96豚 騎士国家ダリス

 壁には本がぎっしりと詰まった本棚が所狭しと置かれていた。

 モロゾフ学園長が年季を感じさせる椅子に座り、机の前には豪気な剃られた頭のマルディーニ枢機卿、黒金の髪が入り混じる若々しいデニング公爵が立っている。

 生徒達からの聞き取りを報告した兵士が、慌てて部屋の中から退散した。

 落ち着き払っているモロゾフ学園長とは対照的に、マルディーニ枢機卿はどことなく苛々としている様子であった。


「あり得ぬぞ! モロゾフ殿、貴方の言葉通りならたった一人の少年がこれだけのことを奇跡ともされる功績を叩き出したと言うのかッ!」


 デニング公爵にせっつかれ、マルディーニ枢機卿は十数名にも及ぶ王室騎士の派遣を決断した。

 そしてまだ暗いうちに先遣隊が到着し、クルッシュ魔法学園に辿り着いた。

 先頭に立つデニング公爵や王室騎士達が見たのは、学園の唯一の出入り口である大門の前にうず高く詰まれたモンスターの死骸や、学園内の燦燦たる現状。校舎は傷つけられ、木々は引っこ抜かれ、やはりそこらかしこに倒れたモンスターの姿や、魔法行使の後と思われる酷い有様。

 遅かったか、と思われた。

 学園内は生者がいないかのような静けさに包まれていたからだ。


「そうじゃ、マルディーニ枢機卿。傭兵に街道超え、そして、黒龍討伐、彼を補佐する優れた者も一名おったが、その者の功績と考えてよいじゃろうな」

「馬鹿な! 子供の夢物語ではないのですぞモロゾフ殿! 」


 先遣隊は漂う香りに絶望の匂いを見た。

 ヨーレムの町に助けを求めた生徒の話ではむせ返るぐらいの香りとのことだったが、時間の経過と共に薄れたようだった。

 夥しいまでのモンスターの死体を横目で見ながら、先遣隊は学園の奥へと進んでいく。

 デニング公爵がその助けを求めた者の名前を知りたがったが王室騎士達も知らなかった。兵士の証言によれば、その者は事態を伝えると風のようにどこかへ消えたとのことだった。

 じきに兵士の一団も町から到着するだろう。

 けれど、遅かった。遅すぎたと王室騎士達は悔やんだ時、どこからかモンスターの叫び声が響いた。

 彼らは音がする方向へ急いだ。 


「何故、さっきから名前をぼかすのだ! これは大変な事態である! その者と早急に話をせねらならぬ!」

「ふむ、マルディーニ枢機卿。彼の名前は、儂が出すよりも適任がおるじゃろうな。のう、バルデロイ君」

「……恐らくはそうであろうなと思っていましたが。やはり、あいつですか」

「デニング公爵! 貴殿が知る者である者であるのか! だが、誰が!」


 大聖堂前の広場はさらに凄惨な状況だった。

 モンスターの死体、そして雷でも降り注いだのか、所々地面に焼け焦げた後さえ残っている。

 だが、先遣隊はようやく見つけた。

 大聖堂を守る結界と入り口付近で談笑している者達を。

 モロゾフ学園長、ロコモコを含めた先生方、そして、シルバ。

 彼らは既に魔力が尽き掛けており、魔法を仕えない筈のシルバが結界を維持したり、時折やってくるモンスターの相手をしていたらしい。

 大聖堂内には大勢の者達がいた。彼らは生きていた。


「マルディーニ枢機卿、少しは落ち着かれたらどうじゃろう。ふむ、ヒントを上げるとするかのう」

「モロゾフ殿、これは国家の一大事であるのですぞ! 謎掛けなど一体何を考えておるのですかッ!!」

「貴方が大事にしておるカリーナ姫。マルディーニ枢機卿、貴方が十数年前、彼女とくっつけようと画策しておった者じゃ」


 シルバには強烈な魔力酔いの症状が出ていた。王室騎士が彼にヒールをかけたが、効果は余り無いようだった。

 そして先遣隊の到着により大聖堂の中に篭っていた者達は目を覚まし、再び歓声に沸いた。

 その後、王室騎士達が崩壊した研究棟に向かい、風の魔法を用いて香りを吹き飛ばした。

 作業には何時間も掛かることとなった。

 大量の香水は瓦礫や大地にまで匂いを染みつかせていたからだ。


「モロゾフ学園長。その話は私も初耳だ、是非お聞かせ願いたい。あいつに関わるのであれば、私も親として無視出来ません。それにこの悪どい枢機卿殿が関わっていると言うのなら、尚のこと」

