63豚 風の神童と皇国のお姫様①

  景観豊かな大自然、そして限りない緑と共に人々が暮らすデニング公爵領。

 風に愛されし彼らの領地には、たとえそこで生活する彼らの目には見えずとも数多の風の精霊が住まう確かな地となっていた。


「クラウド、シルバ。付いて来てくれ、緊急事態だ」

「スロウ様。どちらへ行かれるのですか?」


 当時、六歳にして既に二人の専属騎士を持った子供がいた。

 立派なお召し物を着せられた子供が赤い絨毯が惹かれた館の中をずんずんと歩いていく。

 黒い外套を羽織った二人の騎士が慌てて子供の後ろに付いていった。

 執事や召使い達が廊下の脇に沿れ、彼らの後姿を微笑ましげに見守っていた。


「また公爵様にお叱りを受けますよ」

「お目付役のお前が報告しなければバレないさ。父は今、王都ダリスにいるからな」


 未だあどけない成長期真っ盛りの黒髪の少年がうんうんと後ろで頷き、先を行く背丈の大きな騎士に話し掛けた。


「ふわあ、ねっむ。だからクラウドの旦那、何回言えば分かるんすか……俺たちはただスロウの坊っちゃんの後を付いて行けばいいんですよ」

「……お前は呑気だな、シルバ。暗殺者だぞ暗殺者、デニング公爵領地ですらそんな物騒な連中が出入りする時代になったのだ」

「そん時はまた俺が助けますよ」


 齢にして二十代を少し超えたぐらいだろうか。

 クラウドと呼ばれた騎士はシルバとの会話を打ち切り、先を歩くスロウを見つめた。

 デニング公爵家三男、スロウ・デニングが暗殺者に狙われた事件を機に、デニング公爵は一人で外を出歩く癖がある愛息子に二人の騎士を付けることにした。


「自信過剰だ、世界は広いぞシルバ」

「旦那確か、ダリスから出たことないって言ってたじゃないですか。何言ってんすか」


 一人目はクラウド・ムスタッド。

 デニング公爵が使用人として雇っている貴族、ムスタッド家の若く才気溢れる次男坊。 

 赤みが掛かった茶髪と如何にも生真面目そうな仏頂面。 

 口を堅く結んで歩く彼はスロウのお目付け役として命ぜられた。


「クラウドの旦那あ。皇国が攻め込まれてからスロウの坊ちゃんはちょっと変わりましたね」


 二人目はシルバ、こちらは平民だ。

 暗殺者からスロウを助けた自称、凄腕の剣士。

 年若き少年ではあるが、その剣の腕前はバルデロイ・デニングを唸らせた。

 彼の役割はスロウを守ること、その一点である。


「スロウ様は心を痛めておいでなのだ。……お優しい方なのだ。あと旦那はやめろ、自分はまだそれ程の年ではないシルバ。二十二歳だ」

「旦那あ、寝癖ついてますよ」

「む……助かったシルバ」



 ●  ●  ●



 風の大精霊様が来るよ。

 スロウ、風の大精霊様が来るよ。


 とても怒っている。

 スロウ、行ってはダメだよ。

 殺される、殺される。



 ●  ●  ●



 明朝から馬を出し、森の道をひた走る。

 もぐもぐと馬に乗りながらパンを食べ、時に農作業に勤しむ領民に手を振り、自然の中で逞しく生きる動物達に敬意を払い、鳥の心地よい鳴き声をお共に風を切る。

 爽やかな風を感じながら、幾重にも枝分かれする道を迷うことなく馬に乗った二人の騎士が疾走する。

 だが、途中でシルバの横を走るクラウドが難色を示した。


「スロウ様。この道を真っ直ぐ行くと皇国領へ近づきます。これ以上はダメです」

「スロウの坊っちゃん。さすがにこれ以上はいけないっす。クラウドの旦那の立場がやばいんで」


 シルバと共に馬に乗るスロウはすっと目を細め、三つに枝分かれした道を見つめた。


「違う、そっちじゃない」 

 

 頭を振り、スロウは右斜めへと続く道を示した。


「あっちだ。あっちに何か嫌なことをしている奴等がいる」



 ●  ●  ●



 ダメだよ、スロウ。

 行ってはいけない。



 ●  ●  ●



 馬を降り、道なき道を歩き続ける。

 明るい光が差し込む森の中は動物たちの楽園だ。朝方に軽い雨でも降ったのか、時折透き通った冷たい滴が落ちてきた。

 身長の高いクラウドは頭に掛かる枝を鬱陶しそうに掻き上げながら、すいすいと進む二人の後を付いていく。


「この先に何があるんすか? スロウの坊っちゃん」


 森の中を進むと、開けた場所に出た。

 幾つもの馬車や荷馬車が止まっている。

 羽振りの良さそうな者達からごろつきまで、多種多様な人間がいた。

 彼らは即席だろう舞台の上に立たされた十数人の人間を興味深そうに眺めていた。


「……旦那あ。ダリスって奴隷売買禁止っすよねえ?」

「この国は規律と伝統を重んじる、当たり前だ。そのために同盟締結時、自由連邦と一悶着があったことをお前も知っているだろうシルバ」


 三人は木々の木陰に隠れるようにして、視線の先で行われている奴隷売買の様子を見つめた。

 壇上に並べられている数十人。

 精霊に聞くまでも無く、スロウは理解した。


(……皇国から逃げてきて……国境沿いに網を張った自由連邦の商人の手に落ちたか)


 皇国の民の大半は皇国東部から大陸中東部サーキスタを通じて大陸南東部、全てを受け入れる自由連邦へと難を逃れたと聞いていた。

 ……ダリスに入り込んだ者もいたのか。


「っすよねえ。あ、見て下さいスロウの坊ちゃん。あの舞台で喋っているおっさん。あいつが付けているネックレス、反逆を示す逆十字架。自由連邦の反逆ギルド、まさかここまで手を伸ばしてるとは驚きっすね」

「どれだけ目が良いんだお前は」

「旦那、目がいつも通り細いですけどまだ眠いんすか?」

「ふざけるな」


 ダリスでは原則、奴隷制度は禁じられている。

 何でもありの自由連邦と違い、この国は厳格な規律を何よりも大切にしている。

 奴隷商人に捕まったのであろう者達の真ん中に、目を凝らさないと分からない程存在感の無い女の子を目にした時、スロウの顔色は変わった。


 ”あの子だよ、スロウ”


 戦争の決着が着いたにも関わらず、帝国は未だ皇国に兵を投入している。

 奴らが一体何をしているのか、精霊から様々な知識を得ていたスロウは検討を付けていた。

 皇国の姫、シャーロット・リリィ・ヒュージャック。

 強力なモンスターに悩まされるドストル帝国が何よりも手に入れたい能力。

 モンスターと意思を交わす可能性を持った皇国の小さなお姫様。


「ッ」


 スロウは掴んでいた細い枝を力を入れすぎてぽきっと折った。

 

「我が騎士クラウド、シルバ!! あの奴隷を買え! 幾ら金が掛かってもいい! あいつをあの場から解放しろ!」

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