35豚 英雄への道

 その部屋は窓もなく、机の上に置かれたランプの明かりが怪しく照らすのみ。

 机の周りに配置された椅子、その上に二人の男と一人の女が音も無く座っていた。動くことを忘れたように、まるで彫像のように身動ぎ一つしていない。


 だが、もう一人の男が問題だった。

 長く伸びた黒い前髪は左目を覆い隠し、ゆったりとした質素な布の服を着て机に置いた両腕を枕にしながら眠っていた。

 その男は平民でありながら王室騎士ロイヤルナイトと同格の待遇を与えられていた。


「……zzz……zzz……」


 だがぐだーっと机に顎を乗せ、だらけているその姿。

 とてもじゃないが、名誉ある王室騎士ロイヤルナイトの一員と同じ扱いを受けるに値する男とは思えない。

 彼の名前はシルバ。

 平民でありながら、次期女王カリーナ姫の守護騎士ガーディアン候補に選ばれている二十代後半の男だった。


「ふわあっーと」


 シルバは長い眠りからようやく覚めたようだった。

 すぐに周りを見渡して、眠りに落ちる前と状況が何も変わっていないことに気付く。


「……まだ誰も来てないのか? ったく、いつまで待たせるんだよ。最終試験の発表だからってここに集められたんだぜ?」


 シルバはちょっとばかり今の現状にイライラしだしていた。

 全ては昨夜、王城に与えられた一室に届いた手紙。

 ロコモコが溺愛しているよぼよぼフクロウから届いたそれが原因だった。


「俺が返事を書こうとしてるときにこんな場所に連れてきやがって。平民には人権がないってか?」


 差出人を見て唖然とした。

 中身を読んで、シルバはすぐに手紙を送り返そうとした。

 だが、それは叶わなかった。

 シルバが守護騎士ガーディアン選抜試験を受ける間、住居として提供された一室に突然訪れた者達の存在。守護騎士ガーディアン選抜試験の一環だと言われれば、今忙しいからと断ることなど出来るはずもない。


 階段を幾つも下り、この狭くて面白味のないまるで牢獄のような場所に連れてこられ、試験内容が発表されるまで待機していろと伝えられた。


「長すぎだろ! 一体何してんだよあいつらは! もう一日近くも閉じ込められてんだぞ俺たちは!」


 人が十人も入ればぎゅうぎゅうになってしまいそう。

 恐らくは地下だろう。そう言えば王城の地下には罪人を一時的に監禁するための部屋が幾つもあると聞いたことがあった。

 シルバはこの場所に閉じ込められてから暫く騒いだ後、眠りについた。

 かと思えば再び文句を言い始める。

 シルバと同じく椅子に座った二人の男女からはシルバに向けて殺気が向けられているが、シルバは気付く素振りも見せない。


「平民。次に騒げばその首、永遠にこの世から別れることと知れ」

「怖えよ! てか、もう一日近くだぞ! 窓がないから今が昼か夜かも分からねえ!」

「我らはダリス次期女王、カリーナ姫の守護騎士ガーディアン候補。守護騎士ガーディアンとなれば、どのような時でも命に代えてカリーナ姫を守らなねばならない。このような部屋に閉じ込められている理由は一時も集中力を欠かすなということだ。それぐらいのことも分からぬとはな。何故貴様のような粗暴な平民がカリーナ姫の守護騎士ガーディアン候補に選ばれたのか本当に理解に苦しむ。全く、マルディーニ枢機卿の遊びにも困ったものだ」


 そういって男は瞼を閉じ、黙り込んだ。

 椅子に座るもう一人の女性はこの場所に連れてこられてから、一言も言葉を発していない。

 

