190豚 ギフトサーキスタは―――

「イギイイイイイッ、ギイイイゥウウウ」


 不吉な音を奏で、暗闇の中でランランと光る二つの赤い両眼がそこかしこに存在する。何度も何度も暗い影からモンスターが弾むように飛び出し、結界を破壊せんと跳躍する。

 だが、それだけではなかった。

 怒涛の魔法が結界を削っていた。

 百を超える氷の刃が次々と空中に発生し結界に向かって発射される、土の土石流が結界を覆い尽くさんと溢れ返る。轟音と共に、地面が大きく揺れていた。

 ゴガガと結界が削れていく音が耳に聞こえる。

 魔法を極めた死霊魔術師リッチの力は一般の魔法使いとされる力量を遥かに超えていた。超自然的な現象の前にはただの結界であれば数秒と持たなかったであろう。

 そんな力の持ち主が二体いる。

 さらにその周りでは恐ろしい勢いで土の中からモンスターが蘇っていくのだ。結界の崩壊を今か今かと待ち望んでいる大勢のモンスターは見るものに叫び声すら出せないような恐怖を植えつける。


「ミイイウウゥッ」

「モンスターでありながら、死霊魔術師リッチ共の間には仲間意識でもあるというのか。まさかこれ程早く蘇生させにくるとは」


 ギルドマスターは目の前の光景に対し、冷や汗を流した。

 これ程の窮地は彼をしても余り経験があるものではなかった。

 はて、アリシア様は我を失ってはいないだろうか?

 しかし隣に座る彼女を見れば、微動だにせず目の前を見つめている。

 いや、それは間違っている。

 彼女はここではないどこか遠くを見つめているようにも思えた。

 ギルドマスターは思考する。

 致命傷とまでは言えない傷、動きは鈍るがあのリッチ達をどう攻略するか。

 火炎浄炎アークフレアの力は当てにしていない、S級とされるモンスターの前に将来有望の冒険者を前線に立たせるなど、ギルドマスターとしては失格だ。

 A級冒険者セカンドランナーは冒険者ギルドの貴重な資源だ。

 悲願であるサーキスタのS級ダンジョン攻略に向けた重要な人材だ。

 モンスターには相応の実力を持った冒険者をぶつけるべし。

 やはりここは……自然と左手の手首に付けられた黄金の腕輪に伸ばされる。

 同盟国とはいえ―――王族であるアリシア様には見せたくはない力だが、こんな状況だ。

 仕方がない。


「アリシア様、結界を解除して下さい―――僕が出ます」


 しかし、アリシアはギルドマスターが立ち上がるのを片手で制す。


「その必要はありませんわ、ギルドマスター」


 大きく吐息を吐き出して、彼女は立ち上がった。

 短い記憶の巡礼が、教えてくれた。

 これから何をすべきか、蒼の憐光を発する小さな宝石が教えてくれた。


「もう充分に助けてもらいましたし、これ以上の借りを作ったらどうやって返さなくちゃいけないか考えるのも大変ですから」

「ということは……思い出したんですね」


 アリシアは小さく頷き、ギルドマスターはその場にさらに深く腰を下ろした。


「それじゃあ見物させてもらいますよ、アリシア様。僕は小さくはない傷を負ってしまいましたが、デニングが隠し持つマジックアイテムの力を見られるなら悪くない見物料だ。S級に指定されるモンスター二体を相手にどこまでやれるか……見ものです」

「ええ、とくとご覧あれ」


 アリシアの意思に反応するかの如く、杖に埋め込まれた蒼色の宝石が鋭い輝きを生じ始める。

 もはや彼女は臆さない。

 彼女がこれまで生きてきた中で、一二を争う程の恐ろしい景色が結界の外に広がっていようともアリシア・ブラ・ディア・サーキスタは臆さない。

 ちなみに比較しているのはクルッシュ魔法学園で起きた黒龍騒動だ。

 あれは怖かった。

 もう死んだと思うぐらいに恐ろしかった。

 今もあの時と同じぐらい怖い状況に違いないのに、恐怖はどこかに消えてしまった。

 思い出した記憶の余韻が身体に熱を与えていた。

 

「豚のスロウ、ナイスですわよ」


 それにあいつはやってきたのだ。

 デニング公爵家三男としての責務なのか、次期公爵としての公務だったなのか、幼いアリシアには何も分からなかったけれど。

 もしかしたら勉強だったのかしれない。

 もしかしたら訓練だったのかもしれない。

 もしかしたら実践だったのかもしれない。

 どれ程考えてもデニング公爵家のお家事情には余り詳しくないアリシアには分からないけれ、あいつは―――。 

 目の下に子供らしくない黒い隈を作ってあいつは―――。


『ふぅ、間に合ったか……。それじゃあまた来いよアリシア。今度はもっと時間を作ってやるからさ。あぁ、それはお前への贈り物。デニングからサーキスタへの、ギフトってやつかな。で、シルバ。詠唱は何にしたんだ? ちゃんとかっこいいやつにしたか?』


 ―――来てくれたのだ。

 最後の最後で、自分の見送りにきてくれたのだ。

 だけど不思議だ。

 遠い昔の記憶の一ページ。

 たったそれだけのことで、どうして私はこんなに嬉しくなってしまったのだろう?

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