102豚 コボルトの襲来

「スロウ様。ご飯までもうちょっとですから、待っててくださいね」

「ぶひ~」


 皇国に侵入してから数日目のお昼を俺たちは迎えていた。

 黙々と薪の煙が空へと上がっている。

 大草原の中で俺達は食事のためにその辺の草や枝を折り、焚き木をしているのだ。


「はい、スロウ様。ヤモリの塩焼きです。熱いですからふーふーしてくださいね」

「ヤモリ……? ……の塩焼き?」


 高貴な生まれである俺にはちょっと馴染みがない食べ物だった。

 ふむ。こんがりと焼けたヤモリが食べないで~と俺に訴えかけている。

 リアルオークである俺がじーっと見ていると、淫魔であるサキュバス姿のシャーロットがパクリと食べてしまった。


「あ……食べられちゃった。というかシャーロット、他に食べ物ないの? 俺、隠者の里で滅茶苦茶買った記憶があるんだけど……」

「何言ってるんですか、スロウ様が保存食をバクバクたった数日で半分以上食べちゃったじゃないです。幾ら外見がオークみたいだからって食べ過ぎです。中身までオークの真似をする必要ないです。これからはここで食べ物を見つけて、隠者の里で買ってきてたものは切り詰めて食べないといけません」

「……ぶひ~」

「オーク語で誤魔化したってダメですよ。私はスロウ様のことなら何でも分かるんですから」

「ごめんなさい」


 皇国ヒュージャックへの侵入はスムーズに成功した。

 国境沿いの空を舞うエアリスの部下、飛翔型モンスター達からの視線は確かに感じたが、ぶっひっひーと国境を超える俺たちに特に反応することもなかったのだ。

 そこから数日、特に行くあても無く皇国の草原を歩いた。

 地面に擬態したスライムを踏みつけてぴぎゃー! と怒られたり、カバみたいなモンスターが川岸で日光浴をしているのを眺めたり、小さな恐竜のようなレックスが草をはむはむと食べてたり、放棄された村で遊んでいるゴブリンを見たり、気分は動物園の観光と余り変わらなかった。


「はーいスロウ様。スープが出来ました。自信作です。沢山ありますからね」

「ぶっひ~」

 

 小さな木の器に入れられたスープをちびちびと飲む。

 ふう~、この塩が効いた味わいが何とも言えない、うまいぶひ。

 ……そこで俺は閃いた。

 俺は野良オークさんなのだからモンスターらしく豪快にいかなくては。

 ということで一気に胃の中へ流し込んだ。


「うまい! どうやって作ったの?」

「味付けですか? さっき捕まえた大蛇です! 簡単な罠を作ったんですけどすぐに引っかかってくれました! やっぱり人間がいなくなったからですかね、警戒心が余り無いんです!」

「ぶほごふ!」

「じょ、冗談です。スロウ様、大丈夫ですか!」

「ぐええ、ぶひい」


 シャーロットが背中をバンバンと叩いてくれたお陰で、俺は落ち着くことが出来た。

 ちょっとだけ笑っている意地悪なお姫様を俺はジト目で見つめる。

 肌白の淫魔へと大変身したシャーロットは水着みたいな服を恥ずかしがって、丈の長い地味なワンピースを羽織っている。

 それでみずみずしい肢体を隠しているつもりなのだろうが、妙に艶めかしい唇や薄いワンピースの生地がたまにボディラインを浮き上がらせて……もう、なんてこったい! なんてこったい! って思わずにはいられない。

 俺はシャーロットにサキュバスはモンスターだから恥ずかしがる必要はないぶひとか背中に生えてる小さな翼が窮屈そうじゃない? とか色々言ってるんだけどシャーロットは頑なにワンピースを脱ごうとしなかった。

 その姿は海に来てちょっとこの水着、大胆過ぎない? と直前で気付き、披露するのを躊躇い上からTシャツなどを着ている女子高生みたいだ。

 いや、俺はそんな素晴らしい経験をしたことはないけどね。想像である。


「それにしてもアルトアンジュ様はどこに行っちゃったんでしょう。ご飯になるものを探してくるって行ってからもう一日、帰ってきませんけど……」

「野生の血が騒いだって言ってたけど。まあ、あいつのことだ。心配することはないよ」


 風の大精霊さんのぶっとびっぷりは既にシャーロットも理解してくれた。

 猫又になったアルトアンジュは実体化出来たことが嬉しいらしく、皇国に入るとすぐに帰ってきたにゃあ~と叫びながらどこかに消えてしまったのだ。

 一応、モンスターを刺激するなよ~とは言ってある。

 後なんかあったら助けて、とも。


「野生の血……でも風の大精霊様があんな感じだとは思ってもいませんでした……。皇国では国を見守る素晴らしい猫様って感じで崇められてましたから。あ、いえ、アルトアンジュ様が別に悪いと言ってるわけじゃないです」

「大丈夫。俺も昔から同じ気持ちだったから」


 何て言うか大精霊さん達は皆、残念なのだ。

 俺が直接見たことがあるのは風の大精霊さんだけだけど。

 

「……皇国でモンスターに襲われたら大変って初めは思いましたけど、全然イメージと違います……平和って感じです。あの時のモンスターと全然違います」


 シャーロットは皇国をのそのそ~と歩いているモンスター達が考えている気持ちが何となく分かるらしい。

 それでクルッシュ魔法学園にやってきた大量のモンスターは怖かったけど、皇国にいるモンスターは怖くないのだそうだ。


「ダンジョンで生まれたモンスターは戦うために生まれてきたって言っていいけど、多分ここにいるのは俺たちと同じように親から生まれてきたモンスターだからね。別物と考えてもいいんじゃないかな」

