54豚 ホワイトリリーとプリンセス

 クルッシュ魔法学園からヨーレムの町を結ぶ長い道。

 街道への入り口である学園の門に大勢の人たちが陣取っていた。

 第三学年の貴族生徒や腕に覚えがあるらしい剣を構えた平民生徒、そして先生方が中心だ。

 総じて己の武器を握り締め、緊張した様子で門の先に広がる街道を睨んでいた。


 門に押しかけようとしたモンスター達に魔法の洗礼を浴びせているようだ。

 どんよりとした暗い空気の中、白馬に乗った俺に声を掛けてくる者は一人もいない。俺はゆっくりと人垣の中を進み、門を出ようとした時だった。

  

「スロウ様もモンスターの襲撃に備えてここに!? え、白馬? スロウ様、馬に乗れたんですね……ってことは置いといてさっきの学園長の言葉……まさかッ!」


 サファイアのような青い瞳で俺を見つめる男子生徒。

 貴族でありながら、バイトに勤しみとうとう食堂の給仕なども始めた苦労人。

 重苦しい空気の中で声を掛けてきたのは、俺がクルッシュ魔法学園にやってきて初めて出来た友人だった。


「ああビジョンか、そうだよ俺が街道を超える。主人公みたいでかっこいいだろ?」

「なっ! この状況で街道を超える!? 自殺行為だぞ!お前正気か!」

「まじで死ぬぞ! やめとけって! モンスターの様子が可笑しいんだぞ!


 誰が街道を超えるのか、学園長の話にあった奴は誰なのか。

 人混みの後ろの方では爪先を伸ばし、俺の姿を一目でも確認しようと必死な先輩方の様子。そんな彼らの間でどよめきが起こった。

 誰かが俺の正体に気付いたらしい。


「いや、待て! そいつはあの豚公爵スロウ・デニングだ!」


 ビジョンは幽霊でも見たかのような蒼白な顔のまま一歩一歩人混みを押しのけて俺の前に出てきた。

 既に俺は学園の門を出て、街道の上に立っている。いつでも森の中へ続く街道の先へ出発出来る状況だ。


「可笑しいぞ、私の中の記憶と違う。あいつはもっと太っていた筈だ!」

「あの豚公爵がここまで痩せたのか! 一体どんな魔法を使ったんだ!」

「ああもううるさいなあ! ちょっと黙ってて下さいッーーーッ!」


 ビジョンが放った魔法によって、騒がしかった喧噪が一気に静まった。

 学園に近づいていた一体の子鬼がビジョンが放った風弾によって事切れる。

 第二学年の中で魔法技術はトップクラスのビジョンだ。

 やっぱり魔法の才能がある。

 アニメ版主人公であるシューヤからロコモコ先生との成長イベントを奪い取ったけど、本当はお前にも主人公属性があるんだろうな。


「ふざけないでくださいスロウ様ッ! ここから見えるだけでもモンスターが森から次々と街道に出てきているんですよ!」


 ビジョンが指さす街道の先。

 次から次へとモンスターが森から抜け出て、こちらに近付いてくる。

 先生や先輩たちが倒したのだろう何十体ものモンスターが既に街道に屍をさらしていた。

 大聖堂に避難しただろう力を持たない皆には決して見せられない、ホラー映像さながらの光景が学園の外には広がっていた。


「モロゾフ学園長は何を考えているんですかッ! どうして生徒である貴方にこんな危険なことをッ! こういう場合は先生方が行くものではないのですか!」


 ビジョンは周りを見渡して同意を募った。

 槍玉に上げられた先生方は肩を落とし、沈痛な様子で顔を伏せた。

 嵐を予感させる激しい雨風、見通しの悪い視界、興奮したモンスターの存在。

 クルッシュ魔法学園からヨーレムの町へは普段であっても馬の足で数時間掛かる。

 今の状況なら―――どれだけの時間が掛かるのだろうか。

 先生方が尻込みする気持ちはよく分かる。

  

「僕はロコモコ先生と森に入り何度もモンスターと戦いました! だから分かります 今、街道に行けばどれだけのモンスターから狙われるか分からないのですよ! 命が幾つあっても足りませんッ! それにヨーレムの人達も森の異常にすぐ気付くはずです! だからここで待ちましょうスロウ様!」

「……悪いなビジョン。俺は行くよ。行かなくちゃいけないんだ」


 俺の意思を汲み取ってくれたのか、白馬は雨でぬかるんだ街道を歩いていく。

 時間を無駄にしたくはなかった。


「シャーロットさんはこのことを知っているんですかッ!」

「シャーロットは……」


 その言葉に思わず俺は止まってしまった。

 ここまで来る道中、俺はシャーロットを探すことすらしなかった。

 大聖堂に避難して、学園長が張っているだろう強力な結界の中にいるのだろう

 それにシャーロットの傍にはアルトアンジュが付いている。

 とっても強い風の大精霊だ。


「呆れました。伝えてないんですね、スロウ様」

「……悪いかよ。一秒でも早くヨーレムの町に助けを求めないといけない状況だろ今は」

「そういう問題じゃないんですよ。僕には従者のような存在はいないですが、頭を捻るまでも無く分かります。スロウ様が街道越えの道中で死ねば……何も知らなかったシャーロットさんは悔やんでも悔やみきれないでしょうね」


 ビジョンは的確に俺の急所を抉ってくる。

 くっ、相変わらず嫌味な奴だ。

 でもビジョンの言葉は正しいので俺は何も言い返せない。


「スロウ様、覚えていられますか? 貴方が僕にこっそりと宝石を渡すようシャーロットさんにお願いしたことを」

「……忘れるわけがないだろ。折角の俺の好意をいらないって突っ返されたんだからな」

「はは、そうですね。それから実は、とはいってもヨーレムの町から帰って来た後ぐらいからですが。シャーロットさんと軽く言葉を交わすようになったんですよ。いつも話すのはスロウ様、貴方の話題ばかりですがね」


 ……?

