85豚 悪夢の魔法学園④

 黒龍は空に留まり、ただ事のなりゆきを見守っている。

 最初の火炎を放ってからかなりの時間が過ぎていた。

 黒龍によって瞬時に生み出された死の到来は、大聖堂を取り囲んだモンスターによって真綿で締められているかの如く、緩やかなカウントダウンへと変わってしまった。

 いつ終わりが来るのか分からない。

 いつあのサイクロプスによって結界が崩壊するのか予測出来ない。

 まだ?

 いっそのこと、終わりにしてくれ。

 もしかすると黒龍によって一気に滅された方が幸せだったのかもしれないと思ってしまう程に―――

 ―――彼らの精神は限界なんて段階をとっくに超えていた。


「……ああ! もういいよ! なあ! 終わりだ!」

「来ない! 来ない! 来ない! 全員死ぬんだ!」 


 誰かが叫びだせば、あっという間に狂気は伝染する。

 もう何度大聖堂内がパニックに包まれたか分からない。

 けれど大半の者達は境遇を呪う元気も無いほどに疲労してしていた。

 しかし、誰が彼らの心の弱さを責められようか。

 外には人間の言葉を話せる程の強靭なモンスターが何体もおり、空には破滅の龍がいるのだから。


「終わり……なんですわね」


 最初の攻撃以降、黒龍は静かなものだった。

 あれは自分の存在を示すかのような一撃だったらしい。

 威力は壮絶。

 火炎に耐え切れず、一瞬結界が消えてしまう程に。

 すぐさま結界は張り直されたが、あの時は冗談抜きに誰もが迫る死の影を目の当たりにした。

 けれど黒龍はそれから何もせず、ただ空に佇むだけだった。

 何を考えているのかも分からない。

 空の王がいつ攻撃をしてくるのかと考えれば、もうそれだけで心が悲鳴を上げてしまう。


「……あの龍は意地悪ですわね。これならさっさと終わらせてくれた方が百倍もマシですわ」


 結界に攻撃を続けているサイクロプスの呪詛の言葉がアリシアの耳にも届いている。


「ねえ豚のスロウ。戻ってきたら、ダメですわよ」


 大聖堂はもはや牢獄の内部へと様変わりした。

 結界が檻で、観客はモンスター。


「……戻ってきたら、ダメ……」


 モンスターは檻をがたがたと揺らし、戒めが壊れるその時を今か今かと待ち構えている。

 牢獄の中では多くの者達が抱き合い、何も見たくないと目を閉じていた。

 

「……」


 シャーロットは唇を噛んだ。

 巨大窓から見える黒龍の赤い瞳が彼女を捕らえている。

 時折、聞こえる黒龍の吐息。 

 その度に大勢がぶるぶると震えていた。

 けれどシャーロットにはその呼吸音が何を意味しているか分かってしまった。

 それは声だった。

 紛れの無い黒龍の、言葉だった。


【出てくるんだ、皇国の血を引く者よ、モンスターの意を汲み取る者よ。君がこちらへ来れば、こいつらを殲滅してあげる】


 皇国の血筋を引く者には時折、モンスターと心通わせる力が発現する。

 まさか、こんな場面で目覚めるとはシャーロットは夢にも思っていなかった。


「……グラァ」


 黒龍セクメトはただ嘗ての彼女の思いを遂行するのみ。

 現代の皇国の血を引く彼女に思い入れは無いけれど。

 これから行う行為は夢に聞こえた彼女の意思だと信じている。


【心配することはないんだ。嘗て君の先祖は、今のキミと同じようにモンスターの意思を感じ取れるようになってしまった。僕ぐらい長生きなら、これだけ感情の疎通が可能となる。さあ、世界に証明しよう】


