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 午前7時。

 呼び出されて3時間程度で朱紅井あかいの社長室を出た桓武かんむは、階下の化粧室を経て地下駐車場に停めておいた自分の車の運転席に戻り、ピシャッと留められたブラウスの胸元を二つだけ開ける。

 まだ、普段よりも体が熱を持っている。

 ジャケットを脱いで助手席に放ると、その瞬間にメールの着信を告げるバイブレーションが動いた。手早く確認すると、先ほど朱紅井が言っていた捜索対象の資料が届いたところだった。すぐにノートブックを開いてパスワードでロックされた社用ダウンロードサーバにアクセス。ダウンロードは瞬間で終了し展開、確認する。

 文字化けして意味不明になってしまった幾つかのファイル群の中から先に確認しておくべきであろう文章ファイルを開いて、素早く目を通す。

 履歴書然とまとめられた基本情報を載せた文書ファイルは簡潔に的確に情報をまとめているようだったが、何人かいる社長秘書を副業で勤められる情報処理能力と、それらの経験によって得られた感覚がある桓武には、どこかピントを無理矢理にずらそうとしているように感じられる資料に思えた。確証はなかったが、この手の感覚が外れることはあまりない。

燕城えんじょうあおい。歳は15。まだ中学生?こんな子供に一体何があるというの。

 紅建ホールディングスの社長に直通電話をかけることが出来、なおかつ彼が断ることを考えないほどの相手が、人によってはまだ深夜のような早朝からいちいち依頼してきた人探し案件。

 しかし、その動きと重さに反して、資料にはそこまでの重要性を裏付ける情報はない。

ー新宿第二中学校在籍中、ね。如何どう考えても無駄足だけど、ちょっと当たってみるか。

 車と人を視認するのがギリギリ可能な蛍光灯の数と光量の地下駐車場。その明かりの陰になるスペースに停められ、桓武の運転によってゆっくりと姿を表す車は、低いと言える車高にすらりと伸びるボディを艶のある光沢の強い薄いブルーをしていた。右ハンドルのセダンだ。大荷物や大人数を運ぶのには決して適さない車だが、車としての本来の性能は圧倒的にだった。

 駐車スペースを出た桓武の車は、ゆっくりと地下駐車場を出て、まだ少しだけ朝霧の霞む街に走り出す。

 桓武は、車を先ほど目星をつけたところとは別の施設に向かっていた。

神支那かみしなが望むものは、一体なんだ。

 品川までの行き慣れた道を進む。早朝の官庁街は車の数は多くないが、ここから目的日に近くなれば次第に車は増えるだろう。本格的な朝のラッシュに巻き込まれる前についておきたい。そうして桓武の体はほとんどオートで運転をこなしていく。頭の中は、先ほど引き受けた依頼について思考を巡らせてみる。

ー時間も構わず朱紅井に直接連絡を寄越すということは、そういうことなのだろうが、血なまこになって探す意味がわからない。

 神支那、という依頼主のことは、詳しく探ったわけではないが何度か依頼を受けていたので小耳にはさむ程度に知っている。紅建ホールディングスの筆頭株主にして社外取締役、そして何より、先ほど朱紅井が穴倉と呼んだ街ー黄昏街の、実質的支配者である。

 東京の西側大部分の地下に潜む、大きな地下空洞。地上とそこを行き来する人も今や少なくはないが、国によってその真実を隠蔽され続けている人々が住む、昏い街。

 そんなあからさまに大きな力を持っている一族が、早朝から直通連絡という慌てっぷりだ。これは何かあるに違いないと身構えたところで、出てきた資料が指し示すものを素直に受け取るのであればただの女子中学生だ。そんな人間を、しかも性に神支那も戴いていないたかが子供に、いったい何をそこまですることがあるのか。

ーあからさまに裏はある。あるけれど…

 目的地までの最後の信号。標的となる建物はもうすぐそこに聳え立っていた。

ー…情報が足りなすぎるな。仕方ない。こっちでも探るか。

 少しの逡巡のうちに車は品川駅の高輪口側方面に屹立するビルの地下駐車場に滑り込み、朝日を遮る地下への合図とともに、桓武は思考を、ここですべきことに切り替える。

 そこは紅建ホールディングスの子会社。

 機械産業を中心に化学製品などの研究開発や最近では海外への兵器輸出も主力産業となりつつあり、グループの中では最大の会社規模を誇る、黄巾技研株式会社東京本社こうきんぎけんかぶしきがいしゃとうきょうほんしゃだった。

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