43豚 嵐の前兆

 巨大な大聖堂の前、皆の憩いの場として使われる広場に彼女はいた。

 広場の脇に設置された木製のベンチに傭兵は一人で座っていた。


「一体何が起きているのッ」


 歴戦の傭兵であるはずの彼女は焦っていた。

 気付いたのはつい先ほどのことだった。

 学園に仕掛けたはずの魔法陣が殆ど全て解除され、上書きされていた。

 一体、誰が。

 いや、そもそも何故ばれた?

 細心の注意を払っていたはずだ。

 いや、待て。それよりもあのレベルの魔法陣を上書きされた?

 あり得ない、あり得ない、あり得ない!

 南方四大同盟の一角。

 魔道大国ミネルヴァの、それも大魔法使いクラスの力が必要な筈だ。


《あんたの出発に間に合うよう私はこの学園を出るよ、国境までずらかる用意をしておきなさい、万が一見つかった時に備えて火薬などの手配は忘れないように。あと私は幾つかの手土産を持って帝国に与することに決めたわ。貴方はどうするの巨体豪傑ジャイアントマン?》


 傭兵は手紙に書いた内容を読み返し、手の中の鳥を空に送った。

 ヨーレムの町にいる金剛傭兵団のボス、巨体豪傑ジャイアントマンに宛てたものだ。

 この仕事が終われば彼女は北方の覇者、ドストル帝国に与するつもりだ。

 闇の世界で生き抜いてきた彼女はドストル帝国の強さと、魔王が率いるモンスター達の圧倒的な力を知っている。

 彼らの力の前には如何に南方四大連合が力を合わせたとしても、帝国に屈する未来しか見えなかったのだ


「それにしても……ダンジョンね」


 今朝、巨体豪傑ジャイアントマンから送られてきた手紙に書かれていた情報。

 マルディーニ枢機卿が率いる王室騎士団ロイヤルナイツが王都を出発し、ヨーレムの町に向かっている。

 距離とその人数からヨーレムの町に着くのは明日の昼頃になるだろうと巨体豪傑ジャイアントマンは推測しているらしく、ナタリアもその考えに同意した。

 鉢合わせにならないよう金剛傭兵団はヨーレムの町を明朝出発し、帝国との国境沿いに向かう。

 出発に間に合うようヨーレムの町に戻って来いと手紙には書かれていた。


「……まさか使うことになろうとはね」


 今このタイミングなら。

 あれを使えば目的の生徒、豚公爵スロウ・デニングの本当の実力が見えるかもしれない。

 モンスターを呼び寄せる香水。

 何かに使えないかと思い、時間を掛けて少しずつ溜め込んでいた。


「どっちにしろ、今夜が勝負―――」

「―――あーアルル先生ー。こんなとこにいたんですかー」


 誰かの影がナタリアの身体を覆う。

 慌てて顔を上げるとそこには元、王室騎士ロイヤルナイト、ロコモコの姿。

 魔法演習学の先生として学園に雇われた油断ならない男だ。

 だがあのモロゾフ学園長と違い、傭兵の存在に気づく素振りもない間抜けな男でもあるとナタリアは考えていた。


「ええっと、何か私に用ですか? ロコモコ先生」

「先生の魔法学と俺の魔法演習学でまた何か合同の授業でもーって考えてるんですけど、どうですかー?」

「……合同の授業、ですか? ……はい、いいですよ」


 合同の授業?

