28豚 第二王女、久々に早起きをする

 アリシア・ブラ・ディア・サーキスタは陽の光を受けて輝く木々によって彩られた道を進む。道の両側に建てられた大きな教育棟の中で授業を受けている生徒が多数なのか、通りを歩く人影はまばら。

 自然と豊かに調和されたクルッシュ魔法学園の爽やかな空気、もう一年以上住んでいるため学園が第二の故郷にも感じられる。


 亜麻色の髪と気の強そうな勝ち気な瞳。

 背丈は低く、華奢な女の子だけど、プライドが高くてとっつきにくいと思われがち。学園の大人し目で地味な制服を着ていても、ずいずいと歩いていく様子はまるで威嚇している子猫のよう。


 クルッシュ魔法学園の生徒は午前に多くの授業を入れて、午後は友達と遊んだり自由な時間を過ごすことが多いのだがアリシアは午後を中心に授業を組んでいる。

 理由は単純。


「むにゃむにゃ、ふわ〜〜〜ですわ!」


 朝起きるのが苦手なのた。

 だから朝食を抜かすことだってままあった。

 それは朝が苦手というよりも、戦場のようにごった返すあの人混みが慣れないという理由も多分に含まれていたが。

 そんなアリシアが早起き、と云う程の時間帯でもないが、朝から寮の自室を出て学園を歩く理由はただ一つ。  

 豚のスロウの従者である彼女と楽しくお茶会をする、ただそれだけの理由だった。


 寝ぼけ眼で学園内を歩く。

 道の両側に不規則に置かれたベンチや通り過ぎる際に注がれる視線なんて慣れたもの。だがあからさまに指を指され、笑い声を上げられたらアリシアとて無視は出来ないのだ。

 男の子達に向かっていくアリシアを見て、通り過ぎる生徒達が眉を顰める。

 また喧嘩が始まるのか……そう思った者達は関わり合いにならないように早足になる。

 サーキスタのお姫様プリンセスは喧嘩っ早いことでも有名だったのだ。

 ベンチに背を預けていた男子生徒たちは制服をだらしなく着崩して、彼らの方に向かってくるアリシアを指さしていた。


「そこの貴方。シャツが出ているし寝癖もヒドイですわ。伝統と歴史を重んじるダリスの名が泣きますわね」

「これはこれはサーキスタのプリンセス、手厳しいですね。でもこれは寝癖なんかじゃありませんよ。これはファッションって言うんです。それよりどうですか? 僕らとお茶でも。来年から軍に入隊が決まった哀れな僕にささやかな恵みを下さりませんか」

「遠慮しときますわ。用事がありますの」

「はは! サーキスタのお姫様プリンセスはお前の誘いがつまらないってよ! それにその格好はどう見てもファンッションには見えないぜジェロニモ! 軍で一からファッションを勉強してきな!」

「……でも、一応は貴方の無事を祈っててあげますわ」

「ひゃっほう! 見たかお前ら! サーキスタのお姫様が僕の無事を祈るとよ!」


 従者をやりながら授業を受けている者たちの数を入れると、生徒総数は2000人を超えるクルッシュ魔法学園。

 当然、サーキスタにも魔法学園は存在するけれどこれ程大きな規模じゃない。

 魔法以外の授業だって多岐に渡り、数々の偉人を輩出した歴史を持つクルッシュ魔法学園。教師に目を向けても魔法を教えるものだけでなく、芸術や音楽といった方面で名をなした講師なども高給で雇っているぐらいだ。

 緑豊かな森の土地を開墾し作られ、四方をアリシアの身長の数倍の高さを持つ壁で囲まれたクルッシュ魔法学園はとても安全な場所としても知られている。

 学園の外側に広がる森にはモンスターも住み着いているが、生徒の授業相手にもなる弱弱しいモンスターが出るよう調整され、ここ数十年は森の中で地下ダンジョンが出来たなんて話も聞かない。


 他国の魔法学園に行きたいと我儘を言うにあたってアリシアは幾つかの約束を両親と交わした。

 そのうちの二つ。

 自分の身の回りのことは自分でやること、そして余り喧嘩をしないこと。

 アリシアは背後で何やら盛り上がっているらしい男子生徒達の声を聞きながら、目的の場所に向かって再び歩き出した。


「豚のスロウが従者を連れてきていたなんてびっくりですわ。それにあのシャーロットさんが……」 


 ヨーレムの町でシャーロットに出会ったことを思い出す。

 学園に来てから一年以上立つというのに、アリシアはシャーロットの存在にあの時初めて気付いた。

 というのも学園の中で豚のスロウとシャーロットが一緒にいるところを一度も見たことがなかったからだ。

 従者だっていうのに可笑しな話だとアリシアは思う。

 

