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 桓武かんむは、陽の光の溜まる車内で、若干うんざりしていた。

 黄巾技研こうきんぎけんを出て、念のためと思い、燕城碧唯えんじょうあおいの資料に載っていた新宿第二中学の校門を正面に見据えられる少し離れたところに車を止め、その校門に入っていく生徒たちを観察していた。

 完全なる白髪の生徒だ。普通の人間たちの通う学校に、そのままで紛れ込めるはずなどない。

 もちろん変装されていることも勘案しているが、そもそも、施設から逃げ出されて大人に回収命令が出されるような対象が、大人しく学校に登校するなどどは到底考えにくい。

 校門の監視は、そういう探す側の推測から最も大胆かつ自然に外れる場合、何の隠蔽工作いんぺいこうさくもしないという手段は非常に有効だ。無謀でもあるが、もし相手に何かしらの準備がある場合、やみくもに警戒することもなく、明らかな対象に警戒心を絞り込める。敵のあぶり出しが可能となるのだ。

 しかし。

 資料を見る限り、そんな知恵が働くようには思えない。とすれば、やはりここには登校してこないか。

 登校する生徒の数もまばらになってきて、桓武はいよいよしびれを切らして車を降り、近くの自動販売機で炭酸飲料を購入して喉を潤す。炭酸がやけにきつく感じられた。それ以上に、乾きがほとんど解消されずに潤わなかった。

「…くそっ」

 少しだけ休み休みに、ほとんど一気に飲み干して、桓武はひとりごちる。

「行くしかないか」

 こういうときの言い訳は面倒だ。

 偽の身分証は用意してあるとはいえ、それで名乗る身分に付随するあれこれとした設定をいちいち考えるのが面倒だった。しかし、そんなことで捜索方法を狭めるわけにもいかない。

 目の前の新宿第二中学校に電話をかける。偽の身分である児童相談所の相談員を名乗り、貴校に在籍している生徒に関して数日前に相談が寄せられたがまだ面会できていないので事情を聞きたいと告げ、手の空いている教師のうち、燕城のクラスに関わっている教師にアポを取る。幸い一限目の授業は担当がないらしく、すぐにでも面会可能ということだった。

 通話を終了し車に戻ってエンジンをかけ、車内を冷やす。

 エンジンを止めて生徒たちの登校を監視していたため、車内は蒸し風呂一歩手前だった。夏の日差しは、密室に厳しい。

 車内のエアコンで自身も冷却して、汗も引いた頃には校門は閉じ、始業のチャイムが響き始めた。

 桓武は車を走らせて、職員用の車両通用門から空いている駐車スペースに丁寧に駐車して、資料を一瞥。一式は車に置いて降り、来客用玄関に向かう。

 事務員らしい若いスーツ姿の女性に促されて、応接室で待つ事数分。

 記録上、燕城が在籍するクラスの数学担任という教師が現れた。

「お待たせしてすみません。新宿第二中学、数学担当の高杯たかつきと申します」

「とんでもありません。お忙しいところありがとうございます。新宿区児童相談所からまいりました。井上と申します」

 桓武は名乗る。身分を偽る時に、どちらかといえば特徴的と言える自らの姓は偽装対象だった。ただ、あまりに違う人物を作り上げてしまうと、突然の連絡などでとっさにその人物を装わなければならない時、瞬時に反応できなかったり、辻褄つじつまが合わなくなる恐れがあるため、あまり偽造身分が増えるのに桓武は消極的だった。もちろんそんなヘマなどしたことはないが、それでもリスクが少ないのに越したことはない。

「すぐにお時間をいただけて助かりました。ちょうどこのあたりにいたものですから」

「それは良かった」

 高杯たかつきと名乗る教師はいたって当たり障りのない返答をした。あまり印象の強くない、厳然としたり厳しかったりするタイプには見えなかった。

「それで、早速伺いたいのですが、高杯たかつき先生の担当されていらっしゃるクラスの、燕城えんじょうという生徒なのですが」

「はい。あまりお力になれないと思いますが…」

「と言いますと?」

「実は燕城えんじょうくんは、私が担当するようになった昨年の春から、一度も登校していないのです。お電話をもらってすぐ、一年の時の担当教師だった者にも聞いてみたのですが、その時もそうだったと。つまり、彼女はこの学校に在籍していながら二年半、私らが覚えている限りでは、一度も登校しておりません」

