185豚 荒野に佇む―――final
未だアリシアが持つ杖からは結界が構築されている。
モンスターの攻撃によって破壊される気配が微塵も感じられない力強いもの。
岩肌に背を預け、結界の外でユニバースに向け行進を続けるモンスターを見つめながらギルドマスターは軽く息を吐いた。
それにしてもよく二人はこの状況下で生き延びたものだ。
幸運の連続の中でも最たるものは彼女が自分の杖を取り戻したことだろう。
「これが?」
「ええ。貴方の杖に埋め込められた宝石はデニングの魔道具、彼ら流に言うところのマジックアイテムです」
彼女の話によるとユニバースから離れるように逃げた先に杖を奪ったダンジョンマスターを見つけ、リンカーンに取り返すよう頼んだらしい。リンカーンはお願いなんて可愛いものではなくあれは脅迫であったと主張したが、そこのところはどうでもいい。その後二人はそのまま隠れられそうな岩石地帯に移動、勝手な行動ばかりで苛立っていたリンカーンがアリシアに対して魔法使いなら結界でも張ってみろと罵倒したところ、アリシアが果敢にも挑戦。
するとアリシアの予想も上回る強力すぎる結界が生まれたのだとか。
「……で? ギルドマスターはこの結界が私の力ではなく、この宝石によるものだと言いたいんですの?」
どことなくどや顔の彼女から視線を外し、二人の背後で気絶しているリンカーンをちらりと眺めるとギルドマスターは再び語り始めた。
結界の外に出てモンスターをぶっ飛ばしてくる等と息巻いていた彼をギルドマスターが強引に意識を刈り取ったのだ。
モンスターの気配に高揚するダンジョン中毒者はやはり厄介だと思わずにはいられなかった。
それも高位冒険者のダンジョン中毒者など、百害あって一利なしとさえギルドマスターは考えていた。
「その通りです。貴方の杖に埋め込まれている宝石は紛れも無くデニングのもの。マジックアイテムについて詳しい者が調べねば分からぬ程、ただの宝石に擬態させたマジックアイテムです」
「……そんなこと初めて聞きましたわ」
「ええ、知られておりません。知られてはいけない類の情報です。彼らデニング公爵家の者達は常にダリス軍と共にあることを宿命付けられている。故に彼らは常に領地を空け、そのためにデニング公爵領地にいる家臣団はいざという時のために巧妙に擬態させたマジックアイテムを幾つも肌身離さず隠し持ち、身に着けていると言われています。デニングの力を込めた秘伝のマジックアイテムを、自分達の代わりに大切な人達を守れるように」
アリシアは杖を見つめた。
今もなお、ずっと結界を維持している杖。
蒼色の綺麗な宝石が一つ、埋め込まれていた。
「本来であればアリシア様、貴方が持っている筈の無いものです。無礼を承知でお聞きしますが、それはかのドラゴンスレイヤー。スロウ・デニングから渡された石ではありませんか」
「……分かるんですの?」
「ええ、各国の事情を一度徹調べたことがありますから……ですが、やはり事実でしたか。デニングのマジックアイテム……それは彼らが一人前と認められた場合や功績を挙げた際、自由に使って良いと当主より直々に渡されるものなのです」
彼女は知っている。
デニング公爵家の者たちはスロウに期待していたと言うが、それは語弊がある。
「……恐ろしい話だ、あのデニング公爵家の中で出自の序列も飛び越えて、一人一人が
アリシアは知っている。
あいつは本当に、特別だった。
血みどろの政争を繰り広げられることも珍しくないデニング公爵家当主問題。
だが誰もが異論を唱えることが出来なかった。
「スロウ・デニング。彼は超大国ダリスの命運を担うとまで言われていました」
次期デニング公爵家当主はスロウ・デニング。
あいつを中心にダリスの国防はさらに進化を遂げる。
どれだけの貴族があいつの誕生日等にデニング公爵領地に集まったか。
どれだけの他国から縁談の申し込みが殺到していたか。
だが、それ程の寵愛を受けながらあいつは変わった。
信じられないぐらいに変わってしまった。
「しかし、そんな少年は変わってしまった。将来を渇望されたダリスの風に、風の神童の身に何があったのかは誰も分からない」
理由はアリシアさえも分からない。
何度も問い質したことがある。
しかしその度にぶひぶひ言いながらこれが本当の俺の姿なんだよアリシアなんて言われたもんだ。
その度に悔しくて涙が出た。
嘘だ、嘘に決まってる。
何か理由があったに違いない。
あのスロウが、自堕落なオークのような豚になるなんて有り得ない。