「……まあ閉ざされた学園ですから何があっても可笑しくは無いですけれど」


 クルッシュ魔法学園は四方を堅牢な壁に囲まれ、入り口は唯一ヨーレムの街へと続く街道が伸びる正門のみ。


「嫌がらせなんて……本当に仕方のないことですわね」


 数少ない友人に話を聞けば、豚のスロウの従者をやっているシャーロットは学園内でそこそこ有名らしいのだ。

 平民でありながらも際立つ美しさを持ち、さらにあの豚のスロウの従者。

 あることないことの噂が少しずつ広まり、嫉妬や好奇心から軽い嫌がらせに発展したようだ。

 アリシアは自分が学園事情には詳しくないことを恥じた。

 知っていれば、助けたのに。


「でも、もう安心ですわ。何て言ってもこのアタシが友達だとアピールするのですから!」


 だからアリシアは考えた。

 自分と親交があることが分かれば、嫌がらせなんてすぐに無くなるだろう。

 これでも自分は南部同盟の一柱たるサーキスタの第二王女プリンセスなのだ。最後の王族とか色々と悪口を言われても自分は王族! 王族なのだ!


「ミス・サーキスタ!? このような場所にどうかされたのですか!?」

「ただ、お友達に会いに来ただけですわ」


 従者女子寮に入ってしまえば、寮監たちでさえ慌てて頭を下げるぐらいの力はまだあるのだ。



  ●



 アリシアが初めてシャーロットと出会ったのは6歳になったかといった時だろうか。

 どこへ行くのも珍しい銀色の髪をした大人しい女の子が自分と豚のスロウ、あの時はまだ豚じゃなかったっけ……まあ豚のスロウの後ろを付いてきたのだ。

 自信無さげで、何かに怯えるように不安そうにしていた様子を今でもはっきりと覚えている。


「ええっと、二階の何号室でしたかしら」


 一度、スロウの騎士として付いていた精悍で生真面目そうな男に聞けば、「従者見習い、なんですかね」と苦笑いをしていたことを思いだす。

 従者見習い?

 この女の子が?

 その時アリシアは大層驚いたものだった。

 シャーロットというらしいその子は豚のスロウがデニング公爵領地で違法に行われていた奴隷市場で見つけた子でもあるらしい。

 助けた中でも一番幼い彼女を見どころがあるといって自分の従者として連れまわしているのだという。

 それを聞いた時、アリシアはあいつらしい突飛な行動だと納得したものだった。


「ここですわね。こほん。シャーロットさーん! アリシアですわ! 大分時間が早いけど、来ちゃいましたわ!」

「わっ、アリシア様!? すみません、まだ用意が出来てなくて!」


 シャーロットはアリシアの声が聞こえた時、部屋の掃除をしていた真っ最中。

 想像していたよりもアリシアがかなり早くやってきたので大慌て。


「今行きます!」


 ドアを開ける直前にシャーロットは見られて恥ずかしいものはないかともう一度部屋の中を見渡した。


「……」


 そしてベッドの上に置かれたぬいぐるみ。

 すっかりと古ぼけて、色あせている。小さな子供が持っていそうなぬいぐるみ。

 ……。

 まずい、あれはまずい。

 ちょっと見られたら恥ずかしい。

 この年になってぬいぐるみと一緒に寝てるなんて思われたら情けなさすぎる。 

 ダメよ、シャーロット。

 ブレイディを隠さなきゃ。

 ぬいぐるみなんて見られたら、アリシア様に子供だって思われちゃう。

 ……。

 アリシア様に見つかったら、どうなるだろう。

 シャーロットはその時の様子を想像した。

 子供ですわ! シャーロットさんは子供ですわ! それも豚なんて! 主人そろって豚ばっかりなのですわね! なんて光景が頭の中に浮かんでシャーロットの白い頬が赤く染まる。

 まずい。

 これはまずい。

 何がまずいのか分からないが、シャーロットという少女は結構な妄想家だったのだ。


「……ちょっとだけ隠れてて」


 シャーロットは豚のぬいぐるみをシーツの中に力強く押し込む。

 そして急いで部屋の入り口に向かった。


「アリシア様! 今、行きます!」 






「アリシア様の誕生日プレゼントにスロウ様はいつも頭を悩ませていたんですよ」

「うーん。でもあのブローチはセンスが悪かったですわ」


 アリシアの7歳の誕生日にスロウがあげたブローチ。

 センスが悪いですわ悪いですわと言いながら、アリシアが今でも大事な日などにずっと付けていたのを思いだしてシャーロットはほっこりとした気持ちになる。


「あのブローチに決めるまでスロウ様が探したお店の数は十を超えるんですよ! 最後にはシルバさんやクラウドさんにまで苦言を呈されていたぐらいです。それぐらいスロウ様はアリシア様のことを大事に思っていました!」


