 窓から見える空には、太陽が浮かんでいた。

「これが、おひさま…」

 口を突いて出る。

 仕方なかった。

 記憶の限り、自分の中を、碧唯の思考は探し始める。これと似た風景。太陽の記憶。

 しかし、彼女の記憶に、その星の記憶は存在しなかった。

 15年間、黄昏街に閉じ込められていた経験を持つ彼女は、そこを抜け出した。

 積もりに積もった思いが動き出した。そして、それはとてもすごいことだった。こんなものを見ることができた。

 積もりに積もった思いは、彼女の行動に困難だけを想定させていたが、こんなに嬉しいことが待っているとは、彼女はそのことの大きさと困難さにやられて、自分の願ったことの先にある素敵を想像していなかった。

 あの部屋を、施設を、街を抜け出して地上に逃れた彼女が初めて見たのは、真っ青な空に浮かぶ暖かい太陽。

 手助けしてくれた真夜惟姫の部屋で、一人で、生まれて初めて見る太陽に。

「…………え…」

 知らず涙していた。

 拭っても、溢れる。

 拭っても拭っても。

 溢れてくる。

「え?あ、あれ?ど、どうして…?」

 窓際に立って、立ったまま、立ち尽くしたまま、両手で、隠すように涙を拭う。

 それを観測できたものは、きっと誰もいなかったが、それでも彼女は恥ずかしかった。

「や、やだ…」

 ひどく泣いてしまって、惟姫が帰ってきても目が腫れてしまっていたら、どう言い訳したらいいのかわからなかった。

 そしてよぎる、惟姫の存在。

 同時に、自分がなぜここにいるのか。

 そして。

「…そっかぁ」

 碧唯は、自分の中に、惟姫と出会った瞬間から抱える決定と、作ってしまった秘密に、落胆する。

 もう涙は、喜びではなく悲しみのそれに思えてくる。

ーでも、これ以上甘えるわけにはいかない。見つかったら、きっと迷惑をかけてしまう。助けてくれた人をそんな目に合わせるわけにいかないのだ!

 内心で決意して、涙を拭う。もう、泣き虫は逃げたようだった。

 しかし、改めて思うと、自分の容姿は目立つ。うっすらと青みがかかってはいるものの、それは近づいてよくよく見てみないとわからないほどの青みで、どうせこれも時間が経てば消えてしまう。となれば、いよいよもって、真っ白な腰までのロングヘアだ。世間知らずの碧唯でも、その容姿が目立つことはわかる。

 部屋から持ってきたリュックの中を見てみても、これを隠せるものなどありはしない。

ーど、どうしよう。

 と思案し始めて、自分が、出来うる限り追手から逃れようとしていることに気づく。

 愚かな話だ。すぐに捕まってもいいと覚悟して抜け出してきたのに、あわよくば逃げ延びようとしているのだ。

 現金な自分に失笑がこぼれる。

 しかしいずれ、惟姫のことがばれないよう、できうる限りで遠くまで逃れる必要があった。

 そのためには、この髪を隠さないといけない。

ー…そうだ。

 持ってきた服のうちの片方、ワンピースを取り出して着替える。

 すっぽりっと頭からかぶってしまえば、髪の大半を隠すことはできたが、そんな変な格好ではまたこれも別のいみで目立ってしまう。

 どうしよう、と考えあぐねながら、部屋を見渡すと、帽子が壁に掛けられていた。

 背伸びしてなんとか手にとって被ってみると、やや大きめの帽子だった。デザインもそこまでボーイッシュなものでもなく、鍔も付いていて日よけにもなる。

ーこ、これなら!

 碧唯は意気揚々と髪の毛をたくし上げて頭の上にまとめあげ、それが解けないよう帽子をかぶった。今度は少し帽子が窮屈に感じられたが、それくらいの方が、途中で謝って白髪を披露することがないような気がして、それでよしとする。

 リュックに着替えた服を詰めて持ち物はそれで全部回収し、玄関から外に出る。合鍵は預かっていたので、それで鍵をかける。

 ベランダも施錠した。

 朝、惟姫が降りていった階段をゆっくりと降りていく。緊張感が大きくなるが、膝は折れない。

 まずは、朝の公園を遠くから眺めてみることにする。警察しかいなければ、まだ怖い追手は来ていないということになる。

 そこは、一人で歩いてみると驚くほど近い場所にあった。

 建物の陰に隠れて公園の方を伺うと、公衆トイレの周辺の一角が黄色いテープで閉鎖されているのがかろうじて見える。

 見張りは一人、制服警官だけだった。

ーも、もしかしてまだ…

 周囲に他の人間の姿はない。その制服警官もややぼーっと人が通行する道の方を警戒する程度で、誰かと会話をしている風でもなかった。

ーきてない?

 一縷いちるの望みが生まれる。あの自体が捕捉されていないのであれば、まだ逃げられる確率が少し上がる。あくまでも、時間が延びるだけだったが、今の碧唯にとって、それはとても贅沢に思えた。気を張っているせいで緊張しているせいか、体調も悪くない。これなら。

 碧唯はさっと公園と反対に向き直って、刹那せつな

「あのー君、ちょっといいかな?」

 ジャンパーで無精髭の、くわえタバコの男が声をかけてきたのと同時。

 碧唯の背後の公園の現場、制服警官の陰から、一人の女が姿を見せていた。

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