27豚 一階の貴公子はバイトに励む

 毎朝のランニング後、水浴びをして軽く汗を流す。

 そのまま食堂として開放されている大広間に向かい、入り口間近で一際存在感を発している特注サイズの椅子に腰を下ろした。

 誰かの気遣いによって生まれた指定席。

 うーん、何だか愛着も湧いてきた気もするぞ。


「ぶひぃっと。さーて、どうしよっかなあ」


 朝ごはんが運ばれてくるまでの間、早朝のランニング前に起こった出来事について考える。

 俺の日課であるランニングコース。

 古びた研究棟の周りに今朝はデッパを含めた数人の平民生徒が俺を待っていたのだ。

 何やら平民生徒の間でデッパが土魔法をちょっぴり使えるようになったことが話題になっているらしく、空いた時間でいいから俺達の魔法を見てほしいと頼まれたのだ。

 魔法学園に入学するような平民生徒はほぼ全員魔法を習得することを目標に掲げ、期待と不安に心揺らして門を潜る。


「ごっはーん、ごっはーん、へーい」


 だけど現実はそれ程甘くない。

 平民生徒の入学者は毎年200人行くか行かないかぐらいのもの。その中で卒業時に10数人が何らかの魔法を使えるようになれば御の字とされている。

 それぐらい彼らの血に精霊は興味を示さないのだ。

 実際にロコモコ先生がやってる魔法演習の授業では貴族生徒が魔法をぶっ放すのと対照的に、平民生徒の周りには精霊が全くいないなんて光景は珍しくもなんともないのだ。


「朝ごはんをおくれー。おかずはちょっと多めにしておくれー。山盛りにしておくれー」


 でも断るのはなんか可哀想だしなー。

 魔法の才が自分に無いと早く分かれば、その分他の才を伸ばすことが出来るし……。

 よし、毎朝のランニング後、少しの時間だけ見てあげよう。

 傭兵が隠れ潜んでいるこの現状、もしかして彼らから面白い話が聞けるかもしれないしな。


「おーい、そこのメイドさーん。特等席の俺が来ましたよー、今日の朝ごはんはなんですかー?」


 広々とした大広間。

 入り口から奥まで何列もの長机が連なり、高い天井を支える壁窓から朝光が差し込んでいる。

 一日の始まりで大忙しのメイドさん達を尻目に、沢山の生徒がぺちゃくちゃとおしゃべりをしながら食事を楽しんでいた。

 寝癖そのままの男子生徒がふわーっとあくびをしながら俺の近くに座り、すぐに目の前に置かれた朝ごはんを口へとかっ込んでいく。

 は? え? おいそいつ! 俺よりも後にきたやつだぞ! 俺の朝ごはんはまだですか!? 


「ぶひーぶひぶひ! ぶひーぶひぶひ! ぶっひーっ!!」


 通りすがりのメイドさんに身振り手振りを交えご飯が欲しい旨を伝えると、メイドさんはあわあわと奥の厨房にすっ飛んでいった。


「ぶひーぶひぶひ! ……ぶひぃ?」 


 やることもないので、配膳を手伝っている従者の男女や雇われメイド達のてきぱきとした様子をぼーっと眺める。

 皆朝からきびきびしてるなあ……あ、あそこの長机に置かれた水差しが空だ! どれどれ? お? おお! すぐに気付いた! ひぇー、仕事熱心でいいですね。ところで俺の朝ご飯はまだですか?


 食事中のそうした雑用は基本的に雇われメイドの仕事である。

 だから貴族生徒の従者達が彼女たちと同じ仕事をするのは本当は可笑しいのだけど。手伝うと結構な給金が出るらしいのでやりたがる人が多いのだそうだ。

 たまに平民生徒でもやってる人がいるぐらいだしな、本当にたまにだけど。

 俺が学園のアルバイト事情に思いを馳せていると、ようやく目の前に朝ご飯が乗った銀色のトレイがさっと置かれる。

 ふぅー、俺は腹ペコですよ。

 ってあれ? 量多くない? パンとか皿に山盛りなんですけど? 近くの生徒達も羨ましそうに俺を見てるんですけど? 普通の量で十分なんですけど? ダイエットしてるんですけど?


