62豚 地獄の鐘を鳴らそう、始まりの鐘を鳴らそう

 軍に入隊予定の第三学年の生徒数十名、由緒ある家柄の貴族であり将来は王室騎士を目指す生徒数名、そして力に自信のある先生方数名を前にして―――。

 ―――普段森の中にいるモンスターで門を突破出来たものはいなかった。


 沈黙と硬直化した空間にダンジョンに生まれたモンスター。

 まずコボルトソルジャーが辿り着いた。

 身軽な身体を駆使し、第二学年の生徒が放った直線的な氷の矢をひょいひょいと避けていく。


「退け! 俺が潰す!」


 第三学年の生徒が作り出す、狙い済まされたカマイタチが四方八方からコボルトソルジャーに襲い掛かった。

 コボルトは足を切られバランスを失い、そこから先には一歩も行けなかった。


「情けないぶひィ」


 次に現れたのは鎧を身体の重要部位に纏ったオーク。

 いや、進化を果たしたそのオークは既にオークナイトの頂にまで成長している。


「ぶっひィィィィいいいいいいいいいいいいい」


 オークナイトは地面に倒れているモンスターを片手で持ち上げ魔法への盾とし、コボルトソルジャーと同じように特攻をかけてきた。

 本来オークというモンスターは鈍臭いものなのだが、ダンジョンで鍛え上げられ進化を果たしたオークナイトはオークにあるまじき素早い動きで、地を駆け瞬く間に門へと近付いていった。

 

「モンスターを盾にするだと!?」


 さあ、地獄の鐘をならそう。


「何か問題でも? ぶっひィ!」


 盾として掴んだモンスターがボロボロになれば、オークナイトは目の前で死んでいるモンスターを再び軽々と持ち上げて盾とした。

 今までの特攻は無駄では無かったというように、オークナイトは唸りながら走った。


「へぼい魔法だぶっひィィいいいいいいいいいい」

「より強力な魔法だ! 盾にしているモンスターごと焼き払え!」

「は、はい! オレが火の魔法を―――」

「待て! この雨じゃ火の魔法は威力が弱まる! 土だ! あいつを足止めしろ!」


 オークナイトは門の中で動揺する生徒達の様子を見てとると、彼らに向かって綺麗な放物線を描くように盾にしたモンスターをぶん投げ、それは火の魔法を使おうとしていた生徒に激突した。

効果的と見るや、次から次へと同じ様にぶん投げる。


「うわあああああああああ!」

「おい! 大丈夫か!」

「あれ! あのオークがモンスターがいないぞ!」

 

