29豚 皇国の姫は財布を取り出す

 アリシアはペラペラとページを捲りながら、童話の内容を少しずつ思い出していった。


「お姫様と黒龍セクメトのお話。この童話には皇国ヒュージャックの大昔に実際に起きた出来事と書かれていますけどそんなことありえませんわ」


 大昔、皇国ヒュージャックは北方より下ってきたモンスターの大群に襲われ、滅亡寸前にまで追い込まれた。

 だが突如空に現れた黒龍セクメトというモンスターが事態を一変させるのだ。

 黒龍は圧倒的な力でモンスターの群れから皇国を助ける見返りに、皇国のプリンセスを自分に渡すよう要求したとされている。

 当時の皇国のお姫様はモンスターと心を交わすことが出来たとされ、悠久の時を生きる孤高の黒龍はそんな姫を花嫁として欲していたと童話の中では書かれていた。

 アリシアは内容を思いだして満足したのか、紅茶を飲んでぷはーと息を吐いた。


「風の大精霊に守護されし大国が滅ぼされるなんて今でも信じられない話ですわ」


 童話の舞台となった皇国ヒュージャックはもう存在しない。

 それはアリシアがまだ幼い頃の話だ。

 大陸の北方を制圧したドストル帝国を警戒していた中で、突如モンスターの大群が皇国に襲いかかった。

 

「……報われない話ですけれど、皇国があの事実を身をもって証明したことで南方四大国は纏まることが出来ましたわ」


 モンスターだけならまだ何とかなったかもしれないが、モンスターの群れに帝国の兵が加勢した。

 モンスターと共闘する帝国の前に勝ち目は無いと判断した皇国の民は即座に逃げ出し、被害はそれ程大きくなかったと言われていた。

 そんな皇国の敗因は帝国の永遠の敵である筈の北方モンスターに帝国が加勢したこと。

 そして南方四大国は帝国とモンスターへの脅威に備えるため、即座に固い同盟関係を結んだ。

 

「そうですね。例え滅びてでも北方の脅威を伝えることが出来ただけ良かったのかも……」


 シャーロットは昔を思い出さない。

 自分が生きるために命を賭してデニング公爵領に送り届けてくれた者たち。彼らの望みは自分がただの一人の少女として生きることだった。

 長い時間が掛かったけれど、自分はただの女の子になることが出来た気がする。

 このクルッシュ魔法学園で時間があれば本を読んだり、たまにはお散歩だって楽しむ余裕がある。

 閉ざされた世界、けれどこの学園はシャーロットにとってはこの場所がこの世で最も安全な場所だった。

 そう、シャーロットは今、幸せだった。


「……何だか湿っぽくなってしまいましたわ!」


 アリシアは目の前に座るシャーロットという少女をじっーと見つめた。

 自分から見てもはっとするな透明感を持ち、気品に溢れた少女だ。


「それにしても豚のスロウの従者なんかをいつまでしているんですの? デニングから破門寸前の豚のスロウなんかに付いていてもいいことはありませんわよ。お仕事でも何でも、少しはシャーロットさんの頼みを聞けるぐらいの力はアタシ、ありますわよ?」

「私は今、とっても幸せなんです。スロウ様は身寄りのなかった私に居場所をくれた方ですし、この学園にいる人は皆楽しそうで見ているだけで私も幸せな気持ちになるんです。それにアリシア様。私はまたあの頃のように、スロウ様が皆の人気者になるような日がきっと来ると思っていますよ」

「人気者ですって!? そんなことあるわけないですわ! 確かに痩せていってるようですけどそんなこと天地がひっくり返ってもあり得ませんわ! あ、そういえばシャーロットさん! 一部の生徒の間で豚のスロウが本当に更生するのかどうか賭けになっているらしいですのよ!」


 シャーロットはきょとんとして、声高に叫ぶアリシアを見た。


「賭けですか?」

「そうなんですの! 今やクルッシュ魔法学園の大半の生徒が注目する一大イベントになっているらしいですわ! しかも更生しないに大半の生徒が金を駆けている! そう、これが現実ですわ! ちょっと頑張っても今までの悪評を取り戻すなんて無理なんですわ!」


 勢いよく言い放ったが、口元にはニヤニヤと人の悪そうな笑みを浮かべている。そんな様子を見て、シャーロットもアリシアの云いたいことを理解する。

 二人は生まれはちょっと特別かもしれないが、このクルッシュ魔法学園ではただの女の子以外の何者でもない。

 幸せな毎日に訪れるちょっとしたエンターテイメントがあれば、飛びつかずにはいられないのだ。

 シャーロットは静かに立ち上がり、鏡台の引き出しから茶色の財布を取り出した。


「アリシア様。実は私、王都ダリスで流行っている本が沢山欲しいんです」


 シャーロットはずっと欲しかった恋愛本の数々を頭の中に思い浮かべる。

 あれも欲しいし、あの続きも読みたい、ああでも、あの作者の新作も出たって言うし……。

 どうしよう、引き出しに詰め込んだ本もそろそろ溢れそうだし……。

 そうだ、新しい隠し場所も考えなくちゃ。

 今のところ誰にも気づかれていないが、シャーロットの部屋には恋愛本だけが詰められた秘密の引き出しがある。

 クルッシュ魔法学園に来ることで、シャーロットはついに自分だけの部屋をゲットしたのだ。寝る前に恋愛本を読みながら好きなだけ悶える時間を手に入れることが出来て本当に嬉しかったことを思い出す。