「さっきの山盛りにしてくれってのは冗談のつもりだったんだけど……」


 配膳してくれたメイドに声を掛けようとして、俺は驚愕に震えた。


「っは! ビジョン! 何でお前が! その格好はまさか!」

「そのまさかですよ、スロウ様」


 黒を基調とした給仕服を着たビジョンが一歩下がり、恭しく俺に頭を下げた。

 綺麗な金の髪を丁寧に撫でつけ、サファイアのような綺麗な青い瞳、洗練された貴族であるビジョンの一礼にメイドたちがきゃあきゃあと声を上げていた。

 俺だけでなく、その給仕の正体に気付いた貴族生徒達も口をあんぐりと開けていた。

 うん、その気持ち分かるよ。貴族生徒が朝ご飯の配膳をするなんて聞いたことが無い。

 家の評判に関わる結構な問題だ。

 しかし、当の本人はいたって涼しい顔のまま、平然としている。


「スロウ様。バイトですよ、バイト。給仕をしながらメイド達に高貴な立ち振る舞いやらを教えてあげたら給金割り増しって言われたんです。以前からクルッシュ魔法学園のメイドが粗雑という声も聞いていたので、いい機会だと思ったんですよ。それにもうなりふり振り構わず稼ぐことにしたんです。破けたままの靴下なんて履いてられませんからね」


 メイドがくすくすと笑いながら、ビジョンの後ろを通り過ぎた。

 場違いだけど、嫌いじゃない。ビジョンに対しての好意的な雰囲気を彼女達から感じる。平民生徒やメイド達と仲良くなったって話はどうやら本当みたいだな。

 俺の知らないうちに逞しくなっていたらしいビジョンは大広間から漏れ出すからかいの声など気にせず、小さな声でそっと俺に耳打ちした。


「ここだけの話ですがもう少しでスロウ様の賭けの結果が出るようです。これで僕も大金持ちです。だから……自重して下さいね。この朝ご飯は僕からのサービスです」

「ちょっと何無駄話されてるんですかビジョン様! 朝の仕事は戦場だと言った筈です! 次はあちらの生徒に料理をお出ししてください!」

「おっと、分かりました。では失礼スロウ様。また魔法演習の時間に会いましょう」


 ビジョンは他のメイドから声を掛けられ、大仰に肩をすくんでみせる。

 そして、急いで厨房へと戻っていった。

 他のメイドや従者とは違い、歩き方をとっても動きの一つ一つに気品というものが満ち溢れている。食堂にいる大勢の人達からかなりの視線を集めていたが、ビジョンは本当に気にしていないようだ。


 貴族生徒が雑用をこなす可笑しな光景。

 だけど、そんな可笑しな貴族を見るメイドや従者の口元に浮かんだ微笑から、あいつが彼らに受け入れられているということが俺にはよーく分かった。


「……だけどな」


 お前が掛けてる金は全部俺の金だろ!

 大金持ちになるのはお前じゃなくて俺なんだよ! 自分の金みたいに言うのはやめなさい!

 


   ●   ●   ●



 さーてと、みんな大好き魔法演習の時間はまだかなー。

 今日はどんな華麗な妙技を披露しようかなー、オリジナル魔法でも披露しちゃおっかなー、なんて取り留めのないことを考えながら学園内をのしのしと歩いていく。

 あっちを見たり、こっちを見たり、時には蟻の列を眺めてみたり。

 けれど何の異常も見当らない。


「そんな都合良く見当たらないよなー」


 目的は傭兵が仕掛けた魔法の痕跡。

 全部を風の精霊頼りにするのではなく、自分の目でも探すのだ。ダイエットにもなるしな!

 グラウンドや幾つかの教育棟、食堂として開放されている建物や大聖堂といった分かりやすくて人目が付きやすい場所には一切の痕跡が見当たらなかった。

 むー、どうしよう。

 ちょっとひと気の無い場所を重点的に探すかなと思い、教育棟に挟まれた狭い路地へ入ったところで頬にぺちんと風が当たった。


「ん?」


 見れば風の精霊が肩に乗って何かを必死で俺に伝えようとしている。

 大半の精霊は知能が高くないため意思の疎通には苦労する。

 それに彼らが視える俺に悪戯目的で近づく精霊も後を絶たない。だから大半は無視するようにしているのだけど。

 精霊の必死な様子を見れば何が言いたいかはすぐに分かった。


 魔法と精霊は表裏一体。

 なるほど、改めて俺はその事実を実感する。

 風の精霊は空に浮かび上がり、ふわふわと風に流されるまま移動を開始した。

 どうやら先導してくれるようだ。


「ぶっひぶっひ」


 急いで精霊の後を付いていく。

 授業が行われている幾つもの教育棟を通り過ぎ、真新しい研究棟や教員棟といった一般の生徒が余り立ち入らないような区画へと入り込む。

 だが精霊が見つけた場所はもっと先にあるらしい。この先は乗馬練習の運動場といった動物達の居住エリアに続いているため、背の高い建物が減り見通しがよくなってくる。


 木々が増え、動物たちの鳴き声も少しだけ聞こえてくる。

 俺は学園の中心から若干離れた区画にある従者女子寮を横目で見ながら―――。


「ぶひ?」


 ―――その中へと入っていく元婚約者プリンセスの姿を俺は見たのだった。

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