 オークナイトが消えていた。

 さっきまでオークナイトが走っていた地点にはまるでジャンプ台のように積み重なったモンスターの死骸しか見つけられない。

 暗闇の中で彼らは敵であるモンスターの姿を見失ってしまった。


「そ、そ、そこ!お前の後ろだあぁぁぁぁあ」

「逃げろぉぉぉぉッ!」


 オークナイトは空から降ってきた。

 ダンジョン内で死闘を行い進化したオークナイトの跳躍力は生徒達の予想を遥かに上回っていたのだ。

 間髪入れず、オークナイトは背中に隠した短剣を赤髪の生徒の心臓目掛けて振り下ろす。


「死ねぶひィ」

「あ」


 オークナイトの攻撃をその身に受けそうになった瞬間、シューヤは理解した。


 大聖堂に、避難しておけば、よかった。

 ごめんさいお父さんお母さん、ごめんなさい。


「あ、あ、あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」


 オレ、殺されます。



 ●  ●  ●



「ええい! 一体何が起こっているのだ! 何故モンスターが森の中から出てくるのだ!」


 ヨーレムの町はクルッシュ魔法学園のように出入り口が一つだけというわけではない。

 迷いの森に面するようにして民家が幾つも建っている。

 森の中からは滅多にモンスターが出てくることがなかったからこそ、人々は森の近くにも家を構えていた。


 だから森からモンスターが湧き出るように出てくるといった報告を聞いた時、マルディーニ枢機卿は対応に迫られ、暇を持て余していた王室騎士を派遣することに決めた。

 ヨーレムの町の領主の家、広々とした庭に集められた王室騎士達は一列に整列し、それぞれが指示された区画へモンスター討伐に行く直前だった。


 彼らは気付いていなかった。

 遥かなる高みから邪悪な存在がヨーレムの町、領主の家を見つめたことを。


「カリーナ姫の守りのため、人員半分はここに待機。モンスター討伐のために行く者はレオン卿、イグワイン卿―――」


 理由も無く、彼らの身体に冷たい悪寒が走った。

 直後、空より落ちてきた黒い塊を彼らは幼子のように呆けた顔で見つめるだけだった。


「え」


 古来より偉い者は高い場所に住むとされていた。

 故に黒龍セクメトはマルディーニ枢機卿とカリーナ姫、そして王室騎士達がいる領主の家に狙いを定めた。

 いわゆり遊び心というやつだ。

 彼らにこれを見せつけたらどうなるだろう、と。


 そして、黒龍セクメトは大いなる高さから―――。

 ―――マルディーニ枢機卿達や王室騎士達の目の前に、落ちてきたのだ。


「え」


 その衝撃に大地が揺れた。

 自分達の身長の十倍はありそうな漆黒の体躯。

 翼を広げければ、一体どれ程の大きさになるのだろう。

 闇に溶けそうなほどの黒い漆黒の身体を、ダリスの最高戦力たる王室騎士達の前に堂々とさらしていた。

 そのモンスターの名はドラゴン、いや龍とも呼ばれている。

 南方においては馴染みがないが、北方では空の覇者の異名を持つモンスターだ。

 そんな存在が今、彼らの前にいる。

 何故、どうして、どうして、今、このタイミングでここに。


「あ」


 爛々と光る瞳がマルディーニ枢機卿を捉えていた。

 その無機質な瞳と視線を合わせることで―――。


「あ」


 ―――マルディーニ枢機卿は理解してしまった。

 王室騎士団を束ねる彼もまた、数十年前は王室騎士の一人として剣を振るっていた栄光の日々が存在する。

 だが、マルディーニ枢機卿は理解してしまった。

 生き物としての格の違い。

 目の前で自分達を見下ろしている黒龍から掛けられるプレッシャー。

 

「……グラァ」


 私を見ないでくれと、マルディーニ枢機卿は祈った。

 周りにいる王室騎士達も明らかに怖気付き、硬直から抜け出させそうな者は誰もいない。

 王室騎士の中にはダンジョンに潜り、名を成した者もこの場に存在する。

 だが、目の前のモンスターが今まで相手どったことのあるモンスターが赤子のように思える程、違いすぎていた。


「……」


 本能が叫んでいた。

 逃げろ、死にたくなければ逃げろ。

 マルディーニ枢機卿や王室騎士達は本能に従うまま足を動かそうとして、止まった。

 黒龍セクメトがその口に加えていた小さな物体を、彼らの前に吐き出したからだ。

 横たわる物体は人間だった。


「なっ」

「人間……人間です! 枢機卿!」


 死んでいるのか気を失っているのかも分からなかった。

 身じろぎ一つせず、胸には深い傷を負い、その人間は彼らの目には既に死んでいるようにしか見えなかった。

 マルディーニ枢機卿は目の前に吐き出された男を見て、もう何も考えられなくなった。

 こ、こんなことがあるわけがない。

 偽り、だ。

 偽りに違いない。

 だが、自分がその人間の顔を見間違えるわけがない。

 だって、その人間は。

 その人間は。


 この国を支える、男。

 己と同じ、ダリスの重鎮、そう、その男こそ―――

 

「―――デニング、公爵ッ!」


 王室騎士達は予想だにしない事態に、息をすることすら忘れていた。

 黒龍の身体が内部から光に満ちていく様子に気付いたのはマルディーニ枢機卿のみだった。


「あ、あ、あ、」


 マルディーニ枢機卿は何かの文献で見たことがあった。

 

”龍の腹部分が光りに包まれた時、注意されたし”

”火炎である。何事も抗えぬ火炎である”


 黒龍がゆっくりと口を開いていく。

 抗えぬ生物としての格。

 その中で動けたのは、唯一。

 ダリス王家に絶対の忠誠を誓う男は恥も外聞も無く絶叫した。


 彼らの背後にある建物には―――。

 ―――ダリスの未来とも言うべき、少女が眠っているのだから。


王室騎士ロイヤルナイツッッッ!!! 命に換えてもカリーナ姫を守れええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ」



 さあ、地獄の鐘を鳴らそう。

 


 黒龍セクメトは紛れの無いモンスターである。



 さあ、地獄の鐘を鳴らそう。



 シューヤは死を覚悟し、デニング公爵は既に敗北を期した。



 さあ、地獄の鐘を鳴らそう。



 ―――運命は変わった。

 


 ―――だから、始まりの鐘も共に鳴らそう。


 

 これは英雄である北方の三銃士でも、火の大精霊と共に在るシューヤ・ニュケルンでもなく―――。


「さあ―――第二ラウンドの始まりだぜ傭兵さんよッ!」


 彼は疾走する。

 彼は爆走する。

 

 突如大量の飛翔型モンスターが現れたことで大聖堂前の広場はパニックと化していた。

 明らかにモンスターの格が先ほどより上がっている。

 生徒達の間に統制は無くなり怪我をする者も多くなっているようだ。

 けれど大聖堂の屋根の上で寝そべる風の大精霊アルトアンジュは何の心配もしていなかった。

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