518豚 魔導大国《ミネルヴァ》

「まずは、この男だが――」

 ロッソ公は視線を下げ、気を失ったガガーリンを見つめしゃがみ込む。

「この男の対処は私に任せてもらいたい」

 そして俺はロッソ公がどれだけの準備を携えてタイソン領地にやってきたのか、改めて理解することとなった。


 

 ロッソ公が呼びつけた人間は不思議な出立ちをしていた。ロッソ公の配下――森の中から現れ、今もなお巨鯨の眠る城ホエール・キャッスルを占領下に置くために働き続けるものたちと違って、そいつは白いコートを羽織った黒髪の男。表情は全くの無表情で、淡々と俺たちへ近づいてくる。

 足音も聞こえず、真っ直ぐに。


「手筈とおりに頼むよ、大魔導士プロフェッサー。この男には、サーキスタへやってきたことを生涯、悔やむぐらいの呪いを与えて欲しい」

「……」


 珍しい――魔導大国ミネルヴァの人間が、外国に出てくるなんて。

 それも白のコート、背中には魔導大国ミネルヴァの人間を証明する十字の紋章。

 ……モロゾフ学園長よりも格上の大魔導士プロフェッサー級。


「ロッソ公……どうやって魔導大国ミネルヴァから引きずり出したのですか」


 魔導大国ミネルヴァにおいて魔法の研究に没頭する人間たち。さらに塔と呼ばれる独占的な実験場を持つ権利を与えられた人間を大魔導士プロフェッサーと呼ぶ。


 大魔導士の中にも格があり、あの男は――白。

 灰色を与えられているモロゾフ学園長よりも格上の魔法使いだ、


「私もそれだけ必死だったというわけだ。恐ろしい私財を失ったが――」

 いいや、違う。俺はロッソ公に返した。

魔導大国ミネルヴァ大魔導士プロフェッサーは、金で絶対に動きません。彼らは魔法の探求に生涯を捧げる誓いを結んでいる」


 だからこそ騎士国家ダリスのクルッシュ魔法学園に大魔導士モロゾフが就任する時は、諸外国から驚きの声が飛び交ったと聞いている。モロゾフ学園長はその結果、塔を所有する権利を放棄したとも。


「……」

 ロッソ公が見つめる先で白いコートの男がガガーリンに向かって、杖を向けた。杖の先から色とりどりの触手――が放たれる……美しくも恐ろしい魔法。

 同じ魔法使いからしてみれば、非常に嫌な光景だ。


 胸がムカムカする、吐き気がする言い換えてもいい。

 あの男は……ガガーリンの身体を、身体の中を調べている。

 

「あれだけ閉鎖的な魔導大国ミネルヴァでさえ、ドストル帝国の強力な魔法使いに興味があるということだろう。ガガーリンがタイソン領内で奇跡の癒し手と呼ばれ、水の魔法を用いて治療が絶望視されていた難病を癒していると伝えた。それだけで彼らは飛びついたよ」

 水の魔法使いとして、癒しに特化した破格の力。

 だからこそ、ガガーリンはタイソン領内であれだけの信頼を得た。


「それで……ロッソ公。彼とどのような取引を」

 魔導大国ミネルヴァ大魔導士プロフェッサーが、生半可な条件で彼らの塔から出てくるわけがないのだ。


 ロッソ公は首を振った。俺の問いに答える気はないらしい。

「すぐに分かる。それより私たちの話を……そうだ。リオットの身体が置かれた巨鯨の眠る城ホエール・キャッスルに向かいながら話をするとしよう。流石にもう――あっちも安全だろう」

「……ガガーリンを放って置くつもりですか?」

 今もまだ魔導大国ミネルヴァ大魔導士プロフェッサーが魔法を用いて、ガガーリンの身体を調べている。


「……」

 歩き出した彼の雇い主――ロッソ公が巨鯨の眠る城ホエール・キャッスルに向かって歩き出しても、あの男はこっちに一才の興味を払わない。確かに今の傷ついたガガーリンと、魔導大国ミネルヴァ大魔導士プロフェッサー、それも白を冠する大魔導士プロフェッサーならばガガーリンに勝ち目はないのだろう。


