38豚 今度は君に
今はお昼の時間帯。
大勢の生徒の方々が芝生の上に寝転んだり、お弁当を食べたり、それぞれが思い思いの時間を過ごしていた。
私はスロウ様にちょっと外の空気でも吸いながら売店で買ったお弁当を食べようと言われ、ついてきた。
今は広場の隅にあるベンチに二人で座ってゆっくりとしている。
「ちゃんと伝えるべきことは伝えないといけないって思ったんだ」
その言葉に私は思わずハッとした。
胸がドキッと締め付けられる。
主人である貴族の女の子を驚かそうと魔法を練習してるらしい従者の人の気持ち。
私はあまり友達がいないから、従者としての悩みを抱えているのは私だけじゃないんだと思ってほっとした。
主従関係は一心同体。
私もそうありたいと思っている。
だからいつか、言わなければいけないと思ってた。
「……」
スロウ様がじっと私を見ていた。
優し気な瞳、ちょっぴり太ったお身体。それでも大分痩せたほうだ。
本当にスロウ様はダイエットを頑張った。
とっても偉いと思う。
「……シャーロット、実は俺」
息を呑む。
じっと見つめた。
スロウ様は何か私に隠していることがあるんだろうか。
「……最近は、ダイエットのために朝食を抜いてる」
「そ……それは、ダメです。朝はちゃんと食べないと……」
スロウ様の額にはじんわりと汗が浮かんでいた。
何だかとっても緊張しているように見えた。
……。
よし、次は私の番だ。
「す、スロウ様……、実は私……」
「……うん」
見つめ合う。
実はかなりドキドキしていたりする。
こうやって隣同士に座って、腕と腕が触れ合いそうな距離にいるなんて滅多にないから。
「……最近、外に出なさ過ぎて太ってきました……」
「そ、そっか……。それは……まずいね」
大問題なのだ。
何だか二の腕がぷにぷにしてきた気がするし……。
アリシア様がこの前持ってきてくれたお菓子が本当に美味しくて、ついつい手が伸びてしまうのだ。
スロウ様は頑張ってダイエットしているというのに、従者の私が太ってどうするんだ。
何だか可笑しくて笑ってしまった。
スロウ様も苦笑いして私を見ていた。
「……シャーロットもダイエットしなきゃな。ぶひぃ」
「はい、そうですね……」
スロウ様はたまにぶひぃとか言うようになった。
理由は分からないけれど、呼吸するのと同じように自然に出てしまうらしい。
私は可愛いと思うんだけど、スロウ様はその癖を出来るだけ早く治したいらしい。
「……ぶひぃ」
何だか一気に緊張感が緊張感が無くなった気がした。
スロウ様はぶひぶひ言いながら、柔らかな芝生の上で寝転んでいる人たちを見ていた。
「スロウ様……私、さっきの従者の方の話。すごく心にしみました。……だからあの。私言います。えっと……スロウ様。実は最近、考えていることがあるんです」
もう昔のスロウ様じゃない。
ダイエットに成功したら、もう誰もスロウ様のことを豚なんて呼ばなくなるに違いない。
そして、スロウ様はこのままどんどんかっこよくなるのだろうなあって思う。
従寮女子寮でもスロウ様がかっこよくなるって噂をする人が増えてきたし、玉のこしを狙おうかしらなんて言う人達が増えてきたから。
このままいけば、スロウ様は私の手の届かないどこか遠い場所に行ってしまうんだろう。
「スロウ様がこのままダイエットに成功して悪戯とかをしなければ。きっとスロウ様はこのクルッシュ魔法学園にはいられないと思うんです」
貴族の若者は皆、学園に通うわけじゃない。
この学園の卒業生であるということは貴族の方々の中では一つのステータスらしく、卒業生は強固な繋がりで結ばれ、将来のお仕事などでも卒業生が便宜を図ってくれることもあるって聞いている。
そういった繋がりを目的に通う貴族の若者も多いらしい。
でも、スロウ様はデニング家。
この国で一、二を争う大貴族なのだ。
さらにデニング公爵家の今の当主。
スロウ様の父親は私の目からも分かるぐらいスロウ様を溺愛してした。
スロウ様がちゃんとしていることが伝われば、すぐにでもスロウ様はデニング公爵家に連れ戻されると思う。
「きっと家に帰るように言われます。そして学園で学ぶことよりももっと専門的なことを実地で学ぶことになるはずです。だってスロウ様がこのクルッシュ魔法学園で学ぶことはもう殆ど無いと思うんです」
スロウ様は頭が良い。
魔法の実技もそうだけど、勉強においても断トツで一番だって私は知っている。
そして今のスロウ様がデニング公爵家に戻れば―――きっと。
「デニング家で、スロウ様の従者として私が相応しくないって言われていることを知ってます。でも、スロウ様は昔からそんな私をいつも庇ってくれました。……スロウ様が悪戯っ子になるにつれてそういう声が減っていって……実は私ホッとしていました」
小さい頃からスロウ様は私を守ってくれた。
周りに馴染もうとしなかった私の傍に根気強くいてくれた。
でもそんなスロウ様だからこそ、私はスロウ様の従者としてちゃんと言わないといけないのだ。
辛いけれど。
本当はずっと一緒にいたいけれど。
私はスロウ様の従者だから。
スロウ様はこのままいけばとっても立派な人になるに違いないから。