 確かに魔法学と魔法演習学ではその学問の近似性からたまに合同授業をやっていたけど、このタイミングで打ち合わせなんて煩わしいことこの上ない。

 しかしナタリアは内心を悟られないよう、にこやかな笑みを崩すことなく立ち上がり、先を歩くロコモコの後を付いていった。




「あ……」


 そんな大人な二人の後姿を見つめる少女がいた。

 銀色の髪とスレンダーな肢体で注目を集めている美麗の少女、シャーロットだ。

 男女が揃って歩いている姿を見て、少しだけ顔が赤くしている。

 理由は単純。

 少し前、彼女は自分の主から告白を受けた。

 もしかしたら、自分たちが大人になったとき。

 いや、あんな風に歩く未来がもうすぐそこに来ているのかもしれないと思ったのだった。


 顔を赤くして立ち止まったシャーロットを目の保養だと見つめている男子生徒達の様子に、彼女は気付くことがない。

 彼女は意外と鈍感で、そして今は一人の男の子のことで頭の中が一杯だったからだ。


「……」


 自分の主は大貴族の直系だけど、平民の自分に好きだと言ってくれた。

 今では夢のように思えるけど、あれは本当に起きたこと。

 だってあの後何度も頬っぺたをつねって確認したから間違いないのだ。


 どんどん痩せていくご主人様。

 シャーロットは彼の輝かしい未来に備えて、もうワンサイズ小さい私服を買いにいったのだ。


「…………スロウ様はどこに行ったんでしょう?」





 そして、クルッシュ魔法学園と森の街道で繋がれたヨーレムの町にもシャーロットと同じ気持ちの男がいた。

 だが、こちらは老人に近い頭を剃り上げた壮健の男だ。

 そしてその男が思う相手は恋のお相手などではなく、自分の目的のために必要な若き男だった。

 時刻は夕刻。

 ヨーレムの町に到着した後、領主の家の一室を占領したマルディーニ枢機卿は叫んだ。


「シルバを探せ! どこに消えた!」

 

 ダリスという国を盛り上げる一大イベント。

 どれだけこのカリーナ姫の守護騎士ガーディアン選びが重要かあの平民はまだ理解していないのか。

 そう、マルディーニ枢機卿にとって今回の守護騎士ガーディアン選抜試験は出来レースだった。


「シルバッ! 首に縄を付けさせねばならぬ程とは思いもよらなかったぞ!」


 ダリスに次世代の英雄、可憐な女王を支える天才剣士を誕生させる。 

 さらに貴族と平民。

 挙国一致となって国を盛り上げるために、あの平民でありながら卓越した腕を持つ剣士がどうしても必要だった。


「探せッ! あの平民を探し出せッ!」


 きっかけは今から一刻も前。

 街道を行く王室騎士団の先頭を走っていた守護騎士ガーディアン候補三人。

 右側を走るシルバの手元に元に一話の鳥が舞い降りたらしい。

 シルバは器用に手紙のようなものを受け取り、中を見ると同時に馬を勢いよく走らせたという。

 呆気に取られる守護騎士ガーディアン候補二人や王室騎士団ロイヤルナイツの面々をよそにシルバはどんどんと馬を加速させ、すぐに見えなくなった。


「マルディーニ枢機卿。守護騎士ガーディアン選抜試験は―――!


 ヨーレムの町に辿り着き、王室騎士団ロイヤルナイツ一行は町の領主から熱い歓迎を受けた。

 まだダンジョンの存在も黒龍の出現も伝えていないため何故、王室騎士団ロイヤルナイツがやってきたのか理由が分からず当初は困惑していた彼らだった。だが、豪華な王室騎士団ロイヤルナイツの面々が守っている馬車の中にカリーナ姫がいることやこの地近くで最後の守護騎士ガーディアン選抜試験を行うと伝えると、領主を含めた町の有力貴族から盛大な歓迎を受けた。

 そして今はどこからか守護騎士ガーディアン選抜試験の噂などを聞きつけた群衆が王室騎士団ロイヤルナイツカリーナ姫プリンセス・カリーナを一目見ようと領主の家の周りに集まってきている程だった。


「―――試験だと! お前たち二人で何が出来るというのだ!」


 マルディーニ枢機卿の傍に立つ守護騎士ガーディアン候補二人は蒼白な顔で立ちすくんだ。

 マルディーニ枢機卿はその内の一人、クーメル伯爵の一人娘を見つめる。

 守護騎士ガーディアン選抜試験の最後にまで残った唯一の女性。、

 由緒正しき貴族の出であり、過去の守護騎士ガーディアンに実力も劣らず、カリーナ姫に忠誠を誓っている。


 だが貴族だ。

 ダリスの大多数を占める平民から熱狂的な支持を受けることは出来ない。 

 この戦乱の時代、貴族と平民が一つになる必要があるとマルディーニ枢機卿は考えていた。

 軍にも武功を挙げようと大勢の平民が入隊を志願しており、王室騎士団がいつまでも貴族だけというのも都合が悪い。

 古い伝統や価値観に縛られていてはダリスはこれ以上の発展を望めない。

 マルディーニ枢機卿は誤解されることも多いが、紛れの無い愛国者であった。

 

