518豚 <<ギャリバー・ブラックエン>>
木々が高くそびえ立ち、陽の光がかすかに差し込む森の中。
微かな風が葉を揺らし、生き物が奏でるざわめきが静かな森を包み込んでいる。本来であれば、いつもと変わらぬ静かな一日であったのだろう。
「ふっ……ふっ……」
タイソン公が連れてきた兵士の一団。彼らは鎧に身を包み、剣を手にし、勇ましく歩みを進めていた。既に草原を越え、森の中へ。
再びの歩みを進めている。
「静かに……音を出すな……いるぞ…………」
背中に背負う盾が光を反射し、闘志に満ちた眼差しは決意を物語っている。
ヒュージャックを人間の手で取り戻す――決意。
タイソン公が治める領土。ヒュージャックとの国境沿いに向かえば、草原の中にゴブリンやオークといったモンスターたちが潜んでいることは容易に確認できた。より奥地に入ればさらに強力なモンスターがいることを聞かされている。
何もしなければ――ヒュージャックに生きるモンスターは、いつ自分たちに襲いかかってくるか分からない脅威で在り続ける。
彼らは毎日を守るために勇気を胸に掲げて闘いに身を投じたのだ。
「ググググググ……」
木々の間を進む彼らの足音が森に響き、小鳥たちが飛び立った。
森の中は生命に満ち溢れ、豊かな自然の息吹が感じられる。しかし、その美しい風景の奥には、確かな危険が潜んでいることを忘れてはならない。
「グアアアアアアアアッ」
突如として、森の中からゴブリンの群れが現れた。
小さな身体に獰猛な気配、邪悪な眼差しでこちらを睨みつける彼ら。鋭い牙と赤い瞳を持つゴブリンは、丸腰で出逢えば死の可能性をもたらす存在だ。
「誰か、魔法を!」
「冗談をいうな! 魔法使いは先へ行った!」
彼らの部隊に魔法使いは一人もいない。
既にタイソン公自らが引き連れた主力部隊は、彼らよりも奥地へ進んでいる。
「そうだった――クソッタレ! 魔法使い様はもっと先か!」
「俺たちは置いて行かれたッ!」
ゴブリンたちが狂ったように襲い掛かってくる。対して、彼ら兵士が持つ剣の刃が空気を切り裂き、ゴブリンの血しぶきが舞った。
「馬鹿を言うな! 相対するモンスターの質は奥へ行くほど、だ! 我々には我々の、彼らには彼らの役割が与えられた!」
彼らは迅速な動きで応戦し、一体ずつ確実に倒していく。剣の音が森に響き渡り、ゴブリンたちは恐怖に陥る。魔法が使えずとも、十分な訓練を繰り返し、確かな実力を身につけた兵士であればゴブリン程度は問題がない。
「これが人間様の力だ! 恐れ入ったかッ!」
――ゴブリンたちの敗走は決定的となった。
しかし、喜ぶ暇なんてないのだ。彼らの役割は、タイソン公の進軍により興奮したモンスターがサーキスタ領内に侵入することを防ぐこと。
森の奥深くに進むにつれて、気配が変わってくる。
異様な沈黙が広がり、不気味な影が視界をさえぎった。
森の奥深くにはまだ更なる敵が待ち構えていると聞かされていた。タイソン領内に突然現れた北方からの珍客――ガガーリンとその一派は、たびたびヒュージャック領内へ侵入し、モンスターの生態を調査していた。彼らがもたらした情報が正しくあれば、この地へ住み着いたモンスターの多様性はこの程度ではない。
再びモンスターの集団が現れる。
「ブヒブヒ……ブヒ?」
先ほどのゴブリンよりも二回り大きなオークの姿。筋肉隆々の体躯と尖った牙、凶暴な目つきのオークが彼らの前に立ちはだかる。果敢な凶暴性が知られるオークは巨大な斧を手に、咆哮をあげながら突進してくる。
「……」
ギャリバー・ブラックエンは――ズタズタに引き裂かれた兵士の姿を見つけた。彼らは命を捧げて戦ったが、オークの数には敵わなかったのだろう。もしくは、彼らの奮戦ぶりが周囲のオークを呼び寄せてしまったのかもしれない。
「これで何組目だ……」
破壊され尽くした盾や折れた剣が彼らの無念を如実に現し、彼らの悲痛な表情が戦いの苦しさを物語っている。兵士の中には、ギャリバーが見知った人間の顔もあった。言葉を交わし、名前を知る者もいた。
「ブヒブヒ……ブヒブヒ!」
オークがギャリバーに気付き、怒りに満ちた咆哮をあげる。
残された闘いの余波やギャリバーが纏う強い血の匂いが、オークを興奮させたのだろう。土煙が舞い上がり、木々の間からオークがギャリバーへ向かい突進。
「……」
ギャリバーは物言わぬ骸となった兵士たちから顔を上げ、馬を降りた。ギャリバーの身体に内包される魔力が暴れ狂っていた。怒りか悲しみか、ギャリバーにさえ答えは分からない。ただ、兵士を殲滅したオーク数十体が喧嘩を売った相手を間違えたと気付くまでに、大した時間は掛からなかった。
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