176豚 炎の戦闘人形【⑥ sideシューヤ】

 その名を聞いて、後ろ姿だけでもアリシアが固まったのがよく分かった。


「アリシア様。僕がお逃げ下さいといった理由が分かったでしょう? あの男は帝国の三銃士であり、彼はあの少女に従う様子を先ほど見せていた。ならば、あの少女の正体もまた議論の余地はありません。彼女は闇の大精霊様です」 

「……え、ええ、あ、あれは半人半魔の亡霊リビングデッド本人と闇の大精霊様ですわね、間違いなく……申し訳ありませんが……逃げさせてもらいますわ……」

「それが最善です。もしもの時は、いや、考えることすら恐ろしい。当然、君も共にゆけ火炎浄炎アークフレア。君に与えた特別クエストはアリシア様の護衛。これからもう一段階上に登り詰める気が君にあるならば、冒険者として王族の護衛を任せられるようなクエストも存在する。将来への貴重な経験とでも考えておけばいい」

「それはッ」

「思い上がりだ。ユニバースだけでも数十人はいるA級冒険者の君に何が出来る。そもそも君は特A級に上がるよう僕が取り計らった特別クエストをみすみす逃した失敗者。再度僕の命令に逆らうようなら、冒険者としての未来は無いと考えてもらう」


 リンカーンさんは抗議の声を上げようとしたが、ギルドマスターがピシャリと言いくるめる。


 アリシアが振り返った。

 俺も見たことがない、絶望の表情を顔に張り付けて、呼吸を忘れたかのように固まっていた。


「……逃げるわよ、アリシア様」

「あっ」

「逃げるっつってんの!」


 リンカーンさんに腕を捕まれ、アリシアはびくりと硬直していた。

 だが構わずにリンカーンさんは駆け出した。アリシアが思わず転げそうになっていたが、何とか踏ん張って付いていく。二人はもう背後にいる黒髪の少女と三銃士の男を振り返ることもなく、冒険者の一団によって開けられたユニバースへと続く道を疾走する。

 俺の横を通り過ぎた時、アリシアの長い亜麻色の髪が僅かに俺の頬を擦った。


「―――シューヤっあなたも―――逃げ―――」


 けれど恐怖に打ちのめされている様子のアリシアとは違い、俺はその場を動かなかった。

 自分の意思で、動かなかった。


 三銃士の中でもドライバック・シュタイベルトだけは闇の大精霊様にのみ忠誠を誓っているとされており、あの黒髪の少女に対してドライバックが敬意を払っているのはここからでもよく分かった。

 闇の大精霊様の命令無くして、あの三銃士は動くつもりはないのだろう。


 暗闇の先では逃げ出した二人に猶予を与えるかのように、表情を崩さない闇の大精霊様が俺たちとは一定の距離を取ったまま止まっている。


 このような異常な状態の中に置かれながら、俺は確かに高揚していた。

 だって俺の勘違いで無ければ闇の大精霊様は信じられないといった表情でこちらを見ているんだ。

 だって俺の勘違いで無ければ、闇の大精霊様は大勢の冒険者の中から俺のみを見つめて、今も視線が重なり合っている状態なんだ。


 闇の大精霊様は優秀な魔法使いを好み、育成すると聞いたことがあった。

 実際に彼女の元で魔法を研鑽し、歴史に名を遺した魔法使いは大勢いるんだ。

 

 この場を去り行く二人の足音が次第に小さくなる。

 二人に聞こえるように俺は叫んだ。

 高揚と共に―――俺はもしかすると、選ばれたのかもしれない。


「アリシアっ! 俺はもう少しここにいる―――!」



   ●   ●   ●



 小さな好奇心が人を殺す。

 シューヤ・ニュケルンはその事実を十分に知っていた筈なのに。

 どうして俺はまた過ちを繰り返すのかと、後に彼は後悔せずにはいられなかった。


「あの馬鹿ッ! 何がもう少しここにいるよ! リンカーン! 戻りますわよ! シューヤをあの場に置いて逃げるなんてダメですわ!」

「ふざけないでアリシア様! 私はレングラム様と貴方を守ると約束したのよ!」

「ですがッ」

「相手は帝国の三銃士と闇の大精霊様! 奴らの目的も分からず、万が一戦いになれば勝ち目は無い! 帝国の半人半魔の亡霊リビングデッドに纏わる噂は知っているでしょう! あの男は一人で国を落とすとまで称えられるドストル三銃士! しかも三人の中でも最悪のリビングデッドよ! 奴が呼び起こす亡者の軍は見境無く殺戮を繰り返し、その力はあのリビングデッド自身もコントロール出来ていない災いの力! 帝国でも疎まれ、近寄る者は闇の大精霊様以外にいないと言われる程の危険人物よ! それにあの赤毛君は自分の意思であの場に残ると言ったのよ!」


 新たな舞台が整えらる。

 彼が帰還したクルッシュ魔法学園を襲ったあの時とは大きく違う。


「そんなことは百も承知、でもシューヤは馬鹿だから戦場の雰囲気に呑まれているだけ! それにシューヤをこのユニバースに連れてきたのは私ッ! 私にはアイツをダリスに連れて帰る義務があるんですわ!」

「あのねえリビングデッドに出会ったら全財産捨てて逃げろって孤児でも知ってる話! あっこら! そっちは逆方向!」


 スロウ・デニングが大人しく風の導きウィンド・ガイダンスに従い、最年少でデニング公爵家当主へと至っていれば―――。

 運命の悪戯によって、風の大精霊と彼女がスロウ・デニングの前に現れていなければ―――。


 二人の運命が交差する。

 シャーロット・リリィ・ヒュージャックとスロウ・デニングの関係性に一石を投じるアニメの中核に迫る登場人物。

 アニメの中で見せたキャラの格で言えば、嫌われ豚公爵でさえメインヒロインである彼女の輝きには勝ちえない。


 ―――彼がデニング公爵家次期後継者であるならば。

 ―――伴侶は彼女以外にあり得なかった。

 ―――始めよう。


「貴方もあのギルドマスターを尊敬してるならッ! 私の護衛として―――その特別クエストってのを完遂したいなら着いてきなさい! 言っときますけど王族ってのは我がままですわよ! 私も含めて!」  


 ―――風の神童と水都の姫による、もう一つのあり得た未来の形を。


「本当に王族ってのは救いようが無いわがままね! 自覚がある分さらに悪いわ! 貴方が本当にただのE級冒険者ならぶった切ってる所よ! 待ちなさい! アリシア・ブラ・ディア・サーキスタ! おう、お前ら! その子はサーキスタの王族だ道を開けるんじゃなくて捕まえろボケが!」

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