「……デニング公爵が親、だと―――」


 安全を確認した王室騎士がヨーレムの町に戻り、そこから大勢の兵士たちと共にマルディーニ枢機卿もまた学園に到着した。

 到着したのはちょうど日の出だった。

 カリーナ姫の守りに十数名の王室騎士はヨーレムの町に残した。

 王室騎士達からの報告を待つ間に目を覚ましたカリーナ姫はマルディーニ枢機卿に何があったのかを語った。

 気分転換にこっそりと外に出て、建物が崩れた、と。

 そしてある人に助けられた、その人が現れなければきっと自分は死んでいた。さらにその人は自分を助けるために何かをしたのだけど、自分はそこで意識が途切れてしまったと。

 カリーナ姫が出した名前はマルディーニ枢機卿にとって聞き覚えがあるようなないような引っ掛かりを残した。

 だが、今。

 マルディーニ枢機卿はカリーナ姫が出した名が誰であるかを思い出した。


「マルディーニ枢機卿、貴方が王家の威信を上げるために、かの風の神童とカリーナ姫をくっつけようと裏で画策してたじゃろう」

「モロゾフ殿ッ、それは昔の話であ……まさか―――」


 今、三人はモロゾフ学園長の私室にいる。

 協議するのは当然、この場で何が起こったかの確認であり、何物が黒龍を討伐しドラゴンスレイヤーとして成ったのか知ることだ。


「あいつが変わったとの話を耳に挟んでおりましたが……。しかしモロゾフ学園長。一体、スロウの身に何があったのですか?」

「ふむ。……初恋と、そして世界を救ってくると言っておったのう」


 大聖堂前の広場で見つけた巨大な骨。クルッシュ魔法学園から戻ってきた王室騎士達に黒龍が討伐された旨を伝えられた時、マルディーニ枢機卿はあり得ないと断じた。

 自分は間近であの黒龍を見た。

 死の気配しか感じられず、倒すなどと夢のまた夢。

 だが、そんな空の支配者が討伐されたと言うのだ。しかも学園の者が皆、全く同じ証言をしている。

 一人の生徒が魔法を使って、黒龍が空から落ちた、と。


「……は?」

「……恋に世界を救う、ですか……昔からカッコつけな所はありますが……まさかそれだけの理由ではありますまい。いや、本人から直接聞きたいと思います。それでモロゾフ学園長。あやつは今、どこに?」

「既に学園を出ておるよ。自分から卒業を宣言し出ていくなど、本当に愉快な生徒じゃ」


 風の神童、スロウ・デニング。

 マルディーニ枢機卿は喉まで出かかった言葉を何とか留めた。

 その名は……カリーナ姫が言っていた名であり、嘗てはダリスの未来を担うとまでも言われた者の名前だ。

 マルディーニ枢機卿は机を両手で叩いた。


「―――モロゾフ殿ッ! 何故引き留めなかったのですッ!? 英雄ですぞ! 南方でドラゴンスレイヤーが生まれた! それもあの風の神童! スロウ・デニングは地に墜ちたという話であったが、若き英雄の復活は国に活力をもたらす! さらに知名度も抜群でありカリーナ姫の守護騎士ガーディアンとして家柄も申し分無い! 一体、何を考えておられるのですか!」

「……枢機卿。あやつを守護騎士ガーディアンなどと? 我がデニングの柱に成り得る男です。おいそれと渡す訳にはいきませんな、」


 だが、三人の中でも最たる年長者。

 モロゾフ学園長だけがつまらぬとばかりに話を打ち切った。

 白い髭を手で撫で付けながら、マルディーニ枢機卿、そしてデニング公爵の二人を見つめる。


「引き留めるじゃと!? どうして儂に彼を止めることが出来ようッ!? 彼はこの学園を救ったのですぞ! 彼がいなければ、皆の命が無かった! マルディーニ枢機卿、貴方は迷ったとの話ではありませぬか、王室騎士団の派遣を! 貴方に彼を引き留める権利などありますまいッ!!」