「さすがシャーロットさんですわ!」


 待ってましたとばかりにアリシアはシャーロットの手を強く握り締めた。

 従者であるシャーロット、そして強引に留学を決めたサーキスタの第二王女プリンセス


「勝ちが分かってるギャンブルに乗らない手は無いって! そんなことわかってるんですわっ!」


 二人のお小遣いは潤沢とは到底言えないからこそ、今この学園でこっそりと行われているエンターテイメントに乗らない手は無いのだ。


 

   ●   ●   ●



 そして、この部屋にいるもう一匹。

 風の大精霊アルトアンジュは呑気にごろごろと床を這っていた。

 その姿はまるで地を這うゾンビである。

 誰にも見られないからと風の大精霊はやりたい放題しているのだった。


《実体化したいにゃあ~。でも闇の魔法は苦手にゃあ》


 何の心配もしていない。

 確かに帝国が自信を持って世界に吹聴する三銃士の存在や才気溢れているらしい若く賢き王子、そして闇の大精霊の加護を受けた兵たちは強力かもしれない。

 さらにそんな帝国と肩を組ん北方の魔王の存在も捨て置けない。


《でも……あいつに比べたら、どいつもこいつも雑魚雑魚雑魚、ざーこにゃあ》


 この国にはあいつがいる。

 今は何やら学園に忍び込んだ傭兵を探しているらしいあいつがいる。

 シャーロットをいつも見守り、皇国の忘れ形見を生涯守ると決めたあいつがいる。全てを誤魔化すために豚公爵と呼ばれるようになったあいつがいる。 


 自分とシャーロットの存在があいつの人生を大きく歪めてしまったけれど。

 俺が好きだからしてるんだと優しく微笑み、太り続けたあいつがいる。

 風の神童?

 あいつがそんな言葉で表せるような存在でないこと風の大精霊は知っている。

 アルトアンジュは初めてあいつと言葉を交わした瞬間を思い出した。

 今でも脳裏にこびりついている、精霊達があいつの味方をした不思議な光景。


《帝国の奴らも魔王もみーんな覚悟した方がいいにゃあ。お前たちがこれから相手にするのはチートって奴だにゃあ》


 風の大精霊は興奮してにゃあにゃあと部屋を走り回った。

 あいつがどこまで成り上がるのか、これからどんな生き方を選ぶのか、楽しみで仕方が無い。

 帝国の戦士達に敗れた過去など、アルトアンジュはもう恥じない。

 その代わり、自分はとんでもない人間と出合うことが出来た。

 うちのシャーロットにべたぼれしているので、他の大精霊に浮気する心配も無い優良物件だ。


《あいつと出合って、豚のように好き勝手に振る舞うあいつを見てシャーロットは好きに生きてもいいんだって気付いた筈にゃあ。でも、変な妄想をするようになったのはいただけないにゃあ》


 そう、うちのシャーロットはとっても可愛い子なのである。

 いつも一人で色んなことを妄想して、恥ずかしがっている可愛い子なのである。

 いつも一緒にいるから風の大精霊様は色んな事を知っているのである。

 クールビューティーを気取っているけど、まあ中身はそこらの娘と変わらない乙女さんであることをよく知っているのである。

 あいつが表舞台に出るにあたって、滅ぼされし皇国のお姫様であるシャーロットにスポットライトが浴びることもあるだろう。

 けれど、アルトアンジュはもう一切の心配をしていない。

 あいつなら、全てを投げうってでもシャーロットを守ってくれるに違いないから。


《そう! お前にゃ!》


 そして、二人のお姫様が見つめ合う机に飛び乗る。

 どうせこの二人には聞こえないだろうけど。

 一応、言っておこうと思う。

 特に生意気なチビッ子に。

 アリシアの顔に向かって風の大精霊はぺちぺちと前足でパンチを繰り出した。


《……チビッ子! 変な色ボケをするんじゃないにゃあ! あいつに釣り合う人間なんて、うちのシャーロットぐらいしかいないにゃあ!》


 後ろ足で風の大精霊は立ち上がり、アリシアの頬っぺたに向かって飛び掛かった。

 アリシアは頬に感じた違和感を不思議に思い、風かな? と首を傾げた。

 アリシアが感じた違和感の原因である風の大精霊は机から床へと華麗に落下しながら叫んだ。


《あいつの凄さに気付いているのは逝かれた軍人親父だけにゃあ! そんなのってつまらないにゃあ! 学園もつまらないにゃあ! ここには刺激も新鮮な魚もないにゃあ! もっと煌びやかな所に行きたいにゃあ!》

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