222豚 偉大なる太っちょビジョン坊やの企み
森の中に造られた教育施設、クルッシュ魔法学園を歩く二人の少女は違和感を感じていた。
「何ですのこの空気」
一体、これはどうしたもんだとアリシアは首を傾げた。
普通こういった現場は殺伐としていると聞いたことがあったのだがクルッシュ魔法学園の再建現場には
貴族であるシューヤが何故平民と一緒に働いているのは気になるが、それはそれであいつらしいとアリシアは思うのでシューヤの件に関しては思考から除外した。
「やりきった! みたいな空気が蔓延してますね。それに皆さん、ちょっと手持無沙汰というか――」
ダンジョン都市にて闇の大精霊に突如襲い掛かったシューヤの暴走。
結局、あれは理由の分からない魔法の暴走ということで片が着いた。というよりそれ以外で説明がつかなかっただけなのだが。
「――おお魔法使いの嬢ちゃん達! 相変わらず可愛いなあ! 今日はもう森のモンスター狩りは終わったのかい? 嬢ちゃん達が頑張ってるお陰で俺たちも安心して仕事に励めるってもんよ!」
「仕事してる姿に見えませんわよ貴方……」
草を詰めたパイプをぷかぷかと吸いながら声を掛けてくる平民がいる。
彼らはアリシアとシャーロットの二人を単なる貴族の魔法使いだと勘違いしており、まさか亜麻色の髪の少女があのサーキスタ王室に連なる者だとは気付いていないのだ。
アリシアの方もわざわざ素性を告げて、彼らを恐縮させる必要も無いからとそのままにしているが。
そしてそんな風に平民である彼らがクルッシュ魔法学園の生徒と思われている貴族生徒に友好的に声を掛けてくる原因はたった一つ。
「今日は偉大なる土の魔法使い、ビジョン坊やはいねえみたいだなあ!」
「いやあもう充分充分ッ! あの天才魔法使い様にやってもらうことは何もねえ! 後は俺たちがちまちまやってクルッシュ魔法学園の再建は完了よ! それより人の数が減ってねえか?」
「ビジョン坊やが手の空いた奴らを集めて面白いことを計画してるって話だぜ?」
「ほぉ! こりゃあ楽しみだ! 太っちょビジョン坊やの画期的なアイデアでどれだけ再建計画が前倒しになったことかッ――」
ビジョン坊や、ビジョン坊やと平民達が崇めているが、何もビジョン・グレイトロード本人が学園の再建に直接関わっているわけではない。
ビジョン坊や、その名はあのスロウ・デニングが名乗っている偽名であった。
国内中で指名手配犯である本人がこのクルッシュ魔法学園にいると知らられば暴動は必須、彼らが一年で稼ぐ額の何十倍もの額が少年の捕獲にかけられているのだから。
故に少年は偽名を名乗り、クルッシュ魔法学園の再建に協力することとした。
そして偽名の名前は貴族のビジョン。
ネーミングセンスの具合はアリシアにはよく分からないが、咄嗟に出た名前だと彼は言っていた。
だが実際に実在するダリス貴族の名前を偽名に使うのは如何なものかとアリシアは思うのだった。
「何だか……皆さん楽しそうですね」
「まぁ結構なお金を彼らは受け取ってるって話ですし……相場より多くのお金を渡してでも、出来るだけ早く学園を再開させたいってのがダリスの貴族社会の総意みたいですわね」
「この様子だともう殆ど再建出来てるように見えます」
「……ですわね。でも皆、偉大なる土の魔法使いのお陰だって言ってますわ。はぁ……一体あいつ。どれだけの魔法を使ったのかしら。
確かに再建は順調だった。
学園の中心部、大聖堂の前に広がる広場の中心には噴水が出来ていたり、傍には彫刻家によって空を飛ぶドラゴンと杖を持った生徒の銅像なんかが作られていたり、緑から色鮮やかに色づき始めた植栽が丁寧に整えられていたり。
一体再建費用にどれかけの金を掛けたのか。
そういった見栄えに関する金使いの粗さは素朴と揶揄される騎士国家とはいえサーキスタと変わらないのねとアリシアは小さく笑った。
「嬢ちゃん達! あの偉大なる土の王様! 太っちょビジョン坊やによろしく言っといてくれよ! あいつがいたことでどれだけ再建が順調に進んだことか! 王宮もこれだけ早く再建が終わるとは思ってなかっただろうなあ! ぐははははは! それに俺たちも
「誰だ堕ちた神童とかリアルオークなんて言ってた奴は! デニングの神童はすげえ奴だったじゃねえか! ええこら! 誰かデニング公爵領地出身の奴はいねえのか!」
「あいつら……酔いすぎですわ」
アリシアは肩をすくめ、シャーロットはちょっとだけ微笑みながら男子寮への道を歩いていく。
二人の生活の拠点となっている男子寮。
モンスターも何故、女子寮を襲って男子寮には手を付けなかったのか。あそこだけは何故かあれだけのモンスター襲撃にも関わらず無傷なのであった。
