82豚 変わらない坊ちゃん
シルバは問うた。
本当に行くつもりなのかと。
あの王室騎士団すら手をこまねいた相手に、貴方はたった一人で向かうつもりなのかと。
「龍っすよ……坊ちゃん。王室騎士は負け、軍のお偉いさんも挑んで返り討ちになったってもっぱらの噂っす……」
その声には緊張したものが含まれていた。
無理もないとスロウは思う。
龍は強大な存在で、南方では滅多に姿すら見せないモンスターだ。
空の支配者と評されるモンスターを倒した者に送られる称号。
ドラゴンスレイヤーの異名は歴史上、北方にしか存在しない。
「……それでも坊ちゃんは行くんですね」
「シルバ。別に黒龍が学園に向かったと確定してるわけじゃないさ」
「ひひひひーん!」
白馬が鳴き声を上げる。
まるで”何をぐずぐずしている。早く帰るぞ、と言わんばかりの勇ましさだった。
「いいや、龍が学園にいても坊ちゃんはいく筈だ。クルッシュ魔法学園には坊ちゃんの従者、シャーロットちゃんがいるんですからね」
スロウは振り返り、シルバを見た。
彼の腰から下げられた鞘から光が漏れ出している。
「……シルバ。お前まさか」
「坊っちゃん。一つ聞きたいことがあるんすが……シャーロットちゃんは
シルバは独自の調査で秘密に包まれた皇国について様々なことを突き止めていた。
かの国の小さな姫は綺麗な銀髪であったことや、その名前。
そしてドストル帝国が未だ彼女を探しており、どこかで生き延びているだろうと裏の世界で噂されていることや、皇国の騎士団が最後にデニング公爵領地目指して逃げ出したことも。
けれど全てはシルバの勝手な憶測に過ぎず、だからこそシルバは聞かずにはいられなかった。
あの日助けた奴隷の女の子が何者なのか。
何故、スロウ・デニングという風の神童はあの子を己の従者にしたのか。
スロウは問いかけるシルバを見た。
(やっぱり……アニメの中にいた仮面の男はお前以外にありえないよな……それにしてもお前はこの時点でシャーロットが何者かあたりを付けていたのか……。優秀だな、お前はやっぱりとんでもないよ)
スロウは頷く。
否定なんて出来る筈も無かった。
「……まさか坊っちゃんはずっと知っていたんですか? だから、貴方はあの子を従者にしたんですか」
その言葉には怒りすらも含まれているようだ。
付与剣の輝きが鞘から溢れ出す。
「ああ、そうだよ。あの日、あの奴隷市場に踏み込んだ時から俺は知っていた」
「……さすがにカッコよすぎじゃありませんか? どうしてそう一人で抱え込もうとするんですか、俺はそれ程信頼出来なかったんですか、あの時間は嘘だったんですかッ!」
何も一人で抱え込む必要などなかった。
自分に教えてくれれば良かった。
二人の双眸が絡み合い、シルバは主の苦悩の影を見た。
「シャーロットの素性を伝えることは出来なかった。信用出来る出来ないなんて考えもしなかった。あの時、俺はシャーロットを守るためには自分一人で抱え込むことが彼女の安全に最も繋がると考えたんだ。お前の云う通りだよシルバ。ガキだったんだ。俺は」
シルバは風の神童が己の内に心を秘める悪癖を持っていることは知っている。
彼は嘗ての風の神童の騎士として、誰よりも主の内面を知っていると自負している。
(そうか……やっぱり、貴方は……)
長年追い求めた真実を知り、自分は何をするか分からない。
坊ちゃんに怒りをぶつけるかも分からない。
そう思っていたけれど可笑しなことに、シルバの心に到来した感情はホッとするような安心感だった。
やはりこの風の神童は昔から何も変わっていなかった。
それを知れたことが嬉しかった。
「……坊ちゃん。色々言いたいことはあります、知りたいことも山ほどあります。それでも今は悠長に話し合いをする時間なんて無いみたいだ。だから坊ちゃん―――あるがままの気持ちを今、教えてください」
万の言葉を通じて語り合いたいけれど、残念ながらそんな時間は残されていないようだ。
だからシルバは言葉を剣にして、嘗ての主に突きつける。
平民騎士は姫の元に戻るか、森の先に行くか、選択は二択。
「お前の力を貸してほしい」
実直な言葉。
雲の隙間から覗く月明りが風の神童を照らし、先ほどよりも雨の勢いが弱まっているように思えた。
「俺はもう一人じゃない、一人である未来なんてもう望まない。俺は嘗ての騎士やこれからの友と共に新たな未来を作り出したい」
「……未来ときましたか。それなら坊ちゃんが考える未来とは何なんですか」
溢れ出す付与剣の輝きを止めることは誰にも出来ない。
町の人々が目を丸くして、二人を見ていた。
「俺が望む未来。それはなシルバ―――」
そして、風の神童は語った。
手短に、簡潔に。
彼の夢はつまるところ、たった一言で説明出来るものだった。
「―――世界平和だよ」
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