 モロゾフ学園長はずっと大聖堂の屋上から彼を見ていた。

 あの子は大聖堂の周りだけでなく、目の届かぬクルッシュ学園に侵入しようとするモンスターをも魔法で打ち払っていた。

 何たる力、何たる視野の広さ、何たる度量。

 何度度肝を抜かれたか分からない。

 そして彼は別れ際従者を連れ、生徒達を大聖堂内で見守る学園長を結界の外に呼び出した。


「彼は言ったのじゃ! この場にいる者達とはいつでも会い言葉を交わすことが出来る。しかし、彼の道の先にいる者は今しか会えないと言いましたぞ! 何か理由があるのでしょう、行かねばならぬ理由がッ!」


 あの光景を目にしたからこそ、モロゾフ学園長は喝采を上げずにはいられない。


「祝祭といきませぬかお二方ッ! 彼の門出じゃ! 最速の卒業生であり、彼の卒業に華を添えたのはドラゴンスレイヤーとしての伝説じゃ! 儂が学園にいる間に、まさか伝説に合えるとは思わなんだ! 儂はクルッシュ魔法学園の学園長として、礼を言わねばならぬッ!!」


 彼の突然の出奔に誰もが面食らった。

 しかし、意味があるに違いない。

 モロゾフ学園長は信じて疑わない。

 彼は運命に導かれるように、学園を出て行った。



「スロウ君、君の未来に幸あらんことをッッッ!!!」




 風の神童の帰還と国中では謡われたが―――。

 ―――スロウ・デニングと彼の従者シャーロット、そして平民第一学年の生徒が一人。

 計、三名がクルッシュ魔法学園から姿を消した。

 さらにシルバという男を通じて、デニングの家紋が彫られた杖の返却と貴族としての立場を捨てることをマルディーニ枢機卿及びデニング公爵に通達。

 だが、マルディーニ枢機卿はダリスからの出奔からただの失踪へと事実を揉み消そうとし奔走した。


 事情を知らぬ市民達はドラゴンスレイヤーの誕生に狂喜乱舞することとなった。

 風の神童の功績は大々的に発表され、彼を騎士国家ダリス次期女王カリーナ姫の守護騎士へ任命するようにとの声が大きく上がり、これを喜々としてマルディーニ枢機卿は了承。

 守護騎士選抜試験は国内が安定するまで棚上げとし、マルディーニ枢機卿及びデニング公爵は失踪した彼の情報を持つものに莫大な金を渡すと発表。

 だが、一つ問題が起きた。

 風の神童は痩せたと言われており、彼が今どのような顔をしているか分からなかったのだ。

 しかし、これに協力したのはダリスのお姫様プリンセスであった。

 彼女のお陰で魔法紙に印刷された詳細な彼の似顔絵が南方四大同盟全ての国に大量に配られた。誰かを抱え込むようにして見つめる憂いを帯びた彼の似顔絵は、瞬く間に魔法紙が女性たちの家に持ち帰られるという想定外な問題も頻出させることになった。

 また、同時期に南方四大同盟サーキスタ共和国の水精霊議会がデニング公爵家に極秘に使者を送り、デニング公爵の頭を非常に悩ませた。

 幼き日に交わした約束。

 風の神童とサーキスタの第二王女プリンセスとの婚姻は未だ有効である、とのことだった。


 運命は巡り、彼を中心に回り始める。

 南方四大国は、彼を取り込むために、動き始める。


 やりたいように、やらせてもらう。

 迷いも憂いも振り切った彼が次に見据える相手は、人間じゃなく、モンスター。

 そして、彼の夢に己の未来を重ねた風の騎士もまた動き出す。

 騎士国家ダリス王都に聳え立つ牢獄へ。


「それにしてもスロウの坊ちゃんの情報網は恐ろしいな。呪われたウィンドル男爵家の生き残りが傭兵になって生き抜いているとは思わなかった。……何の因果かこの俺もあの呪われた大地出身でな。生き残った者同士、昔話に花を咲かせようじゃねえか傭兵、ナタリア・ウィンドルさんよ」


 そして、帝国もまた動き出した。

 密命を帯びた帝国の三銃士が一名、既に南方入りを果たしていることを知る者は現時点では誰もいない。

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