94豚 風の神童は帰還する④

 従者女子寮のシャーロットの部屋。

 モンスターの襲来で慌てて出てきたのだろう、整理整頓が行き届いているシャーロットの部屋が珍しく散らかっていた。

 俺は疲労困憊だったので、ベッドの上で横になっている。

 シャーロットはあの後挙動不審になったり、えぐえぐ泣いていたり宥めるのが本当に大変だった。

 今はベッドの端にちょこんと腰かけている。

 ちらちらと俺の様子を盗み見て、これまた不自然な態度だ。

 だが、意を決したのか顔をこちらに向けた。


「あ、あの……スロウ様は……全部知ってたんですね…………でも……精霊の姿とか声が聴けるなんて……反則だと思います」

「俺もそう思う。ちなみに今そこで風の大精霊さんが拗ねてるよ」


 事実である。


「え! あ! ごめんなさい! まさか風の大精霊様のお名前だとは思わなかったんです!」


 アルトアンジュの中ではシャーロットに忘れられていたという悲しい現実と、もう少しで実体化出来るという嬉しい未来のせめぎ合いが起こっていたらしい。

 結局、勝利したのは嬉しい未来。

 昔のことは忘れるにゃあとシャーロットに抱き着いていたが、当の本人は全く気づいていない。

 見当違いの方向を向いてシャーロットは風の大精霊さんに謝っていた。 


「大丈夫、アルトアンジュは怒ってないって。昔のことはすぐに忘れる変な猫だからね、風の大精霊さんは」


 アルトアンジュが非難するかのように目を細めて俺を睨んでいるが、無視だ無視。


「……スロウ様はずっと守ってくれてたんですね。もしかして豚になったのも私と一緒にいるためですか?」

「あれは長い反抗期みたいなもの。でも、理由の一つでもあったかな」


 俺ははぽーんと豚のぬいぐるみ君を頭の上に投げた。

 だけど、ぬいぐるみは俺の元に落ちてくることは無かった。

 シャーロットの後ろ頭に当たる。


「……どうしたの? シャーロット」


 ついでに天井も見えなくなった。

 シャーロットが横になっている俺の傍にやってきたのだ。


「……スロウ様。辛くなかったんですか?」


 もっと頭を下げてくれれば、カリーナ姫にキスされた時と似たような体制になる。

 あの時は俺が覆い被さる側だったけど。


「……そうだな」


 距離はあるけれど。

 皇国のお姫様のとっても形の良い唇、吸い込まれそうな綺麗な目元、それだけしか目に映らない。


「辛いって思ったことは無かったかな。やりたい放題で結構楽しかったし、俺は君のことが大好きだから傍にいられるだけで幸せだった。なんせ君はお姫様だ、秘密をこっそりと守る騎士みたいな気分だったよ。あともう少し頭を下げてくれれば、簡単にキス出来る体勢になるんだぜシャーロット」


 何せ経験済みだからな。

 俺は既に大人の階段を上ってしまっているのだ。

 俺のちょっとした挑発に驚いたシャーロットがびくっとしていた。

 

「わ、私はもうお姫様なんかじゃありません! もう皇国は無くなっちゃいましたし……それにそれ止めて下さい! 反則です。それ反則だからやめて下さい!」

「それって何が?」

「その……好きだよってやつです! わーってなっちゃいます……スロウ様いきなりカッコよくなっちゃったし……」


 こういうのは言ったもん勝ちなのだ。


「カッコいい? 俺が?」

「さっき皆、キャーキャー言ってました……」

「……ほんとぶひ? 後で確認してみようっと」


 こしょばゆいような感覚。

 俺がカッコいいなんて、なあ。

 三枚目がいいところだろと思ってたけど。


「無自覚なのはずるいです…………それでスロウ様。お話って?」

「そうだったそうだったシャーロットにお話があるんだったぶひぃ」


 身体を起こして、胡坐を組む。


「わあ……やっぱりそれ可愛いです」


 シャーロットは俺の真横にいる。

 そのまま抱き締めて、シーツの上にとりゃーって出来るぐらいの近さ。


「何が?」

「ぶ、……ぶひぃぶひぃ…が、です……」


 恥ずかしそうに顔を赤らめる。

 口癖だからしょうがないね、俺にはどうしようもないのだ。

 それにしても、シャーロットは俺の隣から離れない。


「近くない? 皇国のお姫様的にはありなの? これ」

「す、スロウ様は私のために頑張ってくれてたんですから……、わ、私はお姫様ですし、……騎士には褒美をあげないと……ごにょごにょ。で、でも……来るのが遅かったです……泣きそうになりました……」