スロウ様はとってもとっても偉くて立派になる人だから。
スロウ様を私なんかよりももっと上手に支えることが出来る従者の存在が将来は絶対に必要だと思うから。
「今のスロウ様がデニング公爵家に戻れば、きっと皆さん喜びます……。そのままスロウ様が立派な人になればなるほど、私より相応しい従者の方が必要だって思うんです。やっぱり……私じゃないと思うんです……だって、私……魔法も使えません」
滅びた皇国ヒュージャック。
皇家に連なる人は伝統的に魔法を使うことがとっても下手だ。
「デニング家のような大貴族に連なる方の従者は皆魔法がとっても上手です。従軍することが多いデニング家では、従者は魔法を用いて命に代えても主人を守ります。戦場は危ないから、従者は命に代えても守らないといけないんです」
私も例に漏れず、簡単な魔法も使えない。
デニング家でお世話になっているとき、スロウ様やアリシア様の魔法を見てとってもとっても憧れた。
けれど、私は魔法が使えなかった。
スロウ様に何度も何度も魔法を教えてもらったけど、一度も成功したことが無かった。才能が無いのだ。
「スロウ様はこの先、絶対に立派な方になります……。ずっとスロウ様を見てきた私だから誰よりも分かるんです……」
悲しくて悲しくて涙が出そうになった。
スロウ様の表情が変わった。
優し気な表情からショックを受けたような顔に。
私は慌てて顔を下げた。
「私じゃダメなんです……。私、守られてばっかりです……今だってそうです……。危険な人が学園にいるなら私も従者としてスロウ様を助けるべきなんです……それが本当の従者としての姿だと思うんです。でも、私は何も出来ません。……身を引くことも、従者としては大事だと思うんです……」
困惑したような泣きそうな、そんなスロウ様の顔を見たのは初めてだった。
やっぱり私はダメな従者だ。
またスロウ様を困らせてばっかりだ。
いっつも私はそうだ。
何にも出来ないシャーロット。
「スロウ様。ごめんなさい…………どんどんスロウ様が遠くに行っちゃう気がしてつい……」
「…………そっか」
触れ合う腕からスロウ様の体温を感じる。
いつの間にか隣り合うスロウ様と私はピッタリとくっついていた。
その事実に今、気づいた。
胸が高鳴った。
スロウ様の横顔をこっそりと見て他のものは何も視界に入らなくなった。
「……シャーロット。俺はね。従者だとか、貴族だとか、平民だとか。魔法が使えるとか、使えないとか、どうだっていいと思ってるんだ」
どうだってよくない。
平民だったり貴族だったり王族だったり、身分の差は大事なものだ。
この魔法学園でさえ、身分の差によって住む場所などが厳格に定められている。
もう私の生まれ故郷、皇国は無くなり、今はモンスターに支配されている。
だからこそ、私はただの平民だ。
どこにも居場所の無い、平民だ。
私はただのシャーロット。
「シャーロット。俺は最近、何を大切にするかをずっとずっと考えてた。貴族という立場か、ダリスっていう国か。豚公爵っていう悪評か、風の神童っていう称賛か。そして思った。全部大事だ。かけがえのないものだ。俺は本当は欲張りなやつなんだ」
私は自分が身を引くことがスロウ様の将来にとっては何よりも大事なことだと思っている。
さっきスロウ様が聞かせてくれた従者の方の言葉。
彼の言葉で私は自分の思いが間違ってないって確信できた。
「デニング公爵家に生まれた者という立場。確かに今までの歴史や先祖を見れば、デニング家に生まれた者の従者は魔法を使い、軍事において主を補佐することも出来る優秀な従者がついた」
風のデニング公爵家。
ダリスの軍事を司る、大貴族。
今まではスロウ様がちょっと反抗期を迎えていたから私みたいな平民でも従者として認められていただけ。
けれど、これからは違う。
スロウ様は立派な人になる。
絶対になる。
私には分かる。
だから私は―――身を引かないといけないんだ。
「けどさ。俺の何よりも一番大切なものに比べたらさ。本当に些細なことなんだよ」
そう思ったら、スロウ様をもっとよく見ておこうと思った。
私を地獄から助け出してくれた人。
小さい頃からずっとずっと私をこっそり助けてくれた人。
優しくて優しくて、今まで甘え続けてきてしまった人。
もう長い間一緒にいることは出来ない。
だからもし伝えるなら、私から伝えたい。
強い従者を探してくだしい。
強い強い貴方の隣に立てるような、風のデニング公爵家に相応しい従者。
「シャーロット。顔を上げて、こっちを向いてほしい」
顔を上げる。
スロウ様の唇が動き、言葉が漏れる。
聞きたくない、聞きたくないけど、聞かないといけない。
木漏れ日に照らされる、主の顔。
本当はとってもカッコいいはずの人。
やっぱり、私から言おう。
この人の口からききたくない。
「スロウさま―――」
スロウ様の口が動く。
聞きたくない、聞きたくないよ、でも聞かないといけない。
だって私は貴方の従者だから―――。
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