 話題に上がるのはもっぱら昔の思い出話。

 三人で行ったピクニックや、二人の騎士を連れた探検の話。街でのお買い物や彼の珍しい失敗談。王都ダリスで行われた舞踏会や流行っていた演劇を見た記憶。

 アリシアとシャーロット、二人の立場は違えど、共に過ごした記憶は色あせない。

 話し出せば止まらない。

 そして、やっぱり話題は豚公爵である彼についてのものになるのだった。


「豚のスロウは変わりましたわ、ダイエットにもちゃんと取り組んでいるようですし。全くワケが分かりませんわ……ええ、考えが分からないのは昔からですけど……今回のはあんまりにもあんまりですわ」


 文句を言う口の動きは止まることが無く、淀みも無い。

 あいつのせいでアリシアは自分がどれだけ迷惑を被ったかと、熱弁を振るう。

 元、婚約者フィアンセだったということを知る生徒からからかわれたり、昔の話は本当なのか、風の神童として騒がれていた時の話をしてくれと頼まれたことも数知れない。

 楽しかったこと、嫌だったこと。

 そんな様子を身振り手振りを交えて、アリシアはシャーロットに語り続けた。

 

「―――本当に困ったものですわ…………あ、いえ。ちょっと喋りすぎましたわ。別にあいつのことが気になってたとかそんなことは一切ありませんからねシャーロットさん」


 アリシアはようやく気付く。

 いつの間にか自分は一人でかなり饒舌に喋っていたらしい。

 話題の大半があの豚のスロウについてのことだから、アリシアはそんな自分が急に恥ずかしくなってしまった。

 

「アリシア様は学園に来てからもスロウ様のことをよく見てらしたんですね」

「それは……まぁ。元……元! 婚約者フィアンセですし……ええ! 元ですわ! 元が大事なんですわ!」


 熱弁しながらアリシアは昔のことを思いだす。

 魔法も教養も振る舞いもサーキスタの王族として教育を受けていた自分が勝てることは何一つ無いと思わされるぐらいに昔のアイツは……まあ自分が好きになってしまったぐらいにすごかった。

 だから一杯思い出が出てくるのも仕方がないのだ。

 そう、仕方が無いことなのだ。

 それに最近のアイツを見ていると、何て言うか。

 色々なことを自分に思いださせる。

 まるで。


「……昔に戻った感じですわね」


 シャーロットはもごもごと喋る主人の元、婚約者フィアンセであった女の子を見て思った。

 これはもしかたら、もしかするのかもしれない。


「アリシア様、顔がちょっぴり赤いです」

「ななな! なんでもありませんわ! いいえ! ただ暑いだけですわ! この部屋、暑いですわ! シャーロットさん! 換気が必要ですわっ!」


 アリシアは立ち上がり大慌てで窓を全開に開け、何か別の話題を探そうとしてシャーロットの部屋を見渡した。

 綺麗に整頓された部屋、必要なものが最低限しか置かれていない。

 その中でも目立つのは沢山の本が収められた大きな本棚ぐらいか。

 アリシアは何か自分が知っている本は無いかなと思い、本棚の前へと移動する。

 狭い部屋なので数歩で済んでしまった。


「シャーロットさんは昔から本が好きでしたわ。それに今でも沢山読んでいるようですわね。……あ、これとか懐かしいですわ! 豚のスロウがこれを夢中になって読んで怒られていましたっけ」


 アリシアは本棚から一冊の本を取り出し、表紙をシャーロットに見せる。


「皇国と黒龍セクメトに関する伝説を記した童話。豚のスロウが買ってましたから、アタシも後で取り寄せてみたんですの。とっても古い本らしくて手に入れるのにかなり苦労した記憶が蘇りますわ……」

「スロウ様が夢中に?」


 シャーロットは不思議に思った。

 皇国でも知る者は滅多におらず、ダリスやサーキスタでは滅多に流通していない本のはず。内容もそれ程面白いものでもなく、ありがちがものなのだ。


「シャーロットさんの誕生日に本をプレゼントしたことがあったでしょう?」


 あった。

 とても面白くて何度も読み返した。

 でも、それが何の関係があるんだろう?


「クラウドさんやシルバさんと町の本屋を幾つか探してシャーロットさんの好きそうな本を探して回ったんですの。そうしたら寂れた古本屋で豚のスロウがこの本を興味深そうに読み出したんですわ。余りにもあいつが夢中になって読んでいるものですから、ただ読みは禁止って店主に怒られていましたの」  


 ただの童話だ。

 古本屋で見つけたからといって気にすることもないはずの古い本のはず。

 でも自分にとっては意味のあるお話で、あの童話を本屋で見つけた時にシャーロットは衝動的に買ってしまったのだ。

 

「確か内容は、ええっと何でしたかしら。……あっ、思いだしましたわ! 黒龍セクメトが皇国のお姫様プリンセスを―――」

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