「……光? ……ッ! マルディーニ枢機卿あれをご覧下さい!」


 それにクーメル嬢にはカリスマ性が足りない。

 平民であるシルバのような圧倒的な剣捌きという花があればまた話は変わってくるのだが。

 マルディーニ枢機卿が脳内で評していると、クーメル嬢が突然マルディーニ枢機卿の視界から消える。

 

「あれは光柱ライトポールです!」


 一体何事かとマルディーニ枢機卿はクーメル嬢が指さす窓の外を見た。

 ヨーレムの町の中心部、他より高く盛り上がった石畳の上に立つ五階建ての領主の家。

 家の最上階に位置する室内からは窓を通してヨーレムの町がよく見渡せた。

 さらにクーメル嬢が言う通り、四角い倉庫のような建物が密集する区域から小さな光の柱が上がっていた様子をマルディーニ枢機卿は確認した。

 部屋の隅に立ち壁の花と化していた領主がマルディーニ枢機卿からの視線を感じ、あの光が立ち上っている場所は工場区画でございますと説明した。


付与剣エンチャントソードを用いた光の合図! マルディーニ枢機卿ッ! あそこにシルバがいますッ! シルバが私達に何かを伝えようとしています!」

「―――枢機卿ッ!」


 クーメル嬢がそう叫ぶと同時に部屋の中に一人の兵士が室内に飛び込んできた。

 ヨーレムの町を守るために軍から派遣され、この町の警備兵一団を纏め上げている男であった。

 額に球のような汗を浮かべ、息を切らさんばかりに激しい吐息を繰り返している。


「マ、マルディーニ枢機卿! お耳に入れたいことがッ!」

「ええい次から次へと! 一体何だ!」

「黒龍が……ッ! 皇国上空、いえ、国境にて黒龍がダリスへ侵入を果たしたとの連絡が!」 


 マルディーニ枢機卿は黒龍の存在を知っていたが、それでも頭を抱えざるを得なかった。

 今は客間にある柔らかなベッドで、眠りについているダリスの姫。

 温室育ちの彼女にとってこの強行軍は余りにも辛すぎたらしく、体調を崩し寝込んでしまった。

 無理もないとは思うが、悠長なことは言っていられない。

 女王が退位を望んでいる今、例え適性や経験が無くともカリーナ姫の即位を急がねばならぬ事情があった。


「ッ!!!」

「グアッ!!!」


 マルディーニ枢機卿がこの後の方針を考えていると、突然の揺れにバランスを崩れて絨毯が引かれた床へと倒れ込んだ。

 窓が割れガラスの破片が散らばる。

 マルディーニ枢機卿の頬に切り傷を作るが、気にせず椅子の背を掴み何とか立ち上がった。

 ガラスが割れ、ぽっかりと開いてしまった窓から風が群衆の悲鳴と共に室内に流れ込んだ。

  

「今度は何だ、何が起こった!!!」

「市民から通報が! 工場区画の一角で爆発が何度も起きているそうです! そして爆発の中心部で激しい戦闘を行っている傭兵の一団がいるとの情報が! 黒と黄色が混じる服をッ! あの悪名高き金剛傭兵団の可能性がありますッ! そして彼らを相手取っている男の特徴は黒い髪と輝く剣ッ! 」


 守護騎士ガーディアン候補の一人。

 クーメル嬢は腰に下げるダリスの国宝、付与剣エンチャントソードを見た。

 光の大精霊の加護が込められし、付与剣エンチャントソード


「マルディーニ枢機卿! シルバです! 間違いなくその男はシルバですッ!」


 マルディーニ枢機卿は思わず叫びだしたくなった。

 一体、自分の知らぬ所で何が起こっているというのだ!



