91豚 風の神童は帰還する①
「―――シャーロット。オレは俺だ。君を助けた時から何も変わっていない」
その言葉がこれからの彼女を支える言葉となった。
何も変わっていないなら、自分だけはこの人の傍にいようと彼女は誓った。
「…………君を守る、と―――アルトアンジュに誓った時からね。さあ、ヒントはこれで終わり。俺は今から秘密のお菓子大会を開催するからシャーロット、おやすみ」
「……アルト、……アンジュ?」
シャーロットは首を捻った。
懐かしい名前のような気がする。
けれど、シャーロットはデニング家での生活が大変で、皇国での記憶はどんどんと薄らいでいっていたのだ。
シャーロットの頭上でふわふわと浮きあがっていた風の大精霊は自分の名前をシャーロットが忘れ去っていることに気付き、床に落ちた。
ぐったりと頭を床に乗せて、黒猫は思った。
(……シャーロットの素性は秘密だけど、そういえばお前が素性を知っていることを伝えても問題はないにゃあ。まあそこら辺は臨機応変に、任せるにゃあ。もうどうにでもいいにゃあ、寝るにゃあ)
● ● ●
ヨーレムの町に降り注いだ雪の結晶。
正体は水の魔法ヒールの結晶体、それもかなり高純度。
しかし、光の大精霊による加護だと疑う者はいなかった。
「……公爵様! まだお身体が!」
「
バルデロイ・デニングは優れた容姿を持つ若々しい男だった。
黒龍との戦いによって傷ついた傷は既に癒え、彼は目を覚ますと同時にマルディーニ枢機卿に詰め寄った。
「精霊が謡っている! あの時と同じ! 奴が生まれた時と全く同一! ならば、謡う相手とはアイツ以外に他ならないのだ!」
バルデロイ・デニングはクルッシュ魔法学園に向かっていた。
十数名近い王室騎士を引き連れて、マルディーニ枢機卿もまた決断したのだ。
「スロウッ! お前が倒すのだ! 黒龍を!」
● ● ●
「サイクロプス様! もう限界ぶひぃ! 頭がクラクラするぶひい!」
「ああそうだな豚野郎ッ! 戯れは終わりにするとするか!! っさあ、ダンジョンマスターたるこのサイクロプス様が命じるッ! やれ、お前ら!!!」
【さあ、叫ぶんだ! たった一言で、キミたちは救われる!】
もはやこれまで、誰もが諦めて顔を伏せる中。
それでも、彼女は叫んだ。
「スロウ様は来るの! 絶対に来るのッ! だって、確かにあの時スロウ様は言った! 真っ黒豚公爵から白い豚公爵になるって言ったんだもん!」
彼女の目から涙が溢れる。
もう逃げ場なんて無い、どこにも無い。
「それに……アルトアンジュって誰ーッ! 」
(……虚し過ぎるにゃあ)
余りにも報われぬ風の大精霊だった。
● ● ●
シューヤ・ニュケルンは、感じ取った。
熱血占師たる彼は
「何かが来るッ俺には
シューヤの口を押えたのはメイドだった。
シューヤの大声に目を覚ましたのだ。
そして何でいきなり喋りだしたんですか、モンスターにバレちゃいますからと、彼女は必死でシューヤの口を押えた。
「う、うるさいです! ひそひそ……それに何が来るっていうんですか……」
「もごもごっ、もご…………風?」」
● ● ●
空から滑降するモンスター。
大地を飛び越え、跳躍するモンスター。
四方八方から迫りくるモンスター。
全てがスローモーションに行われる世界で、彼女は叫んだ。
「それにスロウ様は私に告白してくれたんだもん! もう会えないなんて絶対に嫌!」
頭の中で思い出されるのは、彼がダイエットに挑戦し始めてから言ってくれたあの言葉。
『俺は君に相応しい主になる』
そんなの決まってる。
彼女のようなお
絶体絶命な場面で爽快に自分を助けてくれる、白馬の王子様を。
「助けて―――」
【ここに契約は結ばれた。今から君を―――】
黒龍が口を開いた。
火炎を吐き出そうとしたその時だった。
さっきの言葉は黒龍なんかに向けた言葉じゃなかった。
彼女の声は、ただ一人の彼にだけ向けられていた。
「―――スロウ様っ」
「遅れてごめん――――――シャーロット」
声が聞こえた瞬間、光が消えた。
学園内にいる者は皆、視界を奪われた。
大聖堂に立て籠っていた者達も、大勢のモンスターも、空を支配する黒龍も、例外に非ず。
クルッシュ魔法学園全土が闇に閉ざされた。
けれど彼女にだけは
暗闇の中、目の前に着地した白馬の上から降りてくる思い人を。
目の前に現れた彼を見て戸惑いやら安心やら、やっぱり戸惑いやら嬉しいやら、何が何やら分からなくなった。
「遅いよぅ……、うわああん。それに痩せすぎですよぅ、うわああぁぁぁぁん。スロウ様が豚じゃなくなっちゃったあ、うあぁぁぁ」
「ぶひッ!? ……え。もしかしてダイエット成功しすぎた?」
あー、昔から俺ってやりすぎなとこあるんだよなあと風の神童は頭をかいた。
シャーロットは声も憚らずに泣いていた。
もう自分が何を言っているのかも分からなかった。
初めて彼と出合ったあの時のように彼女は泣いた。
けれど、悲しみの涙ではない。
絶対に帰ってくるって信じてた、嬉しくて涙が止まらなかったのだ。
● ● ●