 シルバはそんな二人を見て思う。

 いけすかねえ肩苦しい奴等、王室騎士を辞めたロコモコの気持ちが今ならよく分かった。

 そもそも、自分は守護騎士になりたいなどと言ったこともない。

 カリーナ姫の希望だとこの国の影の支配者、あのギョロ目枢機卿から言われ勝手に守護騎士ガーディアン候補に加えられ。


「……はぁ。俺が希望したわえじゃねえっての」


 シルバがこの場にいるのは全てカリーナ姫の希望によるものだった。


「はいはい、分かったよ。分かった、黙りますよっと」

「本当に理解しているのか? 貴様のような平民がダリスの国宝、付与剣エンチャントソードを一時的とはいえ与えられるとは。本来であれば触ることすら出来ぬものだぞ」


 シルバは自分の腰に付けている鞘に納められた剣を見た。

 精霊の力を込めることが出来るらしい希少金属。

 この国のとある場所にしか存在しない魔法鉱石をふんだんに用いて生み出された剣。

 ダリスの国宝、この世に10本も存在しないとされる付与剣エンチャントソード

 シルバに渡された付与剣エンチャントソードにも光の大精霊によって加護が込められている。

 最終試験に残った三人には光の大精霊との相性を見るために常に帯刀しておけとマルディーニ枢機卿から厳命されていたのだ。


「だから俺が希望したわけじゃねえっての」

「貴様まだ言うか……そう言えば噂で聞いたことがあるぞ。平民、お前はあの墜ちた風スロウ・デニングの元騎士だったそうだな」

「おい! いい加減にしないか! 気が散るのだお前たち! これだから男というものは!」


 この場にいるもう一人の女。

 先ほどから一切の表情を崩さず、瞑想を続けているように見えた女がぴしゃりと言い放った。


「申し訳ないクーメル殿。平民が余りにも無知のため、つい」


 閉ざされた狭い部屋に静寂が舞い戻る。

 シルバは顔を伏せ、小さく笑った。

 墜ちた風と呼ばれしあの少年から送られた手紙を思い出したからだ。


「……墜ちた風、ね」


 シルバは昨夜の感動を思い出す。

 ロコモコ愛用のフクロウから手紙を受け取り、内容を読み終わった時の身震いするような震えを忘れることが出来ない。

 嘗ての雇い主であり、そして友であったスロウの坊ちゃんからの手紙の内容はそれはもう簡素なものだった。


【気付くのが遅すぎたのかもしれないが、俺一人ではダメだと気付いた】


 シルバは固まった。

 くしゃくしゃになった手紙。

 何度も何度も書き直しては消したのだろう汚れた文面。

 そこに書かれた言葉の一部はシルバにとって、ここ数年で一番の衝撃だった。


【シルバ。俺には……実は昔からとても心に思っている人がいる】


 思わず笑った。

 バレバレだった。 

 この世にただ一人、スロウ・デニングの演技が通用しなかった人間がいる。

 そう、シルバだけは気付いていた。

 奴隷市場から救い出した女の子。

 今頃は美しく成長したであろう彼女と出合ってから彼は変わった。

 

「……坊ちゃん。バレバレなんですよ」


 くつくつと笑いだしたシルバを見て、椅子に座る男女二人は怪訝な顔をした。


【俺が昔思い描いた夢。あの馬鹿らしいお伽噺が実は彼女の幸せに一番繋がることにようやく気付いた】


 ……シルバは頭を抱えた。

 スロウの坊ちゃんが描いていた夢とは何だっただろうと。

 そして、少しずつシルバは昔を思い出していった。

 スロウ・デニングという子供と平民である自分が出会ったあの日を。

 

 悠々自適の旅をしていたシルバは森の中で見つけてしまった。

 一人の赤ん坊を人質に取られ、固まっている杖を持った小さな子供、周りには見たことの無い無数のモンスターが死んでいた。

 隠れて話を聞いていると、どちらが悪者なのかは明白だった。

 だから、助けた。

 杖を振るい様々な魔法を駆使していた子供は噂に聞いたことのある風の神童と知り、驚いた。

 その後、風の神童と彼は様々な話をした。 

 風の神童も彼も、誰にも語ったことのない夢を夜通し語った。


【もし今でもお前が俺と同じ夢を心に秘めているのなら】


 二人の夢は、全く同じものだといってよかった。


【俺は嘗ての友と共に、あの夢にもう一度挑みたい】


 幼き頃からシルバが剣を振るう理由はたった一つの夢のためだった。

 年を取った今では諦めて挫折してしまった。

 ただ剣を振るうしか能の無い自分には到底無理だと悟ってしまったから。

 ただの平民であるシルバは自分には不可能と気付いたその夢を思い出さぬよう、心の奥にそっとしまい込んでいた。


【世界を平和にすることは意外と簡単なのかもしれないと気づいたから―――】


 夢見た未来のために自分は平民の武器を手に取ったはずだった。

 いつの間にか剣を取った理由を忘れてしまっていた。

 そんな自分は流されるまま、あのギョロ目枢機卿に言われるがまま、守護騎士ガーディアンとなるための試験などを受けていた。


【―――近い将来、俺は魔王に近しいモンスターによって支配されている皇国の跡地に向かうつもりだ】


 手紙を読み終えた時、シルバの未来は確定した。

 シルバは何のために強さを求めていたのかを思いだした。


「……年を取るってのは嫌なもんだ。俺はあの日の夢をとっくに忘れちまっていた。ああくそ、思い出しちまったら止まらねえ。坊っちゃん、やっぱりあんたはすげえよ」

「平民! だから煩いよ言っている!」

「ああ……わりい……ってあれ?」


 だが。ちょっと待てよ。


「なあ。今、貴族が皇国の跡地に向かうとどうなるんだっけ?」

「馬鹿だな平民は! 今の皇国は魔王の配下によって支配されている南方の敵国だ! 魔王は入ってくる人間は誰でも敵とみなすと宣言している! ダリスの貴族が皇国の跡地に入る場合は国とは関係が無いと! その立場を放棄する旨を国に届けるのが道理だ! 皇国が滅ぼされた当初は義によって立場を捨てた貴族もいたが、最近では滅多にいない! あそこはモンスターの楽園なのだから!」