「知りませんでした……スロウ様は物知りですね。それも精霊様から教えてもらったんですか?」

「うんそうだよ、精霊様は万能なんだ。でも俺もこの目で見るまでは信じられなかったよ。モンスターの顔とかも全然違うんだもん」

「ほんとそうですね……」


 シャーロットは水筒で温かいお茶を飲みながら、ほうっと息を吐いた。


「……ん?」


 がさごそと草むらを掻き分ける音が聞こえる。

 慌てて立ち上がろうとすると、シャーロットが俺の動きを制した。 

 草むらからひょっこり顔を出したのはコボルトだった。

 犬が二足歩行してるようなモンスター、夏だというのに暖かそうな毛皮。

 可愛さに特化したモンスターだ。

 見ればシャーロットもほっこりとしている。

 様々な悪いイメージがついたオークさんを見習えと思わずにはいられないな。

 

「オークと……サキュバス!? これはまた珍しい組み合わせだ。まさかここでサキュバスを見ることになろうとは」

「あ、こんにちは。コボルトさん」

「お……これはこれはサキュバスさん。ご丁寧にどうも、それはヤモリの塩焼きですか? またこれは乙なものを……」


 コボルトの尻尾がぴくーんと立ってゆらゆらと揺れ出した。

 全く分かりやすい奴だなあと俺が呆れていると、シャーロットが焚き木に差したヤモリの串焼きを一本差し出した。

 ぶひ!? それは俺の!?


「食べますか?」

「ぶひ!?」

「なんと! これはこれは……ありがとうございます」

「いえいえお腹が空いたときはお互いさまです」

「なんて話の分かるサキュバスさんだ。あなたに神のご加護があらんことを……では私はこれで」


 コボルトはヤモリの塩焼きを受け取るとシャーロットに向かってぺこりと頭を下げ、そのまま消えてしまった。

 あいつご飯だけ取っていきやがった!

 何て意地汚い犬だ……。


 とまあ、こんな感じで俺たちは平穏な毎日を過ごしているのだ。

 草原を歩いたり、川で魚を取ったり、夜に食べる。

 たまに親切にしたモンスターから食べ物を分けてもらったり。

 太るために昔のような暴飲暴食をしようと思ったが、この国では出来そうにもなくてちょっぴり残念でもあった。それにシャーロットがゲテモノばかりを俺に食べさせようとするので、中々食欲が進まないのだ。

 きちんと食べるけどね。


「穏やかです」


 シャーロットは皇国に侵入したばかりの時は緊張していたけど、余りにほのぼのした光景にシャーロットは毒気を抜かれてしまったらしい。

 俺も同意見だ。

 まさかモンスター同士で相撲を取って遊んで姿を見せられたらなあ。


「それにしてもシャーロット! 逞しすぎじゃない?」

「そうですか?」

「そうだよ!」


 とうとう俺はツッコミを入れてしまった。

 俺の想像を超えてシャーロットが逞しすぎるのが原因だ。

 アリシアだったら柔らかいベッドがいりますわ! とか 料理人が必要ですわ! キャー、虫ですわー! とかギャーギャー喚いてるぞ間違いなく。……全部、俺の想像だけど。

 何故アリシアなのかと言うと、あいつもサーキスタのお姫様だから同じお姫様繋がりということで皇国のお姫様であるシャーロットと同じカテゴリーなのだ!


「キャンプのやり方は一通りデニング家で教えてもらったんです! どこでも生きる知恵を小さい頃から叩きこまれてきました! 特にマローメイド長様からはきつく教えられました。昔は嫌だったけど、今は感謝してます!」


 白い淫魔さんはむっはーと語気を荒くして過去を思い出していた。

 何やらデニング家では子供の頃から様々なことをし付けられていたらしい。従者としての教育以外もいざという時のサバイバルマニュアル、それに簡単な護身術など。

 話を聞いているとシャーロットはハイスペックお姫様であることがよく分かった。

 容姿端麗であり様々な場所で生活出来る逞しさ、さらには文武両道で家事も万能、非の付け所が無い。

 俺の身体に上ろうとする虫とかも俊敏に取ってくれるし。

 一家に一人、シャーロットが欲しくなってくるな。

 

「お世話になりましたから、何も言わずに出てきちゃったことがちょっとだけ寂しいです。スロウ様がデニング家の立場捨てちゃってビックリしてるだろうなぁ……」

「一家に一人、シャーロット」

「え?」


 おっと、つい声に出てしまった。

 ちなみにマローはうちの屋敷の一切を取り仕切っているでかい婆さんのメイドだ。長年うちで働いているから父上も強くは言えないぐらいだ。


「お昼寝するぶひ」

「……スロウ様。怠け者です。今日何回目のお昼寝ですか? また夜寝られなくなりますよ」


 堅い地面にリュックから取り出した柔らかな布をひくと、それだけで即席のベッドの出来上がりである。

 俺はその上にごろんと転がった。

 黙々と立ち上る頼りない煙を見ながら、雲を眺める。

 こうすれば怠け者オークの出来上がりである。


「……私も」


 俺たちは二人、青い大空を見上げた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る