   ●   ●   ●



 そう、この時まだマルディーニ枢機卿は何も知らなかった。

 ダリスの精鋭とも言える王室騎士団ロイヤルナイツの半数を連れてくれば何とかなるだろうと安易な考えを持っていた。

 帝国では厄災の代名詞ともされる龍を、 

 北方の覇者、ドストル帝国ではその存在が確認され次第、帝国最強の三銃士一名が軍を率いて対処にあたる程に恐れられるモンスターをマルディーニ枢機卿は軽く考え過ぎていた。


 騎士国家ダリスの内政を司る重鎮は未だ気付いていなかった、

 伝統と義を重んじる騎士の国。

 厳しい気候を好む龍が出るのは北方ばかり。

 この国が龍の被害を受けたことなど歴史上、一度もない。

 いや、南方全体で考えてみても皇国が千年前に黒龍の被害を受けたきり。

 龍と言えど、モンスターの一種に違いない。

 そう甘く見ていたマルディーニ枢機卿が絶望に沈むのは、もう間も無くのことだった。




「黒龍ッ! まさか私の代に訪れるとはッ!!」


 そう。

 間違いなく、この時は誰も知らなかった。

 孤高の長い眠りから覚めた黒龍セクメトさえも。


「だがこれも運命の導き! 私は恐らく勝てぬだろうッ!  黒龍と対峙し、死ぬ運命にあるのだろう! しかし、これであやつも気付く筈だッ!」


 黒龍の出現を知り、帝国と睨み合いを続けていた国境から一人。

 ヨーレムの町へと急いでいるバルデロイ・デニングさえも知らなかった。


「スロウッ! お前は今何を思いッ、これから何を為すつもりだッ!!」


 千年の間、牙を研ぎづ付けた風のデニング公爵家。

 風の導きウィンド・ガイダンスによって、風の精霊に愛される者を当主に選び続けた結果。

 風の大精霊を従え、鋼の意思と優しき心を持つ男の子がこの世に生を受けた。


「お前が持つ血の尊さがッお前の未来を宿命付けたッ!」


 デニング公爵の顔に空から落ちてきた水滴が幾つも当たりはじめた。

 それは光の時間が消え、闇の時間が訪れる前振りだった。


「だが黒龍殺しの運命は私がお前の肩から取り除いてやろうッ! このバルデロイ・デニングの命に代えてッ! スロウッ! お前の父として私は―――ッ!」

 

 今宵、歴史上初めて。

 大陸南方にドラゴンスレイヤーの称号を与えられる男の子が誕生する。


 北方の統一を果たしたドストル帝国や過酷な環境を生き抜くモンスターを統べる北方魔王フレンダも気付いていない。

 帝国に対抗するために結成された南方四大同盟。

 騎士国家ダリス、サーキスタ共和国、自由連邦エロモスコ、魔道大国ミネルヴァも忘れていた。

 光と闇の大精霊も、火や水や土の大精霊さえも未だ知らない。


 嵐がやってくる、古き伝統を大切にし、他国からは田舎と評されるダリスに嵐がやってくる。

 舞台は大陸南西部、崩れたクッキーのような形をした騎士国家ダリスの北東地域。

 大陸中央に位置した皇国ヒュージャックに近いヨーレムの町から伸びる一本の街道の先。

 山々に囲まれ、周囲から隔離された森の中に存在するクルッシュ魔法学園。

 優れた教育機関として他国にも名を馳せる学園に。


 歴戦の傭兵が、悪名高い傭兵団が、巨大なダンジョンが。

 夥しいモンスターが、最下層に住まうダンジョンマスターが、そして伝説の黒龍が。


 地獄のような嵐の夜が過ぎ去った後、ダリスの人々は思い出すのだ。

 風の神童と呼ばれた過去を持ち、豚公爵と嘲り笑われ続けた男の子の存在を。



「―――ぶひぶひ、ぶっひぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!!!」



 大人気アニメ「シューヤ・マリオネット」には嫌われ者が存在する。

 デニング公爵家三男こと豚公爵、スロウ・デニングだ。

 学園中の嫌われ者として様々なヘイト要素を持ち、最終的には国を追放される悲惨な未来が豚公爵を待っている。

 しかし、黒い豚公爵から真っ白豚公爵へと変貌を果たしたことで物語は分岐した。


 火の大精霊と共に世界を救う熱血占師。

 シューヤ・ニュケルンを主人公とした物語ではなく。


 滅ぼされし皇国の姫や風の大精霊と共に、生を謳歌する風の神童。

 スロウ・デニングを主人公とした本当の物語へと。

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