「ああ、だよな。ありがとう」

「おいお前たち、うるさいと言っている! これだから男は!」


 ドストル帝国に滅ぼされ、現在は魔王の配下に占領されている皇国ヒュージャック。

 シルバは笑った。

 彼の相変わらずの破天荒具合を懐かしく思ったからだ。


 だって、あの魔境へ向かうということは―――。

 ―――貴族としての自分を捨てるつもりだと気づいたからだ。

 


   ●   ●   ●



「カリーナ姫の守護騎士ガーディアン候補達よ! 最終試験の舞台がようやく決まった!」


 不意打ちだった。

 堅く閉ざされた扉は勢いよく開かれ、瞑想を続けていた守護騎士候補二人ははっとして見た。

 開かれた扉の先にいたのはデニング公爵と並ぶダリスの重鎮であり、カリーナ姫の守護騎士ガーディアン選抜試験を主導する男。

 頭を剃りあげ、ぎょろぎょろとした鋭い瞳を持つマルディーニ枢機卿だった。


「目的地はヨーレムの町とクルッシュ魔法学園! また今回の旅にはカリーナ姫が同行されるため半数の王室騎士団と共に儂も行く!!!」

 

 予想だにしない目的地、カリーナ姫の同行、王室騎士団の出陣、そしてマルディーニ枢機卿の来訪、突然告げられた事実に平静を保てた者はいなかった。

 その様子をマルディーニ枢機卿は満足そうに眺め、再び叫んだ。


「クルッシュ魔法学園モロゾフ学園長より緊急の連絡あり! 迷いの森! 学園の外に広がる森に元王室騎士ロイヤルナイト、ロコモコ・ハイランドがダンジョンの発生を確認した! 軍の大失態だ! だがこれは王室騎士団が軍に、いやデニング公爵に恩を売る絶好の機会でもあるッ!」


 魔法学園の周りに広がる森にダンジョンが生まれた。

 今年の探索で見落とした軍の大失態であることは間違いない。

 大貴族デニング公爵が纏めるダリス軍、そしてマルディーニ枢機卿が全権を持って束ねる王室騎士団。

 国の軍事を司るデニング公爵、国の内政を支配するマルディーニ枢機卿。

 二人の仲の悪さはダリスの子供ですら知っている。


「さらに悪い知らせもあるぞ! ダンジョンなどではなく、これこそが王室騎士団やカリーナ姫、そしてこの枢機卿ある儂が同行する理由である―――」


 国のトップたるマルディーニ枢機卿。

 守護騎士候補たる彼らは目の前の老人に近い男が誰かを理解し、慌てて立ち上がり姿勢を正した。


「―――ダリス国境より目視にて皇国跡地の上空を飛び回る黒龍の姿を確認したとのこと! 現在、皇国を占拠しているモンスターと黒龍の間で激しい戦闘を行われているらしいのだ! 黒龍は戦いながらゆっくりとダリス国境沿いへ、そのままいけばヨーレムの町へと近づいているとのことだッ! ゆえに全速力でヨーレムの町に向かわねばならない! 万が一の際には王室騎士団は一仕事終えたカリーナ姫の指示のもと、住民を守る盾となってもらう! 少々強引でもカリーナ姫には戦の匂いを知ってもらうことにした!」


 枢機卿の勢いに三人は思わず呑まれてしまう。

 覇気溢れる男はこの国の枢機卿。

 年を重ね多少衰えたとはいえ、長年ダリスを支えた重鎮中の重鎮。

 その言葉には国を支え続けた男の確かな重みがあった。

 枢機卿から怒涛のように伝えられる事実に対し、先ほどとは打って変わって蒼白になった守護騎士ガーディアン候補唯一の女が戸惑い気味に言った。


「マルディーニ枢機卿……? カリーナ姫に一仕事とは?」


「カリーナ姫の守護騎士ガーディアン候補達よ! ダリスの国宝、付与剣エンチャントソードを握り締め命を捨てる覚悟を決めろ! 貴様ら三人にはカリーナ姫と共にダンジョン攻略に尽力してもらう! そうだ! ダンジョンマスターを倒し、戦いの中でカリーナ姫の信頼を最も得た者が次期守護騎士ガーディアンである! この戦乱の時代には、強く豪胆な守護騎士ガーディアンが求められるのだ! カリーナ姫と共にダリスの顔となり、英雄への道を駆け上ってもらうぞ!」 


 枢機卿は守護騎士候補達を焚きつけるように両手を広げる。

 そして一人一人の顔を見ながら、大声で告げた。


「”若き英雄”こそが、”若く可憐な姫”の守護騎士ガーディアンに相応しい! そう! ”英雄”の誕生こそがダリスの生きる道なのであるッ!」

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