58豚 皇国の姫は混乱する

 シャーロットは布団の上でうつ伏せに寝転んでいた。 

 完全に自分の世界に入り込んでいた。


「……それにしてもスロウ様は何でモロゾフ学園長に呼ばれたんだろう」


 従者女子寮二階にあるシャーロットに宛がわれた一室。

 ベッドに木製の机と二つの椅子、棚に押し入れ。

 ただそれだけの部屋だけどシャーロットにとってはこの場所がどこよりも落ち着くのだ。

 皇国の姫という過去を持ちながらも、デニング公爵家に仕える平民従者としての現在。シャーロットはこの一室でのみ、自由で開放的な気分になれるのだった。


 激しい雨が窓を叩きつける。

 今夜は嵐になりそうだなとシャーロットは一人思う。

 考えれば考える程にあれは告白だ。

 間違いない。

 夢じゃない。

 自分は告白されたのである。

 シャーロットはいつもの鉄面皮を外して幸せを満喫していた。


「シャーロットさんッ!」


 だから当然部屋の扉が開いて、とても驚いたのである。


「きゃっ!?」



   ●   ●   ●



 ビジョン・グレイトロードは大聖堂に向かい溢れ返る人の中でシャーロットを必死に探した。

 彼女はその容姿から良い意味で目立つ人だ、しかしどれだれ頑張ってもシャーロットの姿を見つけ出すことが出来なかった。

 嫌な予感をひしひしと感じたため彼は大聖堂に避難していた従者女子寮の寮監からシャーロットの部屋を聞き出してここまでやって来たのである。


「シャーロットさん! どうして避難していないんですか! 学園長の声が! それに外の騒ぎも聞こえなかったんですか!?」


 ビジョンは信じられなかった。

 学園長の声は学園のどこにいたって聞こえるような爆音だ。

 例え窓をびっちりと締めていても耳に入らないなんてありえない。

 それに森からやってきたモンスターの叫び声が学園中で溢れているのだ。

 まさか今の学園でこんなに呑気に過ごしてい人がいるとは思わなかった。


「ビジョン様ッ!? 顔に血がッ! いえ、服にも!」

「これはモンスターの帰り血ですッ! 僕のものではありませんッ!」

「え、え、モンスターッ!? 何かあったんですか!? 」

「学園に入り込んだ外部の者が巻いた香水が撒かれたと学園長が! だからモンスターが攻めてきます! というより今攻められていますッ!」


 大聖堂には門を襲撃しているモンスターと勇敢な有志達との攻防の様子が逐一報告されていた。

 まだ暫くは持ちそうだとのことだったのがそれでもいつ門が落とされるかわからない。

 大聖堂前の広場でも学園長の結界の内側、大聖堂内に集まった学園内の人間に目をつけた空を埋め尽くさんばかりの飛翔型モンスターと第三学年の人達が激しい戦いを繰り広げているのだ。

 彼らにとっては学園長が言った望む部隊への推薦状は大きな餌になったらしい。


 だからこそビジョンにとって何も知らずに呑気にベッドでゆっくりしていたシャーロットの状況は驚愕に値するものであったし、突然そんなことを知らされたシャーロットはいつものクールフェイスを準備する余裕も無かった。


「え、え、え〜〜!!! 本当ですか!? 本当に本当にですか!?」

「本当に本当です! だから今から僕と一緒に大聖堂に避難を! 学園長が結界を張っています。あそこならモンスターは絶対に入ってこれません! さあシャーロットさん! 行きましょうッ!」

「あ、は、はいっ! ……あ、あの。す、スロウ様は? スロウ様は今、どこに?」

「……それはっ」


 ビジョンは一瞬躊躇ったが目の前の可憐な少女が友の大切な従者であることを思い出した。

 だから一切を包み隠さずに伝えた。


「スロウ様は学園の状況をヨーレムに伝えるため一人で街道超えを!」

「夜……に街道超えを……? スロウ様が? え!? 危険です!」


 シャーロットは言葉を失った。

 ヨーレムの町とクルッシュ魔法学園を繋ぐ一本の街道。


「決死の覚悟でスロウ様は街道超えを! 全てはこの学園を守るためです!」


 モンスターの活動が活発になる夜間の時間帯での街道超えは禁止されていた。


「それでシャーロットさん。スロウ様から貴方に伝言を預かっています」



   ●   ●   ●



「スロウ様が……私の故郷……? 白百合ホワイトリリーですか?」


 はて、私の故郷? それに白百合?

 それはデートのお誘いなのだろうか?

 シャーロットは思い悩んだ。

 顔を赤くして、それにしても私の故郷とはどういうことだろうと暫く考えた。

 本当は皇国だけど、お世話になっているデニング家にはダリスのデニング公爵領だと言っていたはずだ。 

 それにしてもデニング公爵領に白百合なんてお洒落スポットがあっただろうか……。

 私の故郷だったら白百合が今の時期、綺麗な―――。


「―――え」


 シャーロットは目の前が真っ暗になった。

 呼吸のやり方を忘れ、気が動転しそうになった。

 

「……ビ、ビジョン様。ス、スロウ様は、ほ、本当に? 白百合ホワイトリリーって……そ、そう、……言ったんですか?」


 落ち着きを無くし、真っ青になったシャーロットの表情を見てビジョンは思った。

 友であるスロウが残した伝言にどのような意味があるのかは自分には分からない。

 それでも先ほどの言葉はシャーロットという少女にとっては深い何かが含まれていたということは理解出来た。


「この状況です、もしかしたら僕の聞き間違いということもあるかもしれません。だから―――」


 だからこそ、この状況下での街道超えという無謀な挑戦に挑んだ友のためにビジョンは毅然として言った。

 

「―――スロウ様が帰ってきたら、確かめてください」


 その後、急いで部屋を出て行く二人を見て風の大精霊アルトアンジュはため息をついた。

 ビジョンはシャーロットが学園長の声を聞いていないことをあり得ないと断じたが、学園長の声や外の騒ぎを室内に届かぬよう遮っていたのはアルトアンジュの力によるものであった。


 自分はスロウから学園を守ってくれなんてお願いはされていない。 

 アルトアンジュはため息を付きながらも、そのまま窓の外に出て従者女子寮の入り口に降りる。

 建物の中から出てくる二人を入り口で待とうと考えたのだ。

 空を見上げれば大聖堂の上空をモンスターが我が者顔で飛んでいる。

 まるで世界は自分達の物だと言う様に、暗い虚空から大聖堂に立て篭もった者達を嘲り笑っていた。

 

(……何だにゃあ?)

 

 アルトアンジュは怪訝な顔をして、空を見上げた。

 荒れる風の中に違和感を感じたからだ。


(……誰かの強い意志が風に混じってるにゃあ)

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