「…なんと」

 桓武は内心で、やりすぎだ、と愚痴る。いくら様々な力のある神支那かみしなといえど、偽装記録を全く裏打ちせずに放置するなど、記録を作っている意味がない。嘘の記録というのは、それそのものを嘘とすぐには判断できないようある程度作り込んでこそ効果がある。このような瞬間で信用できなくなる記録を偽装するのは、この記録は嘘です、と名乗っているようなものである。

「そうだったんですか。…そうれにもかかわらず、相談所の方には一度も通達されておりませんでした。これは学校様の責任ではないとは思いますが…」

「こちらとしては、定期的に区の教育委員会に、記録として目立つ生徒、主に極端に出席率の低い生徒や、出席頻度に変化のある生徒に関しては、ケアを行うべく報告はしているんですが、なぜか燕城くん関しては、一切対応などは行割れず、放置されてきました。何か特別な時事情があるものとは思うんですが、我々ではそこまで追求することもできず…」

 学校機関は、所詮教育委員会に管理される、いわば下請けだ。申告、要請することはできても、その追求となれば、かなり立場は弱くなってしまう。

 高杯たかつきの言っていることは、教育機関における管理レベルと現場レベルの体質上では当然な反応だった。ましてや、表立ってトラブルや事件にもなっていないとなれば、臭いものには蓋をしたがるのが、この国の管理職だ。

「かしこまりました。登校していないというのであれば、先生も燕城さんのことはほぼわからないと思うのですが、何かご存知のことはありませんか?少しでも何かあれば、こちらとしてもさらに動くことができますので…」

 少しでも情報を欲しがる、子供思いの相談所職員を装う桓武。

「そうですね…委員会からの動きがない以上当たり前かもしれませんが、相談所の方も、入学以来初めていらっしゃったということです。これまでの担当教師にも確認してきました。あと、これはだいぶ前に伺ったことなのですが、燕城くんの小学生の頃の担当に会う機会があって、向こうから、燕城はどうしているかと問われました。その頃からほとんど登校することなかったそうなのですが、どうも、体がものすごく弱くて、病院を長時間離れられないということだったそうです」

 高杯たかつきが、いたって冷静に、思い出しながらなのだろうか探り探りに口にした。

「体が弱い、ですか」

「ええ。その時の担当も、詳しい病名などは知りませんでしたし、さすがに亡くなっていたりしたら通達があるはずなので、それがない以上、もしかするとまだ療養中なのかもしれません」

「その病院、心当たりは、ありませんよえん?」

「すみません。住所も変更になっておりませんし、都内だとは思いますが、詳しい所在は存じておりません」

 それはそうだろう。それこそ神支那かみしなが管理していたから、その情報が学校ごときに流れるはずがない。

「そうですか。ありがとうございます。では、何かトラブルに巻き込まれた可能性は、まだ低いと考えましょう。療養中の可能性が大きいですしね」

 桓武は、情報を話してくれる高杯たかつきの口調に不安と心配の色を感じて、営業用の笑顔で応対する。自分の訪問が変に不安を与えて、この男の中で必要以上に印象づいた物事となり、結果余計に動かれたりするのを防ぐ目的もある。教師というのは、どこで生徒想いの入らぬ正義感を発揮するか知れたものではないし、そうなったら面倒この上ない。

「ありがとうございました。お仕事中に貴重なお時間を割いていただきましてありがとうございました。病院の方を当たってみることにします」

「こちらこそ、なんのお役にも立てませんで」

「とんでもありません。また何かありましたら、学校の方にご連絡させていただいてよろしいでしょうか?」

「それでも構いませんし、こちらでも」

 高杯たかつきは自分の名刺を差し出してくる。

「教職資格は本物ですが、僕は実はインディペンデントなので、一応持ち歩いておりまして。常のこちらにおるわけでもありませんので、携帯の方が」

「なるほど。最近始まったフリーエージェント性、ですね」

「非常勤で、複数校勤務が可能というだけですけれどもね」

 桓武は受け取って、同時に偽造身分の名刺も手渡す。

「私も事務所にはほとんどおりませんので、携帯の方にお掛け下さい」

「わかりました」

「では」

 と言いつつ、応接室の外まで高杯たかつきうながされて、玄関へ向かう。数歩進んだところで、向こうも職員室へ戻ったようだった。

 やはり空振り、と桓武は想定内の事態の進行に顔色一つ変えず、車に戻ってアクセルを踏む。

 期待も落胆もせずに新宿第一中学校を後にした。

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