93豚 風の神童は帰還する③

 あらかたのモンスターを倒し終え、残った奴等もさすがにビビッて逃げ出し始めている。

 もう俺もヘロヘロのぶひぶひなんだけど、まだ空に浮かぶ大ボスの存在が俺に休めを許さない。

 黒龍は絶賛戦闘中だ。

 だけどその相手は俺じゃなく―――。


「―――あいつ。強すぎじゃない?」

 

 水を得た魚のように縦横無尽に戦っているシルバのことだ。

 確かに剣の腕はピカイチだったけど、今は風の属性にエンチャントされた付与剣エンチャントソードを扱って、黒龍と対等に渡り合っている。

 あっ、黒龍さんが空に逃げた。

 若干黒龍さん、押され気味のような気がするし……。

 化け物かよあいつ……もう、あいつが主人公でよくない?

 ねえ俺、いる?

 俺は自嘲気味に笑うしかなかった。

 ……ちらりと背後を見ればシャーロットが目をうるうるさせて俺を見ていた。

 うそうそ、ちゃんとやります。


(スロウ……さぼってるんじゃないにゃあ)


 この声は大精霊さんだ。

 いつの間にか、俺の横にアルトアンジュがふよふよと浮かんでいた。

 いい感じにげっそりとしていて、学園を出ていく前と別人……じゃなくて別猫だ。


「ガリガリじゃん」

(あいつ魔力の使い方が下手過ぎにゃあ。やみくもにぶっ放してるだけにゃあ、あれだと多分あいつの身体に掛かる負荷も相当にゃあ)


 シルバのことだろう。

 確かに黒龍と戦っているあいつ自身が台風の目みたいになっている。

 けど後日、魔力酔いでひどい目に合うだろうな。

 先に言っておくわ、南無。


(にゃあが痩せたのは、お前が痩せた原理と一緒にゃあ)

「どういうことだよ」

(溜め込んだ脂肪が魔力に変換されたんだにゃあ)

「……は?」

 

 大真面目にそんなこと言われても……ていうか何だよその理論。

 脂肪が魔力の源って、どんな不思議生物だよ俺たちは。

 風の大精霊さんはどこから見ても超常の存在だけど、俺は一般人ですよぶひぃ。


(多分お前が最近食べてた変な薬が原因にゃあ)


 そう言うと、風の大精霊アルトアンジュさんが手で何か摘み、そのまま飲み込む仕草をしてみせた。そして苦そうな顔をしてにゃあああと唸った。

 何だそれ。

 新手の宴会芸かな。

 でも大精霊さん、友達いないから宴会に呼ばれないよね。


(お前の真似にゃあ)


 は? 俺の物まね? 下手くそすぎるだろ。

 ……え、痩せ薬飲んでる俺? 確かに喉越し最悪だから毎回唸ってたけど……。


(そんなことより、あいつにゃあ)


 黒龍とシルバの壮絶な打ち合い。

 炎と風のせめぎ合いはさながら映画のど迫力なワンシーンのようだ。


(あいつの剣に流れてる魔力をお前に回すにゃあ。一撃で仕留めるにゃあ)

「大精霊さんの力をこの身で使うのはちょっと怖いけど……そうだな。長い一日の終わりに相応しい締めとするか」


 俺は黒龍に杖を向ける。

 すると精霊達が続々と集まってきた。

 ねえ君の血をくれるの? 早く早く、と謡っている。

 悪いけど、もうご勘弁。

 たった一滴でも精霊に血を与えると感じる悪寒がひどいのだ。

 魔力もすっからかんで体力もぶひぶひ。

 こんな状態で、まだ俺に何を期待するというのか。

 がくんと、膝を付きそうになる。

 正直言って限界なのだ。まじで。

 そんな中さらに大精霊さんの力を借りるなんて、ほんと俺の身体はどうにかなっちゃうんじゃないだろうか。

 泥だらけになった大地のベッドがこっちにおいでと下手くそな誘い文句を投げつけてくるけれど、大聖堂の中からは頑張れーとかキャーとか、俺の待ち望んだ声援が聞こえてくるんだからしょうがないね。


「遂に俺の時代が来たようだった。豚だ豚と罵られ、豚菌がうつるぞ! とか言われ続けた俺の学園生活に―――」

「―――坊ちゃん! そろそろまじで限界っす! 俺じゃああれは無理です!」


 シルバが俺の独白に介入してきやがった。

 全く、主人公気取りやがって。

 シューヤから主人公イベントを奪ったビジョンしかり。

 俺の周りには虎視眈々と新たな主人公の座を狙おうとする奴等が多すぎる。

 残念でした、俺が主人公なんだよぶっひぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃい!!!!!

