223豚 急募:魔法使いの先生

「それにあいつは理由も無くあんな堕落してた豚なんですのよ。今はまともになったけど、またいつ元に戻るか分かったもんじゃありませんわ」

「スロウ様が怠けてたことについては……もう大丈夫だと思いますけど」

「何でそんなことが分かるんですの? 現にあいつ、今激太りしてるじゃないですか!」

「それは……うぅ、否定出来ない……」


 けれど、シャーロットは知っていた。

 主である彼があんな風に堕落した本当の理由を。

 それは落ちこぼれ従者であった自分と一緒にいるためだ。

 デニング公爵家が抱える従者の中でもシャーロット・リリイ・ヒュージャックは最下層に位置する出来損ない。魔法が使えない自分と一緒にいるために彼はデニング公爵家の最上位層から落ち零れた。


「……理由があったんだと、思います」


 スロウ・デニングは知っていた。

 シャーロットと出会ったあの日から、精霊目視の力を持った彼は全てに気付いた。

 シャーロットの素性を、幼い身に有り余る悲しみを抱えていることを。


 だから自分が守ろうと思った。

 シャーロットの素性がばれぬよう。

 彼女がもう過去を思い出すことないよう、一生傍にいようと幼日に誓った。


 そんな彼の決意をシャーロットもまた知ってしまった。

 あの風の神童としてデニング公爵家の神童がオークに極めて近しい人間になったのは自分が原因だったのだとようやく気付いたのだ。


「理由? でもあいつ。良い子でいるのに疲れたからオークの真似していたって、そしたら意外と性に合ってたとか言ったましたわよ。そんな事実があのデニング公爵様に知られたらどうなることか……。鉄拳制裁は間違いありませんわね」


 けれどスロウ・デニングの擬態は終わった。

 これから彼は風の神童として、デニング公爵家の直系として相応しい場所に帰っていく。

 彼はそんなもの興味ないと言っているけれど、デニング公爵領地の領民や大勢の国民に乞われればどうだろう? 

 シャーロットは彼のやさしさを誰よりも知っているつもりだった。


 ……その時はきっと。


「あの。それよりアリシア様はいいんですか? シューヤ様を放っておいて。スロウ様が言ってました。アリシア様とシューヤ様は……」

「……私とシューヤが、何ですの?」


 途端、背後に剣呑な闇を帯びるアリシア。

 彼女が一歩踏み出す度に威圧感が増し、シャーロットは一歩下がらざるをえなかった。


「ええと。その好き者同士だって」

「……は?」

「だからシューヤ様、アリシア様がずっとスロウ様の部屋にいること気にしてないのかなぁって」

「――はぁぁああああああああああああああああああ???? シャーロットさん、今私の聞き間違いじゃなければ今何てッ!!!????」

「ちょ、苦しいです! アリシア様! 服は掴んじゃダメですっ、伸びちゃいますから! 今、私の服。これしかないんです!」


 その時、後ろから拍手が上がった。

 アリシアとシャーロットの振り返った先には校舎に張り付く虫となっていたシューヤが地面に降り立ち、彼の頬っぺたにキスをするメイドの姿が見えた。

 ……。

 …………。

 ………………。

 本当に。

 本当に本当に。

 一体、何があったのだろう?

 彼と彼女の間に何があったのだろう?



「こほん……シャーロットさん。それで! 私とシューヤが……その……何ですって?」


 一つ咳払い。

 アリシアはシャーロットの服を掴んでいた手をようやく放した。


「な、何でもないです! ごめんなさい! 勘違いだってことが今よく分かりました!」


 先ほどの光景を見てシャーロットは理解した。

 シューヤ・ニュケルンとアリシア・ブラ・ディア・サーキスタの間には、彼女の主が心配していたようなことが全くないことを。

 友達だけど、ただの友達。

 確かに仲は良いけれど、それだけだ。

 恋愛とかそういう感情が彼らの間には一切無し。

 だって、そんな感情があるのなら。

 あそこにいるシューヤ・ニュケルンが自分たちに。

 シャーロットの前にいるアリシアに向かって手を振るなんてあり得ないだろう?


