50豚 熱血占師(ファイアーディバイナー)
目の前が真っ暗になった。張り詰めていた気が抜けて全身から力が抜けていく。情けなさと虚しさで感情が上手くコントロール出来ない。叫びたくなる気持ちを必死で抑えた。
ナタリアに容易く逃げられてしまった。
どこかで全てが順調だと思ってた自分がいた。万能の知識を持ったせいで何もかもが上手くいくと信じた自分がいる。
けれど実際は。
「ぶおーんぶおーん……」
泥んこに顔を突っ込んで、情けなくぶっ倒れた豚がいるだけだ。
くそう、何だよあのでかい鳥。
あんなのフクロウと見間違うわけないだろチクショウめ!
「……ぶひーん……」
俺は馬鹿だなあ。
そうだ、ナタリアは傭兵として命懸けでこの仕事に望んでいたんだ。
例えどんなことがあっても絶対に逃げられるよう用意周到に。
今回みたいな状況を何度も何度もたった一人であいつは生き抜いてきたんだ。
さすがあのウィンドル男爵家の生き残りとしか言いようがいいない。
そりゃ帝国が欲しがるわけだよ。
あの能力とあの力、シューヤ達が捕まえられなかったのも頷ける。
俺みたいな豚がナタリアの運命を変えようだなんて、虫が良すぎる話だったのかもしれない。
やりようのない虚しさが水の冷たさと共に身体に浸透していった。
「ぶぶヴぉ……」
息をしようとして泥水を吸い込んでしまった。
ぐええ……。まずっ…………。
「ぶぶヴぉ……ぶふぉ」
ダメだ。
伸し掛かる無力感に俺の意思が沈んでいく。
黒く深い闇の世界に沈んでいく。
もどってこい真っ白豚公爵。
このままじゃいけない。
「え」
掬い上げられるような強い力だった。
暗い底に沈んでいく俺を、呼び戻すかのような熱を腕に感じた。
熱?
どういうことだ?
「―――あ」
倒れ込んだ俺の腕を誰かが掴んだようだった。
そのままグイッと上に引っ張り上げられる。
自分の意思とは無関係な誰かの意思によって、俺は再び立ち上がる。
誰?
誰ですかぶひぃ?
俺は情けない豚なんですぶひぃ。
傭兵に逃げられただけで落ち込んでしまった脆弱な豚なんだぶひぃ。
泥んこの中から俺を引っ張り上げたのは―――
「あ」
「何してんだッ! 豚公爵ッ! 服が泥だらけだぞ! お前らしくないッ!」
―――やっぱりお前か、シューヤ。
アニメ版主人公、燃え盛る赤い短髪がトレードマーク。
幾つもの水滴を髪から滴らせたシューヤが俺の腕を掴んで離さない。
「さっき研究棟の方からすごい音がしたから走ってきたんだ! さっき学園長が近寄るなって言ってた場所、何か嫌な予感がするんだ! それに何か変な匂いがしないか?」
近くで見れば意外と整えられた顔が、俺を一心に見据えていた。
ああ、そうか。
学園長の声を聞いてシューヤはこっちに来たのか。
近寄るなって言われても気にしない辺りさすがの主人公だな。
「前にかくれんぼとか言ってたよな! オレに占ってくれって! あれってさっきの学園長の話だよな!? 水晶は関わるなってオレに何も教えてくれない! こんなことは初めてだ!」
それにお前はアニメの中でナタリアの氷の意思を僅かにだけど溶かしたんだよな。
ナタリアに己の選択を後悔させるだけの熱を与えたんだよな。
……。
……。
俺はどうだ。
「だけどオレには
シューヤの熱い双眸が俺を見つめる。
俺が憧れた表の英雄が目の前に立っていた。
「
さすがに分かりすぎだろ!
100%正解してるじゃねえか!