 え、俺の話題?

 こんな状況だってのに俺はビジョンに早く続きを話せと急かさずにはいられない。だってそうだろ? 

 あのシャーロットがどんな話をしているのか気になって仕方が無い。

 くそっ、ビジョン。

 貧乏っちゃまのくせにニヤニヤしやがって。


「彼女と言葉を交わした者は誰でもすぐに気付くでしょう。シャーロットさんは貴方に恋心を抱いていますよ。あんないじらしい彼女に何も言わず、従者をほっといたまま貴方は死地に赴くつもりですか」

「……」

「スロウ様。貴方は今、とても情けない顔をしてますよ。そんな顔で貴方を送り出すわけにはいきません。本心は貴方に着いて行きたいですが、僕は自分の力量を理解しています。足手纏いにはなりたくありません」


 全く、ビジョンの野郎。

 一体何を考えているんだ。

 そんなこと知ったらなおさら学園から離れたくなくなっちゃうだろ!

 けどな、俺にはやらなくてはいけないことがあるんだよ。

 シャーロットが一番大切だとか言いながら俺はこの学園にいる皆も同じぐらい大切なんだ。

 

「今度は僕が貴方を救う番です。さあ、言って下さいスロウ様。そんな様子じゃシャーロットさんのことが気になって気になって街道超えなんて出来やしないでしょう。すぐにくたばる未来が僕には見えました」

「シューヤみたいなこと言いやがって……でも、お前の言うとおりだ。俺はシャーロットのことが心配で心配で、実は街道超えなんて出来そうにない心境だったんだよ。あっ、これここだけの話にしてくれよ。あんまり情けないこと言いたくないからさ」


 俺より少しだけ背が高い、貴族でありながら給仕服を着こなす可笑しな奴。

 そんな貴族らしからぬあいつが俺を真っ直ぐに見つめていた。

 顔にこびりついたモンスターの血がこんな時だからか心強く思える。

 シャーロットの傍には風の大精霊さんがいるけれどあいつの姿は俺にしか見えない。誰かがシャーロットの傍にいてくれるなら俺もどれだけ安心出来ることか。


 だから、頭を下げる躊躇いは一切無かった。


「―――俺の従者を守ってくれ」


 思えば誰かに頭を下げたことのない人生だった。

 こうして誰かに頼み事を出来るようになったことが俺が成長した証なのかもしれないと、ふと思った。


「ふぅ……これで僕は貴方と本当の友になれる気がします、借りを作りっぱなしは嫌ですからね。さてスロウ様。何かシャーロットさんに伝えてほしい言葉などはありますか? もしかしたらこれが最後の別れになるかもしれませんしね」

「……うるせえよビジョン。俺が道中で死ぬのなら多分お前も死んでるって」


 そういえば俺はシャーロットに告白したんだよな。

 色んな事があったからもう何日もシャーロットに会っていないように感じるぞ。


「さあスロウ様。さあさあ!」


 ビジョンが俺の言葉を待っている。

 もしかしてあいつ、この状況に酔ってないか?

 ロマンチストの気があるからなあビジョンは。

 まあロマンチストなのは俺も同じか。ロマンチストじゃないと黒い豚公爵を一生演じることなんて出来ないよな。


 さて新たな一歩を踏み出した俺が皇国のお姫様プリンセスに伝えたい思い。

 ずっと抱えてきた気持ち、生涯胸の内に秘めると決めた

 俺とシャーロットプリンセスはお互いに嘘を付きながら、これまでずっと一緒にいた。

 彼女は自分を皇国のプリンセスだということをずっと隠していた。

 俺は彼女が皇国のプリンセスであることを出会った時から知っていた。



白百合の花ホワイトリリーを。俺が戻ったら君の故郷で綺麗に色づく白百合ホワイトリリーを見に行こう」



 けれど、俺はもうそんな関係を終わりにしようと思うんだ。

 だからシャーロット・リリィ・ヒュージャック。

 君の名の由来でもある、白百合ホワイトリリーを見に行こう。


「そうシャーロットに伝えてくれないか……っておい、何笑ってるんだよビジョン、笑うなこら」

「案外ロマンチックなんですねスロウ様。それよりもその発言はデニング公爵家的に色々とまずい問題を引き起こしますが構わないのですね? まあもうこの場にいる全員に聞かれていますが」


 俺は、先に進むと決断した。

 誰に聞かれても構うものか。


「では、行ってくださいスロウ様。不肖、このビジョン・グレイトロード」


 俺の背後に迫っていた飛翔型モンスターが地に落ちた。

 ビジョンが魔法を使って落としたようだ。

 風を操るその姿はまさに風の精霊が好む優雅さと気品に満ち溢れている。


 俺はヨーレムの町へと続く街道を視界に捉えや。

 学園に漂う強烈な匂いにつられて、我を失ったモンスターが大挙してくる悪夢のような光景が見えた。

 身体から力が湧いてくる。

 ビジョンの野郎、俺にとんだ力を与えてくれやがった。 


「勇敢な貴方がこの学園に戻ってくるまで、貴方の可憐な従者ホワイトリリーを守り抜くと約束します」

「頼むぜ一階の貴公子プリンス。じゃあ―――ちょっくら行ってくるわ」

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