519豚 真実
「あの夜、連れてきた君の従者。シャーロット・リリイ・ヒュージャックだな」
ハメス・ロッソは――当たり前のように告げた。
俺は兜を被っていてよかったと心から安堵した。その時の俺の表情はきっと、隠しきれない困惑に満ちていただろうから。
「……」
俺はロッソ公の問いに答える術を持たなかった。
彼のような立場にある人間は、観察眼に優れているから。ロッソ公ともなれば、腹に一物を隠し持つ者たちと付き合ってきたのだろう。
苦し紛れに答えることが精一杯。
「質問の意図が理解出来ませんよ、ロッソ公。話の流れだって理解が追いつかない……今、俺の従者に何の関係が――」
「君は、自分の従者が今、どこで何をしているか気にならないのか? 彼女はついさっきまでの私と同じように、君が死んでいると思っているだろう」
「……」
「デニング公爵家の主従関係は、さぞや深いと聞く。あの子は君が死んだと知り、どれだけ嘆き悲しんでいることだろうか」
抑えきれない気持ちを持て余す。
……言われるまでもない。
「この国の都では君の行動によって
「……俺の行動をロッソ公――貴方に理解してもらおうなんて思っていない」
誰にだって分かる筈がない。
俺があの夜に……何の考えも無く暴れたと思っているのか。ああするしかなかったからだ。ああするしか、あの子を助けられなかった。
「理解出来るわけもない。私の考えでは、君は徹底した秘密主義者だからな。孤独だな、スロウ・デニング。力持つ者とは、皆そうなのか?」
「……」
ぞわりと俺の体から漏れた気は、殺気と呼ばれるものだろう。
「おお、怖い、怖い。さすがデニングの人間だ」
抑えきれなかった。このタイミングで、俺を挑発する意図はなんだ。俺の弱点を握っているから、意のままに動けとでも言いたのか。
だったらロッソ公、そいつは致命的な間違いだ。
「私はただ……父の見る目が間違っていなかったと知れたら良い。そう願い、誰よりも考え続け――可能性の一つとして君に尋ねているだけだ。君の従者が……そうであるのではないかなと。違うのなら、否定すればいい。それだけの話ではないのかな」
「……」
前代のロッソ公は、アリシアと俺を結びつけるために尽力したと聞く。
その結果、俺とアリシアの婚約関係は有耶無耶になり、前代ロッソ公の顔には泥が塗られた。
確かに前代ロッソ公の息子である、この男は俺との因縁がある。それでも考え続けたからと言って――シャーロットの正体に辿り着けるものなのか。
「
ああ、そうか。確かに
だからデニング公爵である父上を筆頭に、騎士国家の上層部は
サーキスタに向かった俺とシャーロットには付いてこなかった。
「君を怒らせるつもりはないが……私はこれでもな、全てを失うかもしれないと、小さくはない覚悟を決めて
そうだろう。ロッソ公が連れてきた人材を見て、この男のガガーリンへのを気持ちまで疑うつもりはなかった。きっと
「今もまた、変わらない。全てを失う覚悟を持ち、君の前に立っているのだ。君なら、私のことなんて容易く殺せるだろう? あのデニング公爵家で、あの若さで次代公爵と
周りくどい男だ。
「……言わせてもらいますが、ロッソ公。今この瞬間にも、サーキスタは傾き続けていますよ。あの男、ガガーリンを俺はよく知っています。タイソン公をヒュージャックへ送り込んだだけで、あの男が終わるわけがない。俺の従者が誰かなんて、国の行く末に比べたらどれだけ瑣末な問題か」
ロッソ公は大きく息を吸い込んだ。
「これがデニングの教育か。初めて君を見た時、なんて恐ろしい子供だと肝が冷えたが、あの頃と変わらずに筋金入りだな。君は誰も信じていない、
「……」
「これ以上はやめておこうか。それに、私も同感なのだ。今、愛するサーキスタが土台から揺らぐような……何者かの手の上にいるのだろう」
俺は口を開くことは出来なかった。もう心の中で両手を上げている。
それは降参のポーズ。ロッソ公ぐらいの男であれば、いくら俺が兜を被っているといってもこちらの動揺ぐらい難なく悟っているのだろう。
「つまらない私の妄想を聞かせて、悪かった。謝罪は別の機会にするとして……さあ、リオットの元へ行くとしようか。今のタイソン公を止められる人間なんて、リオット以外にいるわけがないのだから。もはやエデン王の言葉すら届かない」
「……」
ロッソ公――この男は危険だ。シャーロットに関して、多分……限りなく正解に近い真実に辿り着いている。そして同時に、簡単に手玉にとれる相手ではないと認識を改めた。ああ、この感じ――あの人だ。
「どうした? 付いてこい、スロウ・デニング。ガガーリンを生かしたのは君なのだぞ――」
笑顔の裏に刃を隠し持つ人種として、俺はあの人以上の男を知らない。ヨハネ・マルディーニ以上の男を。
敵にすれば恐ろしいが、味方にすれば頼もしい筆頭格。あの腹黒いエレノア・ダリス、
ロッソ公がマルディーニ枢機卿の如きと考えれば、これ以上の腹の探り合いは望まない。このような男を相手にするには――本当の意味で信頼を得るには、窮地に陥っているだろうファナ・ドストルを救うには、そして遠くのシャーロットに俺が生きていると伝えるには――。
「お待ちを、ロッソ公」
そのために、必要な行動は――これしかなかった。
「俺の従者は、シャーロット・リリイ・ヒュージャックですよ」
ピキりと、ロッソ公の顔が歪んだ。どれだけ、今、俺が放った言葉が重大な意味を持つか。その力は誰よりも、俺自身が理解していた。
「何を驚くのですか、ロッソ公。自分の推論が当たったのです、もっと堂々としていればいい。ええ、俺がサーキスタに連れてきた従者が――ヒュージャックの
ロッソ公が自らの手で顔を押さえた。
「……な」
取り繕われた大貴族当主のメッキが、ロッソ公の顔からボロボロと剥がれていく。表情を作ることすら忘れた生の姿。血の気が引いている。
「そんな、ことが……」
手のひらの隙間から見える顔は、表情の作り方を知らない赤子のようだ。
「あってよいのか……」
俺の言葉がどれだけロッソ公の想定の枠外にあったのか――
「知りたいのであれば、教えて差し上げますよロッソ公。だけどね――ただではありません」
今はサーキスタの都にいるのだろう、シャーロットに向けて頭を下げる。
ごめん、シャーロット。君の正体を勝手に喋ってしまった。
でも許してほしい。ドストル帝国が動き出してしまった今、きっと俺一人ではシャーロットを守れない事態が訪れる。
それに……俺は今、このタイソン領内から離れられない事情がある。ガガーリンの企みを根底から打ち砕くために、まだシャーロットの元へは向かえない。
「ロッソ公。俺はリオットとガガーリンを連れ、ヒュージャックへ向かいます。タイソン公を止める役割は俺に任せて欲しいのです。代わりに貴方に――」
俺は俺の直感と客観的な事実を信じる。
ロッソ公はあの夜。俺が暴れた舞踏会で唯一、自らの身を
「貴方は俺の代わりに、都へ。シャーロットの保護を頼みたいのです。お願いです、俺が生きていると伝えてください――」
俺の目にはシャーロットを利用しない、唯一の大人に見えたから。
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