 やっぱり恥ずかしそうにシャーロットは言う。

 ていうか泣いてたじゃん思いっきり、とは言わないのが男の美学。


「……お、お姫様を不安がらせるなんて……、き、騎士失格です……」


 ……。

 可愛すぎるだろ、何なのシャーロット。

 生きてて良かったわ。

 この思い出だけで一生生きていけそうなぐらい幸せだ。


「……」


 風の大精霊さんがはよ実体化させろって睨んでるけど……ほらしっし、野良猫さんはあっち行ってなさい。

 まだ準備が出来てないからダメっていうか無理だよ。


 それにしてもシャーロットの口調がいつとも違って、砕けたものになっているような。

 お互いに大きな秘密を共有したからかな。

 いやー、この場にシルバがいなくて良かった。

 あいつは今、ロコモコ先生や学園長と共に大聖堂で皆を守っている。

 まだモンスターはやってきているようだから、学園の皆には一箇所で固まってもらった方が都合がいいのだ。


「それでええとシャーロット、俺はこれから皇国に行こうと思うんだ」


 突拍子も無い提案にシャーロットの身体がびくんと跳ねる。 

 窓の外で魔法の炸裂音が聞こえた。

 同時に風の大精霊さんがバタンと倒れ、ピクピクと痙攣いた。

 恐らく結界を維持しているシルバが魔法を使って飛翔型モンスターでも打ち落としたんだろう。

 あいつは魔力使いすぎの傾向があるから、大精霊さんが実体化したらお仕置きされるだろうな。

 またまた先に言っておくわ、南無。


「皇国へ……? でも今あそこはモンスターに支配されてるって聞きます……危ないですよスロウ様」


 その通り。

 今、皇国はモンスターに支配されている。

 だが、好戦的なモンスターはあまりいない。

 エアリスという魔王のお姉ちゃんが仕切っているからだ。

 

「それにあそこで貴族の方がモンスターに捕まったらまずいことになるって……」


 うん、もしモンスター達に捕まって貴族だとバレたら国の攻撃とみなすって宣言してるしね。

 この国なら貴族階級、魔道大国なら魔導士といった具合に。


「貴族うんちゃらについては問題無い」


 エアリスから許可をもらい、自由に皇国を出入りしている人間もごく少数だがいる。


「当然あそこはモンスター達ばっかりだから危ないけれど、俺は行かなくちゃいけないんだ。そしてシャーロット、君に一緒に来て欲しい」


 シャーロットは押し黙った。

 何かを気にするかのようにそわそわとし、手をギュッと握った。


「……それは私が皇国の生まれだからですか?」


 不安そうな様子で俺を見つめている。

 俺はシャーロットを見つめ返した。

 ぬくもりが触れ合う服越しに伝わる。

 君にそんな顔はさせたくないと思っているのだけど、まだまだ俺はダメだな。


「シャーロット。俺は今でも豚公爵。一人だったら料理も洗濯も出来ないダメダメ人間なんだ」


 俺は自信満々に言ってのけた。

 確かに君は皇国の姫だ。でもね―――。

 

 


   ●   ●   ●



「―――君が傍にいてくれないと、三日で俺は野垂れ死ぬ自信がある」

 

 この言い方はちょっとずるいかもしれないな。


 

   ●   ●   ●




 彼女の視線の先には傲慢な主人の顔。

 何てずるい言い方だろうとシャーロットは思う。


「……はぁ。スロウ様の従者として相応しく在るって言っちゃいましたもんね、私」


 もしかしてはぐらかされたのかな? とも思うけれど。

 どんな言葉が返ってきても、結局自分は着いていくに違いない。

 滅びた皇国の姫という正体を知られて、それが原因でこれから距離を置かれたらどうしようとか、色々考えて損した気分だ。


(そうだよね……スロウ様はずっと私の正体を知ってたんだから……今更だよね)


 一切の不安も感じさせない顔で思い人が自分を見つめている。


「スロウ様。私を皇国に連れて言って下さい。私も知りたいです、知らないといけないと思います。あの国が今どうなっているのか」


 きっと危険な場所だ。

 でも、シャーロットは心配なんかしていない。

 スロウ様がいればへっちゃらですもんね、と笑った。

 ちょっとは可愛い笑顔が作れた自信がある。


(え……あれ? さっきのって……プロポーズ?? ……本に似たような台詞あったし……え!?)