 

「シルバ。もうちょい頑張って」

「え! それになんか身体がだるくなってきたんすが……」

「さすがに魔力使いすぎ。付与剣エンチャントソード超しとはいえお前の身体にも一部は魔力が循環してる。多分、数日は魔力酔いでうなされるぞ」

「……そういうのは先に言ってくれないすかね、坊ちゃん」

「ぶひぃ」

 

 ちらりと後ろを振り返る。

 誰もが、もう大丈夫だと安堵のため息を付いている。

 そして、彼女の姿。

 もう凛とした従者のシャーロットの姿じゃない。

 さすがにこの体験はシャーロットのクールな鉄面皮を取り外してしまう程の衝撃を与えたようだった。


「こんな場面でカッコ悪い姿なんて……見せれれないよな」

(当たり前にゃあ。お前はにゃあの契約者。カッコよくないとだめにゃあ……あと、シャーロットがにゃあのこと知らない感じにゃあ。悲しいにゃあ。スロウ、何とかしてくれにゃあ)


 そりゃあ表舞台から遠ざかってる風の大精霊さんだもん。 

 大活躍してる帝国の闇の大精霊ナナトリージュさんとは大違いさ。


「安心しろよ、アルトアンジュ。もうすぐお前を実体化させてやる。そのための魔道具を既にシルバから受け取ってあるんだ」

(にゃあああああああああ!!???? まじにゃあ!???)

「ぶひぶひ悪いな、傭兵さん。アンタの大切な魔道具はもう俺の手の内さ」

(……手癖が悪いにゃあ)

「それはシルバに言ってくれ。だけどアルトアンジュ。お前を実体化させる、この意味をよーく噛みしめろ」


 遠くでどんぱちやっていたシルバが俺の所へ戻ってくる。

 おっきな黒龍さんを引き連れて。

 アニメではあり得なかった相手を前に俺は大きく息を吸った。

 運命は変わった。

 実はさっきから色とりどりの光弾を黒龍に追尾させているのだけど、黒龍の動きが早すぎて当たる気配すらない。

 やっぱり手数が多いだけではダメだ。

 重い一撃が必要だな。


「最初に出会ったのは風だった。だからかな、風の気持ちが分かるんだよ」


 大空の王気取りのモンスター。

 風がな、泣いてんだよ。

 お前は力で押さえつけているだけだ。

 優雅さの欠片もありやしない、俺が先生なら0点をつけるぜ。


 泥になった水たまりに足を突っ込んで、冷たさに頭をシャキッとする。

 視界に捉える黒龍の姿。

 光の精霊がこれでもかとばかりに相手の姿を照らしてくれる。

 暗いから見えなかったなんて言い訳すんなよって具合に。

 全く、見えすぎて眩しいぐらいだ。


「下がれ、シルバ―――」


 シルバが良い具合に、俺の前に黒龍をおびき寄せてくれた。


「―――後は任せますよ、坊ちゃんッ!」


 シルバが作り出した風が、身体に当たる。

 お前の生み出した風も黒龍に負けないぐらい下手くそだ。

 心に爽やかな風が吹き荒れる。

 全身全霊の一撃を求めて、振り下ろされる杖。


風の鎧そらにあつまれ風の鎖きみにおもりを


 俺の視線に、暗い空が応える。


風の町おもくおもく風の城さらにおもく


 俺の言葉に、暗い夜が呼応する。


風の森これでおしまい風の世界もうとびだてない


 俺の力に、風の精霊が歓喜し、夜空を舞う暗き侵入者を排除せんと轟き始める。

 速さも、モンスターとしての存在感も、関係無く。

 俺はただ、お前に告げる。

 黒龍セクメト。

 俺の夢のために。


「―――重力操作グラビディ・ダウン


 その首に掛かる異名、ドラゴンスレイヤーの名を貰い受ける。

 


   ●   ●   ●



 黒龍セクメトは落ちてゆく。

 空は自分の領域だと思っていたのに。

 全く、これでは風の反逆とも云うべきか。

 彼がドラゴンスレイヤーに相応しいか試すために一暴れしようと思っていたが、その必要は無さそうだ。


(……恐ろしいな君は。何でもないふうを装っているけど、一体どれだけの力を風に込めたんだい?)