「…………」

 あの大魔導士プロフェッサーの姿は――玩具を与えられた子供のように見えた。相変わらずの無表情だが、笑っているようにしか見えない。


 俺が大魔導士プロフェッサーを気にしていると、腕を力強くぐいっと引っ張られた。そのまま巨鯨の眠る城ホエール・キャッスルへ歩かされる。

「付いて来い、スロウ・デニング」

 遠巻きからはロッソ公の部下が、俺を見ていた。

 彼らの目からすれば、俺はガガーリンを圧倒した正体不明アンノウン


「ガガーリンは大魔導士プロフェッサーが責任を持って連れてくる。それよりも君だ、スロウ・デニング。エデン王肝入りの舞踏会をぶち壊した狂乱者として扱えばよいのか、それとも湖の騎士サー・エクスから逃げ延びた生還者か。実はな、私もあの場にいたのだよ」


 知っている。あの場にはサーキスタの権力者が集まっていた。冬楼四家ホワイトバードの当主も勿論だ。壇上で熱弁を振るっていたライアー・タイソンを筆頭に、俺の目は冬楼四家ホワイトバードを構成するロッソ公の姿も見つけていた。

「何度か目が合ったと記憶している。そしてこれは嫌味だが、君に倒された私の部下はまだ治療中だ。殺さなかったことを感謝すべきか、傷つけたことを非難すべきか。それともあの場で吊し上げられたファナ・ドストルを助けねばならない相応の理由が合ったのか」

 俺は答えなかった。


 巨鯨の眠る城ホエール・キャッスルに近づいていくと、「巨鯨の眠る城ホエール・キャッスル、制圧完了であります!」ロッソ公に向けて敬礼する大勢の騎士たち。

 キビキビした気持ちの良い動きと働きっぷりは、彼らもまた名前のある貴族に連なるサーキスタの精鋭であることを表しているのだろう。

 ロッソ公は彼らに手を振って応え、俺はロッソ公の後ろに続いた。


「……」

 彼ら騎士たちの表情が赤みを帯びている理由は、タイソン公の根城を手中に収めた偉業に彼らもまた興奮しているからだろうか。


 一歩一歩、巨鯨の眠る城ホエール・キャッスルに向けて歩いていく。

 ギャリバーと共に地下から誰の目につかないように巨鯨の眠る城ホエール・キャッスルを抜け出した。結果的には、地上でガガーリンと相対する羽目になったが……ガガーリンをここで無力化出来たことは幸運だったのだろう。


 しかし、今度はサーキスタの権力者。

 あのハメス・ロッソと共に入城することになるとは。


「スロウ・デニング。我が巨鯨の眠る城ホエール・キャッスルへようこそ。それでリオットの前に向かう前に一つだけ確かめたいことがある」

 ロッソ公は歩みを止めて、威風堂々と立ち止まる。


 ……我が巨鯨の眠る城ホエール・キャッスルときたか。もうロッソ公は巨鯨の眠る城ホエール・キャッスルを手放す気はなさそうだ。冬楼四家ホワイトバードの当主ともなれば相応の野心家か。

 あのリオット・タイソンも、タイソン公となれば、こうなってしまうのか。


「私の言葉を受けて、君がこれから語る言葉。偽ることは許さない」

 俺の正体を、俺が持つ力を知りながら、ロッソ公はそれがどうしたとばかりに高圧的だ。常日頃から人に命令することを当たり前と考え、大勢の人間を支配下に置く圧倒的な権力者の顔がそこにはあった。

 

「真実を語ってもらう。私が違和感を感じた瞬間、ロッソは君の敵となる」

 ロッソ公は大貴族当主としての威厳を持って、自分の意見が通ることは世界の常識だとばかりに傲慢な態度で。そして。


「あの夜、連れてきた君の従者。シャーロット・リリイ・ヒュージャックだな」


 ハメス・ロッソは――当たり前のように告げた。

 俺は兜を被っていてよかったと心から安堵した。その時の俺の表情はきっと、隠しきれない困惑に満ちていただろうから。

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