再建は終わりへと確実に向かっているようだが、女子寮はまだ最後の補修工事などをしているようで立ち入ることが禁止されている。
女子寮さえ無事ならわざわざ男子寮なんかに泊まる必要もなかったのにアリシアは思わずにはいられない。
「ふふっ、スロウ様は色々な名前を持ってるんですねっ」
「全然笑うとこじゃないですわよシャーロットさん。沢山の呼ばれ方があるぐらいあいつが変人ってことですわよ?」
「でも偉人は沢山の呼ばれ方をするっていいます」
「そうかもしれませんけど、あいつの場合はまだ悪い名前の方が多い気がしますわ。三銃士討伐だって結局あのギルドマスターの手柄になりましたし」
「……スロウ様にはきっと何か考えがあるんだと思います」
「絶対面倒だから押し付けたに決まってますわ、あのギルドマスター。人が良さそうでしたから」
そう。
スロウ・デニングは見事、自由連邦が誇る冒険者の楽園。ダンジョン都市に現れた三銃士の一人を退けてみせた。
だって、アリシアは知っている。
あのギルドマスター、
「でもスロウ様の姿が見えませんね、どこにいるんでしょう?」
「さっき平民の誰かが言ってましたわ。手の空いてる男たちを集めて何かを計画してるんだって。ろくでもないことに違いありませんわ」
「そんなことないですよ! きっと楽しいことに違いありません! だから帰ったら聞いてみましょうねアリシア様――」
「――おおーぃ、嬢ちゃーん」
「あ。がんばってくださーい!」
崩れた校舎の壁を補修している男たちがアリシアやシャーロットに向かって手を振り、シャーロットは律儀にも彼らに向かって手を振り返す。
邪気の感じられない姿。
そんな彼女の可愛らしい横顔を見て、アリシアはこのクルッシュ魔法学園に到着した日の夜を思い出すのだった。
「あの、シャーロットさん。私、貴女に言いたいことがあるんですけど」
「え、私にですか? 何でしょう」
「シャーロットさんはその……もっと危機意識を持つべきだと思いますわ」
はて、危機意識とは一体。
……あぁ、そうか。
毎日毎日、弱いとはいえモンスター狩りに出かけていた。
初心者の魔法使いが調子に乗るなとアリシア様は言いたいんだろう。
素早くそう結論付けたシャーロットは可愛らしい笑顔のままアリシアに言ってのける。
「分かりましたアリシア様! もうちょっとモンスターに気をつけます!」
「違いますわ! そっちじゃなくて!」
「……えっと。どっちですか?」
「クルッシュ魔法学園に到着した日のことですわ! シャーロットさん、貴女。私がいなかったら……今頃……」
だが突然アリシアに手を掴まれ、シャーロットはびくりと身体を震わせた。
「う、うわ! どうされたんですかアリシア様!」
「そ、そういえば思い出しましたわ! あの時貴女、あ、あいつと二人、屋根の下でも全然大丈夫ですよって言ってましたよね!」
「……えっと」
シャーロットは思い出す。
ええと、確かあの日は……。
クルッシュ魔法学園に到着したあの晩、ダンジョン都市の優しそうなギルドマスターから借りた御者付きの馬車とお別れして……。
「……ええと」
さてどこで眠ろうかと考えた時、シャーロットの主である彼は何の躊躇も持たず、従者女子寮は多分再建中で中に平民の人たちがいると思うからシャーロットは俺の部屋でいいよね、ベッド広いし。
と彼女の主は言ってのけ、シャーロットは分かりましたと何の疑問も持たず了承したのだった。
「……言ってました。何かまずかったですか?」
何せ皇国にあるオークの里では狭いベッドで二人身を寄せって寝ていたのだ。
一体何の問題があるんだろう?
……。
だがそんな。
きょとんと首を傾げるシャーロットを見て、アリシアの怒りが爆発するのだった。
「何かまずかったですかってまずすぎですわ! シャーロットさんは一体何を考えてるの! そんなの淑女にあるまじき……あれですわ! 幾ら豚のスロウの従者だって、そんなのって絶対にダメに決まってますわ!!」
「ええ! 何でですか!」
「ダメダメダメ! 何でですかって考えるまでもないですわよ!!」
アリシアが甲高い声で叫んだ瞬間。
クルッシュ魔法学園の中心部から離れた一区画で小さな爆発が起きたのだが。
「でもでも! アリシア様だってシューヤ様とユニバースでは一緒の宿に――」
何故か興奮してしまったアリシアも。
「――シューヤのことはどうでもいいのッ!!!」
アリシアの叫びに気を取られたシャーロットも。
彼女達のサラサラ髪を揺らした小さな爆風に気付くことはついぞ無かったのであった。
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