……全く、
濡れた水晶を抱えた南方の救世主。
俺と同じようにずぶ濡れになっているアニメ版主人公。
相変わらずのぶっ飛んだ洞察力で俺の心にさざ波を立たせる。
「情けない顔だな豚公爵ッ!!! だったらお前の代わりにオレが捕まえるッ! オレが! オレこそが、ダリスに輝く赤き刃ッ! オレは負けないッ! 誰にも負けないッ!!」
熱すぎるシューヤの思いがおれにも伝わってくる。
ああ、認めてやるよ……。
シューヤ、やっぱりお前は主人公だよ。
紛れの無い主人公の器だ。
だって、お前の熱はこんなにも俺の心を溶かしていく。
黒くなりかけた俺の心を溶かしてくれる。
どこまでも落ちていく筈だった暗い気持ちは既に消えた。
「曲者はどこに行った豚公爵ッ!! オレには
お前は熱だ、炎だ、紅蓮だ、本当に燃え盛る火みたいな奴だ。
全てを無に帰す火の魔人、恐るべき火の大精霊と心を交わす紛れの無い主人公だ。
「……ぶひぃ」
じゃあ、俺はなんだ?
―――俺は豚だ。
風の大精霊らしいデブ猫と堕落を貪ってた豚だ。
……もうちょっとダイエットに成功するまでは風なんて中二病な台詞は言えないぜ。
ああ、そうだ。
俺は豚なんだ。
シューヤ、お前と俺は根本的に違うんだな。
「根性を見せろ豚公爵ッ! まだまだ戦いは始まったばかりだってッ! オレには
お前は火で、俺は風となる豚だ。
どれだけ強い風でも、たった一度で氷を溶かすことなんて出来やしない。
「お前は熱すぎるんだよシューヤ。だけど助かった。ありがとう」
だけど、そんなこと誰が決めた。
俺はお前だけには情けない姿を見せたくない。
シューヤの熱すぎる熱が、俺を真っ白豚公爵へと戻してくれる。
そう、まだ戦いは終わっていない。
「おい曲者はどこに行ったんだ豚公爵ッ!」
空を見上げれば、もうナタリアの姿はどこにも見えない。
傭兵であるあいつはこれからヨーレムの町へ向かい、帝国がある北方領へと姿を消すのだろう。
「曲者はもういない! お前の言う通り、俺は負けたんだよ!」
戦いが終わりだと決めるのはナタリア、お前じゃない。
真っ白ブヒブヒの、俺だ。
● ● ●
研究棟があった場所の上で、額から血を流した学園長が立っていた。
崩れた校舎の残骸は足の踏み場もないような無残なものだ。
それでも道を塞ぐ瓦礫を器用に乗り越え、俺は学園長の元へと近付いていく。
学園長は何かを掴み、手に持った何かの匂いを嗅いでいるように見えた。
「学園長ッ」
雨を浴びる学園長がこちらを見て、俺の足元を指さした。
強く吹いた突風に流され、コロコロと何かが俺の足に当たった。
「……げ」
一気に背筋が冷えた。
そして俺はようやく辺りに充満する匂いに気付き、吐きそうになった。
キツ過ぎる香りの元は間違いなく学園長が立つ崩れた校舎跡から生まれていた。
雨足が強くなる。ざあざあと降りしきる中で、風がその匂いをどこまでも運んでいく。
水に溶け、幾分かは和らいでいる筈だけどそれでも強烈なその香り。
覚えがある。
俺はその匂い知っている。
そして、立ち竦んだ俺の耳に幾つも聞こえる叫び声。
「ブルモオオオオオオオォォォォォォオオオオオオォォォォォォォォオオオアアアアアァァァァァァァァァァアアアアアアアアアア」
「ウルヴヴヴヴヴヴヴォォォォォォォォォォォォォォォォォ」
「ぶひイイイイィィィィイイイイィィィィィイイイイイイイイイイイイイイイイイィィィィィィ」
「グオオオオオオオォォォォォォォォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオググググアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア」
……。
……。
あ、やば。
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