「そして彼は現当主バルデロイ・デニングが掲げる教育の中では異例のクルッシュ魔法学園送りとなった。彼に残されたのはたった一人の従者だけ。異を唱える者は一人もいなかったと言われています。事実上のデニング公爵家追放です」
アリシアはデニング公爵領地に行くたびに大勢の人に聞いた。
スロウの騎士であるシルバとクラウドは当然として、公爵家に仕える使用人達にも聞いたもんだ。
けれど、アリシアもお兄さんのように慕っていたシルバもいつの間にかデニング公爵領地から消えていた。
杖を握る手に力が篭もる。
「……アリシア様。どうされたました?」
「いえ……何でもありませんわ。ちょっと昔のことを思い出しただけですから……」
デニングの人たちはスロウのことをいつしか厄介者にするようになっていた。
だけど、あいつは気にしてる様子は無かった。
あれだけ溺愛されていたのに、あいつの居場所は徐所にデニングから無くなっていた。
デニングはダリス貴族の模範となるべき大貴族。
そんな場所に自堕落オークとなったあいつの居場所などあるわけが無い。
その姿を見るのが心苦しくて、アリシアはデニング公爵領地に行くことを止めた。
その後は豚公爵の出来上がりだ。豚のスロウに纏わる悪い噂はサーキスタにまで届いていた。
「貴方は彼の婚約者であったなら嫌な思いも多々ご経験でしょう―――」
「……」
言葉を返す気にならなかった。
豚のスロウの噂が届く度に、自室でクッションを壁に投げつけていたのだから。
違う、違う、違う。
あいつはそんな奴じゃない。
皆、騙されているだけだ!
あいつは小さい頃から何でも出来た!
だから演技だ、あんなの演技に決まってる!
何で誰も気付かないんだ!
何度枕を涙で濡らしたか分からない。
あいつはぶひぶひ言うばかりで何も言わなかった。
「アリシア様―――デニングの――――――魔石に――――――結界――――――――――――――僕も――――――ます。そのうち
婚約者だった自分にも何を言わなかった。
それが無性に悲しかった。
私は分かってる。
ずっとあいつを見てきたんだ。
シルバさんやクラウドさんより、ずっとずっとあいつを見てきたんだ。
婚約が解消されたと両親から伝えられた時は、荒れに荒れた。
勝手なことしないでよと泣き喚いた。
「状況は―――――――――。――――――――――――動けません。それまで―――――――――ですが―――」、
だけど、ある日。
もはや豚のスロウのことなんて忘れかけたある日。
彼女は聞いた。
スロウ・デニングがクルッシュ魔法学園に入学するとの噂が水都サーキスタにも広がった。遂にデニングから見放されたかと街の人々は笑っていた。
水霊王宮から街に出ると、指を指された。
すぐさま荷物を纏め、両親を説得した。
そして、彼女は数年ぶりに出会った。
冗談抜きに出荷直前の豚が指揮する本物の豚達がクルッシュ魔法学園の入学式で暴れていた。
その時の絶望は計り知れない。
「―――シア様――――――その石を彼から貰った経緯を教えて頂けないでしょうか?」
「……え?」
現実に引き戻される。
ギルドマスターはごしごしと顔にこびりついた血を拭って微笑んでいた。
その様子を見て、アリシアには何故か彼がギルド職員からあれ程慕われているか何故か分かる気がした。
けれど、どうしてあいつの話を?
アリシアは首を傾げた。
「よくご存知でしょうがデニングは戦闘に特化したダリスの大貴族。彼らの役割は
「確かに有り得ないですわね……あのデニングですから……」
ダリスの盾である王室騎士団とダリスの剣たるデニング公爵家。
軍を指揮するデニングの者達にはダリスで唯一、赤く染まった外套を被ることが許されている。
白い外套の
彼らが作り上げた魔道具が結界だけの筈が無い。
けれど、そこでアリシアは不思議に思う。
「ドラゴンスレイヤーの力が込められたマジックアイテムはダリスの国宝たる
そういえば、どうしてあいつはデニングのマジックアイテムらしいこの綺麗な石を自分の杖に埋め込んでくれたんだろう。
「アリシア様、貴方は知っている筈です。ドラゴンスレイヤーから教えられている筈です―――杖に埋め込まれた宝石からデニングの力を引き出す方法を」
何であいつは自分にこれをくれたんだったっけ。
アリシアはうーんと、過去を思い出し始めた。
うーん、うーんとゆっくりと昔を思い出していった。
「この宝石は―――」
そして、語り始めた。
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