56豚 結界の崩壊

 香水の匂いは雨によってその効力が薄まりながらも、迷いの森に生まれたダンジョン中まで確実に届いていた。


「だああ! 何だこの匂いがあ」 


 結界をぶん殴っていたダンジョンマスター、サイクロプスは慌てて攻撃を止めた。 

 その匂いを嗅いだ途端、頭の中が強烈に揺れ沸騰したかのように身体が熱くなった。

 ダンジョンマスターであるサイクロプスはまだ自我を保つことに成功したが、彼の背後で結界の崩壊を待っていたモンスター達はそうでもなかったらしい。

 ダンジョンモンスター達の興奮がどんどん収まらなくなってきている。

 後ろの方では同士討ちも起き始めたようだった。

 サイクロプスは迅速に決断し、鎧を纏ったオークに持ってこさせていた四角く真っ黒い塊のダンジョンコアを奪い取ると、大口を開けて飲み込んだ。


「ああ、! ダンジョンコアを食べたぶひい! 怒られるぶひい!」

「ここのボスは俺だア!! 魔軍のあいつらじゃねエ!」


 突如、サイクロプスの身体から蒸気が発し、サイクロプスは胸を押さえて痙攣し出す。

 がくんとその巨体が振動し、身体がさらに一回り大きく膨張する。

 はち切れんばかりの筋肉が皮膚の上に浮かび上がる。

 ダンジョンコアはダンジョンの核であり、ダンジョンにモンスターを発生させる機能を持つ。

 そして最下層まで到達した侵入者を倒すためにタンジョンマスターに与えられる一度きりのパワーアップアイテムでもあった。


「おおオ、すげエ! これなら魔軍の偉そうなアイツらにも負けなエ! ふざけた事抜かしてるエアリスのクソ野郎にも負けねえ!!」


 漲るチカラを感じる。

 これなら魔軍の将に匹敵するかもしれない。

 サイクロプスは全体重を乗せるようにして結界をぶん殴った。

 すると薄い膜でありながら強靭な弾力性を持っていた結界にピシりと小さな皹が入る。

 今まではどれだけ攻撃を加えても綻び一つ見せなかった結界に、モンスターの攻撃が初めて効果を見せた瞬間であった。


「すごいぶひィ! サイクロプス様もう少しぶひィ!」


 鎧を着込み、鼻息を荒くしたオークがサイクロプスの背後で興奮したまま言った。


「当たり前だろオ! 俺はこのダンジョンで一番、強ぇサイクロプス様なんだからよ!」


 懇親の力を込めて、殴り続ける。

 頭を狂わすような香りを嗅ぎ続けながら、サイクロプスは右腕で結界に攻撃を仕掛け続けた。


「がんばれーがんばれーぶひィ!」

「うっらー!!!!」


 それはスロウ・デニングが街道を駆け出し始めた頃のことだった。


「しゃあああァァァ!!」


 膜に大きな穴が合いた。

 結界の崩壊と言ってもよかった。

 ダンジョンマスター、サイクロプスを筆頭に、その暗い入り口から数えるのも馬鹿らしい程のモンスターが溢れ出した。

 

「がああああああああああああああ」


 その大半は理性を失っている。

 特に弱い者ほど、理性を失ったまま匂いを求めて走り出した。

 より強烈な香りを求めて、走りだした。


「ぶひィ! それにしてもさっきの匂いはすごかったぶひィ!」

「くそ豚野郎! てめえオークの癖にあれを嗅いで理性を失ってねえってやるじゃねえカ! 俺がエアリスをぶっ殺してあそこをぶん取ったら、お前あそこのオークのボスにしてやるゼ!」

「ブヒータをそんじょそこらのオークと一緒にしないで欲しいぶひィ!!!」



   ●   ●   ●



 モンスターを呼び寄せる香水の効果。

 雨に溶け、風に乗り、その香りはどこまでも広がっていく。

 森を超え、山を越え、遠方にまで伝わった香水の匂いを黒龍セクメトもまた嗅いでいた。


「……」


 黒龍セクメトはゆっくりと巨大な翼を動か、進路を変えた。

 頭を狂わすようなきつい痛みにも似た何かを感じたからだ。

 身体が重い。

 それが眠りすぎたせいなのか、老化のためなのか分からい。

 まどろみの中、その匂いに呼び寄せられるかなのように黒竜セクメトは匂いの元へ向かった。

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