86豚 風の神童と皇国のお姫様⑧
昔、むかし。
といっても、童話になるぐらい昔の話でもない。
「その目は何ですか! ほら! テキパキと覚える! 森で遭難した時に食べられる野草をあと10種類覚えるまでは居残りですよ!」
「何度言わせれば分かるのです! モンスターだって美味しく食べることは可能なのですよ! デニング家の従者がモンスター料理ぐらい出来なくてどうするのです! ちなみに昨日食べたお肉はモンスターのお肉なのですよ! ほら、嫌な顔をしない!」
泣きべそを書く小さな女の子がいた。
影でこっそりとあっかんべーをする女の子がいた。
そんな女の子を、これまた影からこっそりと見守る男の子がいた。
「うちはデニング公爵家。正直、どこよりも教育にはキツイかもしれない。ダリスの貴族の見本となるべき家系だからね」
彼と二人でいられる、彼の私室だけが女の子にとって安息の場所だった。
小さくて特注の従者服を着た彼女に与えられる教育は苛烈なものだった。
けれど屋敷の者達は誰も彼女が将来のスロウ・デニングの正式な従者になるとは思っていない。
「……うん。思ったよりもたいへんだった」
風の神童は既に国内にその名を響かせ、来賓として他家に招待されることだって少なくない。
その度に彼はシャーロットという小さな子を自分の目の届く場所に置いておきたがった。
だから、彼女を粗相の無いよう仕上げる必要があった。
「シャーロット。もし従者になるのが嫌なら、別の道を考える」
彼女は魔法が使えない。
デニングの者は戦場でこそその真価を発揮するのだから、デニングの従者が魔法が使えないなんてお話にもならないのだ。
スロウ・デニングがもう少し年を取れば、完璧な教育を受けた魔法使いが正式な従者となることは分かりきっている。
それが何年後の話かも分からないけれど、きっとそう遠くない未来だろう。
風の神童と離れた彼女がメイドとして屋敷で働くことになるか、別の未来を選択するのかは誰にも分からない。
だから、屋敷の者達はシャーロットに洗濯や簡単な料理といった将来必要になるであろう教育を愛を持って教えていた。
厳しさを含んだ優しさだった。
「それは嫌!」
「……どうして?」
風の神童はモンスター大全と書かれた本を読んでいた。
彼には彼でやることがある。
シャーロットばかりに構っているわけにはいかなかった。
「……私の味方は……スロウ様しかいないもん」
シャーロットのふとした言葉に、スロウ・デニングは目を見開いた。
はっとした。
本を置いて、シャーロットを見た。
風の大精霊アルトアンジュは寝ている。
超常の存在は長年の疲れを癒すかのように毎日の大半を寝て過ごしていた。
「……」
そうだ。
この世界に、彼女の味方たりえる存在は俺だけだ。
彼女の素性を知る者も、彼女が昔の生活を聞かれて困ったように笑う理由も、寂しそうに窓の外を見つめ皇国のあった方角を眺めるワケも。
俺は、全部知っている。
俺だけが、秘密を隠し続けるキミの辛さを知っている。
スロウは立ち上がり、シャーロットを抱き締めようとして―――。
「きゃあ!」
「あいた!」
―――張り倒された。
毎日、色々なお手伝いをしているシャーロットの方が力は強かったのだ。
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