「そう。誤解が解けたようで何よりですわ」

「ご……ごめんなさい。すっかり勘違いしてました……」

「はぁ……あの馬鹿、シューヤのことは置いときましょう……。何やらのぼせ上がってるみたいですし、あいつにはああいう所があるって私よく知ってますから」


 誤解が解けたのならそれで充分。

 それよりも、アリシアは気になっていることがあったのだ。


「それよりシャーロットさん。私思うのですけど、貴女はちゃんとした魔法の先生を見つけた方がいいと思いますわ」


 切り替えの早さは彼女、アリシアの美徳であった。

 次なる議題はシャーロットの魔法についてである。


「私の先生、ですか?」

「そうですわ。シャーロットさんは光の魔法使い、六大魔法の中で光と闇の魔法はちょっと特殊。光と風とか、水と光とかの二重魔法使いダブルマスターならこの学園にもそこそこいますけど、確か光の魔法だけに特化した魔法使いシングルマスターは私の知る限りいませんわ」

「確かに光の魔法使いは珍しいって聞いたことがあります」

「ええ、そうなんですの。まぁ豚のスロウがデニング公爵家に戻るなら、シャーロットさんの魔法の先生はすぐに見つかると思いますけど」


 そりゃあそうである。

 デニング公爵家に仕えている貴族の数は百人を優に超えているし、当然魔法に特化した家庭教師だって大勢いる。光の魔法に目覚めたシャーロットにはデニング公爵家が抱える専属の家庭教師があてがわれることになるだろう。


「私はやっぱり――あいつに教わるのが一番良いと思うんですの」


 それはシャーロットにとって意表をついた言葉だった。


「だってあいつは魔法に関しては天才ですわ。あの最悪オークの時でも魔法学の授業はいつも満点でしたし、光の魔法に関しても詳しいに決まってる。もう意地を張るのはお止めになったら?」


 あの忙しい、これからは今までの比ではなく忙しくなるだろうスロウ様に直接魔法を教わる?

 そんなの……迷惑以外のなにものでもない。

 ――そんなの……お願い出来るわけがない。


 真っ直ぐに見つめるアリシアから思わずシャーロットを視線を逸らした。


「魔法使いの勉強をすることになったらきっと従者を辞めさせられますわよ。それはシャーロットさんが一人前の魔法使いになるまで続く。その間は多分、別の誰かがあいつの従者になりますわ。お目付役のような意味も兼ねて。それは一人かもしれないし、一人じゃないかもしれませんわ」


 このままの関係ではいられない。

 そんなこと、言われるまでもなく分かっている。

 ……。

 今、思えば。

 彼との二人旅はまるで夢のように楽しかった


 でも、これから現実が待っている。

 落ちこぼれ従者である、彼女に現実が降りかかる。



「それが嫌だから、あんな必死に魔法の練習をしてるんでしょう?」



 主は英雄となった。

 

 ならばデニング公爵家から与えられていたシャーロットという従者は用済みだ。



「このままじゃ絶対に貴女。従者、首になりますわ。デニング公爵家はずっと貴女があいつの従者を務めていたからといってそのまま従者を続けさせる程甘くはありませんわよ」


 

 だって彼女には何一つ誇れるものが無いのだから。


 二人だけの逃避行。


 ずっと彼のことを傍で見つめていて、シャーロットは多くのことに気付いた。



「あの大貴族に情なんてありませんわ、あの事件が起きるまでは南方一の大国だった騎士国家。ダリスはこれまで、停滞を盛り返すにきっかけを探していましたわ。そして今、そのためのピースは揃った。だからダリス王室はあいつにあれだけの額の懸賞金を掛けているんですもの。豚のスロウがダリスに戻れば、強引に英雄の末路を歩むことになりますわ。ダリス中の期待を背負えばあいつは抗えない……あいつ本来の性格を思えば、英雄としての振る舞いを拒否出来るとは思えませんから」



 スロウ様はすごい。

 従者として隣に立つなんて……。

 ……おこがましいと思うぐらい手の届かない人になってしまった。



「シャーロットさん、貴女は不要。そんなデニングの下す決断に異を唱えられるのは光のダリス王室ぐらいかしら…………いいえ、もう一人いますわね」



 どうすれば――私は、あの人の隣にいられるのだろう?



「堕ちた風の神童は英雄として帰還した。黒龍討伐者ドラゴンスレイヤーの名誉は、デニング公爵家の権力、光のダリス王室の威光に匹敵し得る支持を民衆から得るまでになりましたわ」



 シャーロット・リリィ・ヒュージャックは両拳を強く強く、握り締める。



「だから貴女が従者として在り続けるためにはあいつに守ってもらわなくちゃいけません。だってシャーロットさん。幾ら貴女が嫌だと言っても、貴女はデニング公爵家の人間ですからデニングの命令に逆らうことなんて出来ませんわよ」



 そんな彼女を空の上から。



「……それにきっとあいつも――貴女の言葉を、待ってると思いますわ」



 どこまでも続く天上の大空から、一羽の鷹が見つめていた。


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