街道の上で、幾度息を切らしたか分からない。
途中で風の精霊がアルトアンジュの伝言を伝えてきた。
黒龍がいる。
そこからは、無我夢中だった。
「……ごめん、遅くなったみたいだ」
「バカぁぁぁぁ。遅いですよぉぉぉ」
子供みたいに無く彼女を見て、ああ、そうだった。
シャーロットは泣き虫だったな、と彼は思った。
彼女はぬいぐるみが無いと眠れないぐらい弱弱しい子供だったのだ。
それでも彼女はデニング公爵に仕える者の従者として、正しく在ろうとし続けた。
こんな姿、アニメでも見られなかったなと彼は嬉しく思った。
スロウはゆっくりと従者の彼女を抱き締めた。
今度は突き飛ばされなかった。
街道の上で、彼は嘗ての騎士と様々な話をした。
膨大な魔力を風の大精霊アルトアンジュより引き出した。
空を駆け、彼らは飛んだ。
時には街道を囲む木々よりも高く、馬達は風に乗った。
先導し、風の
彼がモンスターを吹き飛ばし、後方から前方へ流れる風の気流を生み出した。
前へ前へと二人を推し進める風に乗り、馬は駆けた。
一歩が数倍にも伸び、上手く風に乗れたら数十倍もの距離を稼げた。
馬達も風の旅を楽しんでいた。
アルトアンジュはシャーロットの足元でヘロヘロになっていた。
「……
街道超えのさ中、嘗ての主従は様々な話をした。
風の神童は気兼ねなく、語った。
街道で風を感じながら、彼は思った。
”俺はもう一人じゃない”
”最高の気分さ”
”だからシャーロット。君にも伝えたいんだ”
帰りの街道超えは、彼の良い振り返りになった。
俺はちょっと前まで黒い豚公爵だったんだと言えば、騎士は笑った。
闇が晴れ、再びクルッシュ魔法学園に光が戻った。
光の大精霊の指示を受けた光の精霊達によるちょっとしたサービスだった。
「多分、問題は無い。なぁシルバ?」
「―――なーにが問題無いですか。ていうか坊ちゃん、最後、冗談抜きに飛びましたよ、あれはジャンプじゃなくて飛んでました、風で馬って飛べるんすね。あ、シャーロットちゃんお久しぶり。泣いてるじゃないすか可哀想に。何したんすか、坊ちゃん」
輝かんばかりの剣を構え、突っ込みを入れていた。
「……ひっぐ……。…………あ……シルバさん……」
「シルバ。シャーロットを大聖堂の中へ。後、雑魚は任せたから」
「はいはい」
● ● ●
(お前ら、力使いすぎにゃあ)
お陰で風の大精霊アルトアンジュはヘロヘロだが、怒ってはいなかった。
アルトアンジュの中にスロウ・デニングの気持ちの幾らかが流れ込んできた。
明るく、そこに悲壮感は無かった。
風の神童は信じていた。
間に合わない筈が無い。
だからアルトアンジュも信じていた。
きっと間に合う。間に合わないわけが無い。
最後はちょっとドキドキしたが、結果オーライだ。
「じゃあ遠慮なく、始めるとしよう」
雨は既に止んでいる。
空を覆い隠していた雨雲は彼らが巻き起こした膨大な風によって既に流されている。
シャーロットは涙で濡れた顔を上げた。
明るくて、真ん丸な月が見えた。
● ● ●
大聖堂の入り口へと連れていかれたシャーロットは特等席で大聖堂を守るように立つ彼の後姿を見た。
最後に見た時とは制服のサイズも違っているようで、後姿からは彼が何者か推測することは難しいだろう。
横でへばっているロコモコとビジョンも、声を出さずに彼らを見つめていた。
ロコモコが見つめるは、
遅いんだよ、クソボケと彼は毒づいた。
ビジョンが見つめるは、
結局、いいとこ取りなんですねと彼は悔しそうに唸った。
「てめエ、何物だらア!!!」
「ぶひィ! 何者ぶひィ!!!」
第三者の出現、それも限りない強者。
闇は晴れている。
クルッシュ魔法学園を不思議な光が照らしていた、
大聖堂前に立つ二人にスポットライトを当てていた。
特に平民用の制服を着た、黒と金の髪が入り混じる一人の男の子に。
「―――お前、可笑しな右腕を持ってるな。あ、それにオークさんじゃん。何その鎧、オークさんもコスプレする時代になったんだね。あの闇の帝王も面白い時代になったって喜ぶよきっと」
「ぶっひィィィィィ。ブヒータ様はオークキングぶひィ! 言葉遣いに気をつけるぶひィィィィ」
雨はやんでいた。
「この身は、
大聖堂に籠る彼らはそんなことにも気付かなった。
「
小さな声で紡がれる詠唱が始まった。
それは彼だけに許された精霊の言葉。
声であって、言葉でなく。
「
精霊の姿が見える彼にだけ許された魔法。
本当は彼には杖なんて必要ないのだけど、そのことは彼の父親と彼だけの秘密だった。
「
彼の声は、不思議と大聖堂の中にいる者達にまで届いていた。
歌のような音色で紡がれる、声の羅列。
モンスター達も時が止まったかのように彼を見ていた。
「我は―――
いつの間にか行使された風の魔法。
ぽつんと、彼の掌から一滴の血が大地に落ち―――。
「供物は捧げた。力を貸してもらうぞ、六大精霊」
―――これにて、モンスターの時間は終わりである。
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