 とんでもない飛躍をしてしまうのは彼女の悪い癖。

 ぶほっと赤くなり、それからあわあわとシャーロットは手を動かし、横に座る彼の手を間違って掴んでしまい―――。

 ―――固まってしまった。


 

   ●   ●   ●



 シャーロットがぼけ~として自分の世界から戻ってくるのに、結構な時間を要した。

 その間俺は床で一人大運動会をしている風の大精霊さんを見て笑っていた。

 実体化出来るという言葉を思い出したのか、大精霊さんが再び大はしゃぎしていたのだ。

 あ、また壁にぶつかった。

 やばいな、風の大精霊さんはマジで行動が予測不可能だから、実体化させたらとんでもないことをしでかしそうだ。

 ……これはちょっと早まったかな。


「あれ、でもスロウ様。学園はどうするんですか? まだ夏休みまでもうちょっとありますけど……」

 

 シャーロットがようやく復活したみたいだ。


「今回の事件で暫く授業何てできないよ。アリシアみたいな他国からの留学生だっているし、みんな領地に帰るはずさ。きっとすぐにでも長い休みに入ると思う」

「確かに……暫く授業は無理そうです……えっと、それでじゃあ出発はいつなんですか?」

「今からだよ」

「はい?」


 時が止まる。

 またシャーロットが固まった。

  

「多分、もう暫くしたら王室騎士達が学園にやってくるだろうから、そしたら、黒龍討伐とか色んなことを根掘り葉掘り聞かれる筈だ」


 それだけじゃない。

 シルバの属性変えをした付与剣エンチャントソード然り。 

 魔法を使えないあいつが盛大に風をぶっ飛ばした姿を見た者は大勢いるのだ。

 光の大精霊さんには既にバレてるだろうけど、他のお偉いさん方にも知られたら面倒なことになるのは火を見るより明らかだし、最悪なのはデニング公爵家内でのお家騒動に巻き込まれることだ。


「……確かに、とんでもないことになりそうですね」


 事の大きさを理解してくれたらしいシャーロットがさあっと青ざめる。


「それにきっと俺たちは離れ離れにな―――」

「―――た、旅の準備してきます! スロウ様! ちょっと待ってください!」


 シャーロットが大慌てで部屋から出ていった。

 そのままバッタンと俺はベッドに倒れ込み、天井を見上げた。


「ふぅー……」


 皇国ではこんな柔らかなベッドで寝れないと思うし、大変な毎日になるんだろうな。


「でもワクワクの方がでかかったり」 


 だって、もう俺は一人じゃない。

 隣には大好きな君がいる。

 夢じゃなく、新しい最高の第一歩がこれから始まる。 

 まずは死すべき定めにある魅惑のピクシー。

 番外編人気ランキング。

 お姉ちゃんになってほしいランキング堂々の第一位、魔王の姉エアリス。

 皇国を支配する君に今から会いに行く。


「ってここ私の部屋です!」」


 ドアをバタンと押しのけて戻ってきたシャーロットを見て、俺は思ったのだ。

 彼女の手には何故か大きな枕が握りしめられている。

 一体、どこから持ってきたの? とか。


 主従っていうのは、一心同体であるべきだと誰かが言っていた気がする。

 心底同意するのだけど、俺たちみたいな場合はどうなるのだろうかと彼に聞いてみたい、とか。


 数日以内に、俺から貴族という肩書は消えるだろう。

 そうなると俺とシャーロットの関係はただの恋人同士になるのかな、とか。


「シャーロット。寝る前にやっぱり一言」

「……何ですか??」


 そういえば、告白の返事を聞きそびれちゃったな。

 一応、もう一度伝えておこう。


「大好きだ。これからもよろしく」


 そして揺れ動く挙動の一つ、一つを俺はしっかりとこの目で見た。

 流れるような見事なフォームで、シャーロットは、手にする枕を俺に向かって―――。

 それは恐らく彼女の無意識な動作で、俺は彼女をからかい過ぎたことを理解した。


「だからそれ……反則ですってッ、スロウ様のバ―――カー――ッ」


 あ、やべっ。

 当たる―――。

 もう、体力の限界の限―――。

 意識がッ――――――。



   ●   ●   ●



 ベッドの上で盛大に夢の世界に旅立った彼の姿を間近で見ながら、皇国の姫は思った。

 自分の思い人はナチュラルに好きとか、色々と反則な言葉を言う傾向があるようだ。

 今までが黒い豚さんだったから、解放された気分でつい口に出ちゃうんだろう。

 けれど、このままだと、マズい。

 何だか妙な胸騒ぎを綺麗な銀髪のお姫様は感じてしまうのである。

 中身だけでなく、外見もカッコよくなっちゃったから……色んな所で色んな女の子を勘違いさせたりしないかしら? と。


(……でも、大丈夫だよね? 私、一応お姫様だし……。滅びちゃったけど、お姫様だし……。お姫様ってヒロインだし……王道中の王道だし)


 彼女が好む恋愛本の中では、お姫様なんて存在はそれだけでヒロインなのである。

 だから彼女は自信があった。

 負けないのである。

 誰に? とは彼女自身も分からないのだが。


 そして、何やらとんでもないことを達成した彼女の主。

 風の神童さんはずっとずっと自分のことを守ってくれていたらしい

 端正な顔立ちで、絶世の美少年といっても過言ではない男の子。

 少し前までは豚だった豚さん。

 

(……スロウ様がモテるようになるなら、私豚さんの方がいいなあ……)

 

 ついつい彼女はそんなことを考えてしまうのである。

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