46豚 氷の幕が静かに上がる
ロコモコ先生の特徴的なヘアスタイルが雨に濡れてへなへなになっていた。
アフロって水に濡れたらあんなんになっちゃうんだ……知りたくなかった現実だ……。
「ロコモコッ! 何故ここにおる? お主には打ち合わせを任せた筈じゃ」
「傭兵に逃げられた! そんで研究棟にやばいもんがいるんだッ! でかい鳥が中で何かをしてやがる! おい聞こえねえのかあの音が!」
でかい鳥とな?
そういえばさっき誰かがフクロウがどうだとか言ってたな。
耳を澄ますと校舎の中から何かをガシガシと削るような不明瞭な音が聞こえるような。
けどどんどん強まる雨風によってその音が何なのかよく分からなかった。
ロコモコ先生は俺たちとは距離を取って立ち止まり、研究棟に向けて杖を構えた。
「ロコモコ! アルル先生はどうしたのじゃ!」
……そうだ傭兵だ!
ロコモコ先生には傭兵の足止めっていう大事な役目が合ったはず!
地面には幾つもの水溜りが出来ており、水の精霊が活発化する環境が揃っていた。だからロコモコ先生に水の精霊が纏わり付いていても可笑しくないと一瞬思ってしまったことが初動の遅れに繋がった。
「アルル先生は―――!」
ロコモコ先生と目が合った。
冷ややかな瞳、口元が歪み、俺は気付いた。
余りに自然過ぎる動作に一拍、動きが遅れた。
「―――貫かれよ
鮮やかで自然な魔法行使。
前にヨーレムの町でロコモコ先生と対峙した時よりも対応が遅れ、事実を確認する余裕も魔法の詠唱を唱える猶予も無い。
だから隣にいた学園長を力一杯突き飛ばした。
「ッ!」
僅かでも判断が遅れれば学園長がどうなっていたか分からない。
その足元に出来ていた水溜りから鋭い氷槍が一気に出現したのだから。
役目を終えた氷槍は元の水たまりに戻り、そこには赤い色が滲んでいる。
倒れ込んだ学園長は顔を顰め、脇腹を抑えていた。
くそっ、完全には防ぎきれなかったか。
「いや助かったよ、スロウくん……だがこの状況はもしや」
「えぇ間違いありません……」
闇を背にして俺たちに向かってくるロコモコ先生。
その姿は俺の記憶にある先生の姿と全く同じだけど。
考えるまでも無いし、問いただす必要も無い!
こいつがロコモコ先生であるわけがない!
生徒を守るために名誉を捨て学園に戻ってきたあの優しい先生じゃない!
「まさかこやつは」
幾度もシューヤや南方四大同盟を苦しめた伝説の傭兵。
そして黒い豚公爵が死闘の果てに倒したとされる女。
際立つ存在感。
溢れ出る、尋常じゃない殺気。
「性別まで変わると動きが鈍るわね―――
ロコモコ先生の姿から一瞬にしてアルル先生に化ける傭兵。
水に濡れた茶色の長髪が垂れ下がり、風に
「……貴様ロコモコをどうしたのじゃッ」
秘密に包まれた謎の傭兵。
暗がりの中で異様な存在感を放ちながら、ついに俺たちの前に姿を現した。
「御機嫌ようお二方。毎日のように顔を合わせたものですが、そう言えば名乗りがまだでしたわね。でも、ごめんあそばせ。私は名前と顔を捨てた傭兵。だから顔の無い女とも、私の力にちなんだ
垂れ下がった長い髪のせいで表情を窺い知ることが出来ない。
けれど、アルル先生ははっきりと自分を傭兵だと口にした。
「今宵始まるパーティは私の傭兵としての最後の仕事で御座います。勝ちが分かっている戦いはつまらなくもありますが、ふふふ、最後までお付き合い願いますよ」
実際に傭兵として名乗りを上げたということは、もはやこの場所にやり残しは無いのだろう。
遂に対峙することとなった傭兵を前にして、頭の中にある記憶が思い浮かんだ。
『豚公爵と顔の無い女の戦いですか? そうですねえ、一言で言うと粘り勝ちです。単純な実力は豚公爵の方が少し上かもしれませんが、傭兵には経験があります』
本人すら名を捨てたと語るけれど、俺はお前の正体を知っているんだ。
魔道具の原料となる魔法鉱石を産出し莫大な富を築いたウィンドル男爵領は二十年近く前、疫病によって呪われた地へと様変わりした。
そんな呪われた地の中で家宝の闇の魔道具を使い、何とか生き延びることに成功したウィンドル男爵家唯一の生き残り。
『え? 殺したのかって? さあ、それはどうでしょう』
磨き上げた技術と技。
貴族家の一人娘だった彼女が傭兵としてここまで成功したのはすごいことだ。
「それにしても
賞賛は送るけれど、その境遇に同情はしないぞ。
たった一人で傭兵としての研鑽を続けた女の子は暗闇に両足を突っ込んで闇に染まった。
そして今、限りなく敵に近い立場で俺の前に立っている。
アニメの中でウィンドル領の復興を願った女の子は嘗ての願いより未来の安全を選択した。
「こんばんわ
でも俺は知っているんだぜ。
傭兵、
いーや、ナタリア・ウィンドル。
アニメの中でお前は生きる場所を帝国に鞍替えしたけど、そんなお前が後悔の顔を見せる場面が一瞬あるんだよ。
燃え盛る火炎を身に纏い三銃士の一人と激突するシューヤを見たとき、お前はあいつと同じようにダリスの一員として生きる未来を例え一瞬であったとしても夢想するんだ。
「ええ、お手並みを拝見させてもらったわ。私の魔方陣に一体どんな細工をしたのかしら?」
学園の先生が一人、あの賭けに参加したという話を噂を聞いたことがあった。
お前が俺の更生に賭けたらしい銅貨一枚。
それは別れを告げる学園に向けたただのジョークなのかもしれないけど、たった一枚の硬貨がお前とダリスを結ぶ最後の繋がりに思えてならないのさ。
徐々に強くなる雨風。
首筋から水滴が身体に伝い、ひんやりとした寒気が身体に纏わり付く。
「興味がおありならパーティの最後までお付き合いをお願いするよ、お嬢様」
今宵、俺は敵となる定めを持った者と初めて相対する。
記念すべき相手は特殊な力を使いこなす傭兵だ。
巷では存在するかも分からないとされる顔の無い女。
その本名をナタリア・ウィンドル。
呪われし至宝の大地の復興を目指した筈の元貴族であり、ダリスを見限り帝国に忠誠を誓う未来を持った傭兵だ。
彼女によってアニメの中でシューヤ達がどれだけの被害を受けたか分からない。
そんな重要人物が今、俺の前で雨に打たれて笑っている。
本来は或る筈の無かった戦いを前にして、俺は軽く息を吐いた。
「ぶー…………っひぃっと」
雨を纏った風の息吹を全身に受ける。
長い夜となる一戦目、冷たい氷幕が上げられようとしている。
俺はゆっくりと杖を引き抜き、類稀なる傭兵へと成長したウィンドル男爵家の生き残り―――。
―――ナタリア・ウィンドルに向けるんだ。
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