 あの剣士は膨大な魔力で風の精霊を従わせていた。

 だが、あの少年は違う。

 次元が違うと言い換えてもいい。


(……千年前に姫を取り戻そうする者が君じゃなくて良かった。とてもじゃないが君から姫を奪い取れそうにない)

 

 包み込む浮遊感。

 同時に力を失っていく。

 役目は終わりだと言わんばかりに、身体から力が抜けていく。


(考えるまでも無く僕が起きたのって……君の意地悪なんだろうね)


 なるほど、自分は風に嫌われていたらしいと判断する。

 それも当然か。

 風に流されることなど望まず、彼らを力のままに操ったのだから。


 ”お願いセクメト。あの子に力を貸してあげて”


(あの子じゃなくて……多分、あの子達だろ? 全く、君は最後まで分かりづらいんだから)


 けれど、最後に良いモノが見れた。

 心残りは、一切無かった。



   ●   ●   ●



 黒龍の赤い瞳が俺を見詰めている。

 だけど、あんまり怖くない。

 抵抗らしい抵抗もせず、その身を俺の前に曝け出している。

 身体は大きいけれど、黒龍からは戦おうとする力も生きようとする意思も感じ無い。


「……ナを」


 黒龍がちょろっと小さな火を吐いた。

 赤い瞳が力なく、俺を見つめている。

 

「スロウ」

「可笑しなナだ」

「うるさいやい。それにしてももう力も残っていなかったのか」


 風に溶けるような声。

 最後の最後に風を受け入れてくれたようだ。

 力のあるモンスターは人語を理解し話すと言うが、黒龍クラスならさもありなん。

 それにお姫様と生活してたって言うしな、本当に姫様を取られたデニングのご先祖様には同情する。


「なあセクメト。最後に一つだけ教えてくれないか」

「……イイだろう」


 俺は語りかけた。


「お前にとって、皇国の姫と過ごした時間は幸せだったのか」


 童話の中の黒龍は彼女と共に幸せに暮らしたと書かれている。

 たった二人でモンスターと人間でつつましく暮らしたとされている。

 黒龍の気まぐれに巻き込まれた皇国の姫は溜まったものじゃないと思うが、彼女は彼女で最終的には楽しく暮らしたと童話には書かれていた。


「……シアワセ、だった。もう一度、ヤリナオシタイと、思える程に……。ボクラと、キミたちが、クラセルような世界…………ボクは……カナエタ……悔いはナい……」


 全ては幻想だと思っていたが、今の黒龍さんの様子を見ていたらあながち嘘とも思えなかった。

 

「何だ、セクメト。お前は俺と同じ夢を持っていたのか」

「…………そうか。そういうことか……あの子に、力を……やっぱり、キミがタダシカッタのか……、さあ、モッテいけ、ドラゴンスレイヤーの栄誉、を」


 最後の力を振り絞って出したであろう声のあと、黒龍はゆっくりと瞼を閉じ息を引き取った。

 一言の恨み節も無く、眠るように空の王者は長い命に終わりを告げた。

 俺はゆっくりとその身体に向けて、炎を放つ。

 燃え上がる巨大な火炎に背を向けて、俺は大聖堂を目指し歩き出す。

 シルバが結界をどう解くのか四苦八苦している姿やシャーロットが目を真っ赤にさせて俺を見ている。大聖堂の中から覗く沢山の瞳や、何故か入り口で倒れ込んでいるロコモコ先生やビジョンの姿に思わず笑った。

 一体、何があったんだろう?


(実体化はまだにゃあ!? スロウ……まだにゃあ!!!??)

「……雰囲気ブレイカーだね、風の大精霊さんは」

(まだにゃあ!? 実体化、まだにゃああ!!??)


 俺に纏わりつくにして飛び回る、ハエのような大精霊さんの様子に思わず笑った。

 やっぱりアルトアンジュ、お前には大精霊としての威厳も何もあったもんじゃないな。

 けれど、有り難い。

 湿っぽくならないのは、ありがたいことだ。

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