526豚 <<リオット・タイソン>>

 身体に蔓延る悪寒が、多少はマシになった。それがどのような魔法の力か、推察しようとさえリオットは考えない。


 リオットは祖国が未曾有の危機にあることを誰よりも理解している、今は何よりもまず――だ。


「兜を脱いだらどうだ。運命共同体だろう。王都で暴れたのかも知れないが、誰にも文句なんて言わせないぞ」

 

 すると、彼は首を振った。


「俺の姿には価値がある。正体をバラすなら、ロッソ公に明かした時のようにできるだけ効果的に使いたい――それよりも、リオット。お前が連れてきた彼らは使い物になるのか?」


 スロウ・デニングが気になっていることは、リオットが巨鯨の眠る城ホエール・キャッスルの城から連れ出した老兵たちのようだった。本来、戦力となるべき兵たちは大半がライアー・タイソンが連れ出していて、リオットに残された兵力は僅かのもの。


「安心してくれていい。彼らは、ロッソ公が残してくれた彼らに引けを取らないだろう」


「根拠は? ただ……死なせるだけの数合わせなら、俺はお前を軽蔑するぞリオット」


 彼の身体から発せられる圧が強くなると同時にリオットは疑問にも思う。スロウ・デニングの立場なら、縁も所縁もない他所の兵士が幾ら死んだところで、胸も痛まないだろう。

 何せ彼は、あのデニングの人間なのだから。


「祖父ライアー・タイソンと共に並びった勇士たちを選抜した。彼らは祖父と共に――戦いたがっていた。だが祖父は……彼らが十分に傷つき、もはや戦う必要はないと考え、ヒュージャックには連れ出さなかった。これで回答にはなっただろうか」


 リオットの言葉は、スロウ・デニングを納得させるだけの力を持つものだったらしい。そこからリオットは、軽く異国の少年と言葉を交わした。リオットは彼に尋ねたかった。


 何故スロウ・デニングは異国の王都で、を助けるような真似をしでかしたのか。結果は火を見るよりも明らかだ。真正面からエデン王を、この国に喧嘩を売った結果、彼は全てを失った。

 

 そしてスロウ・デニングの答えもまた、リオットを納得させるものだった。


 リオットは長き眠りにつく前に、王都で自分が得た情報を全て開示したわけではない。それは彼もまた、同様だろうが――なるほど、彼はリオットが彼女に抱いている感情と、似つかわしいものを持っている。


 君たちは一体、どんな関係だ? そう問いかけようとしたが。

 

「ガガーリンの話が正しければ、そろそろ出てくるぞリオット。お前は後ろへ」


 先導するように馬を急がせるスロウ・デニング。彼はリオットの親衛隊を呼び、後方から冒険者の火炎浄炎アークフレアを呼ぶように伝えた。そして、リオットが引き連れている者達にそろそろ戦いが始めることを告げる。

 まるでその姿はリオット・タイソンの副官のように――。


 リオットは、襟を正す。


 あのロッソ公が歯を剥き出しにして怒りを現すドストル帝国の軍人――今は、死人のような顔で行軍に参加し、あの粗暴な冒険者が目を光らせていると言うが。


 ドストル帝国からわざわざ南下を果たした男は、ロッソ公が雇い入れた魔導大国ミネルヴァの男から見るも悍ましい魔法の力を浴びせられ、口を割った。

 彼らのような連中がサーキスタの貴族に取り入り、ある者は地位を得て、ある者は正体を怪しまれ――そして、最も権力を持つ男は、タイソン家へやってきた。


 本当にあの男の言葉が正しいのであれば――きっと既に、ヒュージャックでは大勢が死んでいるのだろう。その中には敬愛すべき祖父も含まれている可能性が高い。

 

 あの男に対して怒りも湧くが、怒りに身を任せて感情のままに振る舞うことをリオットは望まない。


 それに王都に残してきた、彼女の存在も気がかりだった。リオットは、彼女の何重にも隠された表情の下にある感情を知ってしまった。言葉を交わした回数なんて片手を数えるほどで、ただ遠い帝国からエデン王に招待された彼女を守るために、リオットは――。


「最悪だ! 地底の翼シャドウ・フライヤー――あれは地上では生息しないモンスターだ! リオット、覚悟を決めろ!」


 森の静寂を切り裂くように、突如として現れる黒い影。

 その影は大型の蝙蝠の姿であり、進軍する兵士たちの前に出現した。


 その黒い羽毛が闘志に燃える兵士たちの目に映り、兵士の顔に警戒と驚きが広がった。しかし瞬く間に、蝙蝠は彼らに迫ってきた。


「全軍に声を掛けろ! ヒュージャックに到着する前にやられるなんて、笑い話にもなりやしない!」


 リオット・タイソンは優しき男であった。その地位や才覚に溺れることなく、正しき目を養った若者であった。だからこそ、心苦しい。


 これから夢見の悪い日々が続くのだろう。きっと、選択に後悔が付き纏う。


「リオット! 指示を出せッ!」


 蝙蝠たちは鋭い鋭利な牙を剥き出しにし、兵士たちに向かって突進。

 蝙蝠は爪を伸ばし、兵士たちが慌てて剣を抜く音が響く。

 彼らは襲いかかってくる蝙蝠に立ち向かう準備をするが、兵士たちの周囲を包み込むようにして黒い蝙蝠の数は増え続ける。


 ――守れなくて、ごめん。

 子供のような感情を、リオットは持たない。それは大貴族タイソンを継ぐ者として育てられ男には不要な感情。全ての責務は、ヒュージャックの存続に優先されるのだ。


 ――俺は、この国を守る。

 ただそれだけの感情を残して、リオットは声を振り絞る。

 

「この光景が全てだッ! ヒュージャックは、地下迷宮と繋がった! 悪魔の牢獄デーモンランドが、地上に蘇った!」


 不思議なことに、リオットの目には遠きヒュージャックの奥地で戦う祖父、冬楼四家ホワイトバードを預かる――ライアー・タイソンの姿が見えているようにさえ思えた

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