 黒龍ぐらい長い時を経ると、つい思ってしまうのだ。

 分かり合えないのなら、せめて自分だけでも証明してみせよう、と。


【モンスターと人間は分かり合えると。この冷たい世界に僕らだけでも示そうじゃないか】



   ●   ●   ●



「まずったな~爺、やばいなんてもんじゃないぜ、これは」


 空に滞空する黒龍をロコモコは視界に収めない。

 あれは規格外だ。

 自分達で何とか出来る存在じゃない。

 同時にあんな存在と戦っている北方、特に帝国はやべえな、と毒づいた。

 そりゃあ、皇国もあっという間に滅ぼされるわと納得した。

 穏やかな南方に生まれて良かったとも思う。

 自慢のアフロは雨に濡れて既に情けない丸みを帯びた形容し難いものになってしまった。


「……黒龍が何を考えているのか分からねえが、問題はそれだけじゃねえ。今も結界にガシガシと攻撃を仕掛けているあのサイクロプス、一つ目の巨人の異名は伊達じゃねえよ。しかも爺。戦って分かったんが……あいつ、ダンジョンコアを喰らってやがるみたいだ」


 ロコモコも大分粘ったのだが、サイクロプスの歩みを止めることは出来なかった。

 もはや魔力は底を尽き掛けている。


「あのサイクロプスは言わば動くダンジョンと言った所じゃのう……それでどうじゃロコモコ、やれそうか。あやつを倒せばモンスターの勢いも多少は収まるじゃろう」


 結界はサイクロプスの拳を受け止める度に強度を損ない、殴られた箇所には拳大の穴が開く。

 瞬時に結界は再構築されるが、それは膨大な魔力を消費するのと同義。

 モロゾフ学園長が悪いのではなく大聖堂前に佇むダンジョンのボスが異常なのだ。


「ひゃはははっは! おら出て来いヨオラッ!!!」


 ロコモコは巨大に膨れるサイクロプスの右腕を忌々しそうに見つめる。

 あの右腕は強力な魔法耐性を持っていると彼は考えていた。


「一対一で相打ち覚悟なら可能性はギリ……だが他のモンスターが邪魔をしやがる。見えるか爺。サイクロプスの横に立つオーク、並みのオークじゃねえ。オークキングになれる器だ、あれは」


 二人は大聖堂の屋上から結界を殴り続けているサイクロプスの横に立つオークを見つめた。

 

「ぶっひィィィィ。水のオークも全部このブヒータ様が倒したぶひぃィ! 中々センスがよかったぶひィィ!!」


 ”何だあいつ”


 ロコモコはオークの声を聞いて、力なく笑った。

 モロゾフ学園長も同じく、だった。

 あのオークと似た喋り方をする、とある生徒の癖を思い出したからだ。

 二人とも彼がヨーレムの町に辿り着いたと信じている。

 信じているけれど、間に合わないことも分かっている。

 

「あー。ここが俺の終着点ってわけかー」

「……すまぬな、ロコモコ」

「なあに構いやしねえよ。これが俺の仕事内容じゃねえか……。それじゃあ、爺。俺は休んどくわ」


 ロコモコは座り込んだ。

 残り少ない魔力を身体の中で練り上げる。

 これから思う行為を思い、彼は空に向かった述懐した。


「そういえば……授業中で暴発しそうになった奴がいたな……だけど……あんなもん可愛いもんだ…………王室騎士ロイヤルナイトにも選ばれた俺の暴発がどれ程のもんか……自分で見れないのが……残念だぜ……」


 ロコモコは覚悟を決め、瞼を閉じた。

 後悔はただ一つ。


「俺はマジで……お前を最高の王室騎士ロイヤルナイトに仕上げてやろうと思ってたんだぜ」


 ”心残りはあるけれど、俺の人生はこんなもんだろう。

 俺にはあの純白の外套は似合わなかった。

 だからこそ、あいつを育ててやろうと思ったけれど。

 まあ悪くない人生だろシルバ。

 俺はお前の云う通り、俺のやりたいことを貫き通したんだから。

 さあて、覚悟しろよ一つ目の巨人。

 この命と引き換えに、目障りなお前を爆殺する”

 

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