175豚 炎の戦闘人形【⑤ sideシューヤ】
こちらに近付いてくる少女は大勢の冒険者の存在など気にも止めず、淡々とやってくる。
表情を変えることなく、真っ直ぐに。
暗い闇を背後に添えて、役者のように彼女は歩調を乱さない。
ダンジョン都市の前面に広がる地平線の向こう側まで繋がる夜の荒野。
何百年もの歴史の中、数十万人もの冒険者達によって踏み固められた大地を闇の魔法使いがやってくる。
佇まいだけで、彼女が只者ではないことが分かった。
ギルドマスターを襲ったとされる凄腕の魔法使いの接近に、特に二つ名持ちの高位冒険者は武器を持つ手に力が篭っているようだった。
殺気立った気配に俺の背筋がヒュンとなる。
ヒューヒューとアリシアを囃し立てていた声はいつの間にか消えていた。
「……こ、こっちに向かって来てますけど……あの子って一体何者なんですの?」
「正体に関しては見当が付いています。僕だけでなく、この場に残っている後ろの彼らもまた理解しているでしょう。アリシア様がこの場にやってくる直前に気付いたので彼らとの間で認識の確認はしていませんが、恐らく僕の推測は外れてはいません」
「ギルドマスター、それって一体どういうことですの?」
「彼女の背後にいる男に見覚えがありませんかアリシア様」
「背後……? あっ、ほんとだ。誰かがいますわね、気付きませんでしたわ……」
俺も気付いた。
注意深く観察すれば、少女の背後で倒れ込んている十名近い冒険者達の間に誰かが立っていた。
顔色は悪く、背は高く痩せこけている。
蒼みが掛かった白髪で、北方人特有の彫の深い顔。
何かのモンスターのものだろう黒い皮で出来た外套を羽織り、俺達を見下していた。
不吉な負のオーラと言い換えてもいい。思わず目を逸らしたくなるような禁忌の類。まるで今朝潜っていたC級ダンジョン、理想の墓場で出会ったゾンビ達のように生気が感じられない。
アリシアが気付かないのも無理はないと思うぐらい、存在感というものが奇妙に薄い男だった。
「確かにあの顔はどこかで見たことがあるような……」
「アリシア様。経験を積んだベテランの高位冒険者にもなると、壁に張り出される程の高値のクエストに描かれているモンスターの造形なら一度見れば忘れないものなのです。だからでしょうか、あの男のように手配書に描かれる程の凶悪人の人相なら、僕たちが見間違うわけがないんです―――」
「凶悪人? あの男が?」
そこで俺は気付いた。
俺の周りにいる高位冒険者達はあの少女を見ているんじゃない。
彼らの親玉であるギルドマスターを襲撃した黒髪の少女を無視してまで―――。
「……っ」
―――あの亡霊のような男を見ているのだ。
暗い血が皮膚の下に通っているのではと思う程に血色が悪い。
存在感も妙に薄いくせに、その姿を一度捉えてしまうと顔を逸らすことが出来ない不思議な魅力を持つ男。
俺はそこで強烈な違和感を感じてしまった。
まるであいつが物語の中に登場するような、途方もない有名人に出会ってしまったかのような―――
「あの男は―――ドライバック、シュタイベルトです。分かりやすく言えば」
名前を聞いて、俺は一瞬戸惑った。
それは余りにも有名過ぎる名前だから思考が追い付かなったのだ。
けれど、その言葉の意味を噛み砕いて理解した時、硬直した。
馬鹿か、俺は。
今すぐ、逃げろ。
走りだせ。
今すぐに。
躊躇うな、と。
学園でもそう教えられてきただろう。
「……嘘、だろっ」
どこかで見たことがある顔だと思ったのは間違いじゃない。
俺は何度も何度もあの男の顔を見たことがあったし、クルッシュ魔法学園の友人達と何度話題に出したか分からない。
町中に貼られていた手配書の類、その中にはそいつの顔は必ず描かれていた。
物心ある子供なら誰だって知っている。だってそいつは最も警戒すべき相手だから。
誰でも敵の顔は知るものだ。
特に敵国で最も脅威になる存在なんて、自ずと会話の節々に出てくるものだ。
魔法使いである俺なら誰が一番魔法が上手か議論するのと同様に、この世界で誰が一番強いのか討論する時、そいつの名前は真っ先に上がるぐらいの有名人だから。
俺の周りでギチギチに固まっている高位冒険者達は驚くほど油断ならない目で、男の一挙一動を観察していた。
何があっても即座に対応出来るように。
リンカーンさんもいつの間にか
当たり前だ。
何を馬鹿なことを考えているんだ。
本当は今すぐにでも逃げないといけない。
だけど、動けない。
魅入られたように、動けない。
「
ドライバック・シュタイベルト。
手配書の中だけに存在すると思っていた。
俺の人生で絶対に出会うことは無いと思っていた。
けれど闇の中に佇んでいるあの男は北方を支配するドストル帝国最悪の、三銃士の一人に、間違いがなかった。
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