516豚 ロッソ公の目的

 気を失ったガガーリンから目を背ける、サーキスタを支える大貴族ロッソの当主。刀身についた血を魔法で清めながらロッソ公は自分の心を落ち着かせるためだろうか、大きな息を吐いて。


「どこまでも邪魔な男だ。君もそう思わないか?」


 ――そうですね、と。

 そう答えようとしたが、その前にロッソ公は俺の兜に手を伸ばした。

「ッ」

 ガガーリンは完全に意識を手放している。反射的に身を引こうとしたが――ガガーリンに向けられていた憎悪は、既にロッソ公から消えていた。それに俺としても今、ロッソ公と敵対することは避けたかった。敵の敵は、味方とも言うしな。


「サーキスタにとってはこの男は猛毒。しかし、君もまた変わりない」

 ロッソ公は、俺が自ら開け放った兜の隙間を閉める。

 そのままロッソ公は剣を仕舞うと、ほとほと呆れたとばかりに首を振った。


「君が生きていた。つまり、湖の騎士殿サー・エクスは仕事を放棄したわけだ。国王はタイソン公の反逆よりも湖の騎士殿サー・エクスの独断行動を嘆き、悲しむことだろう。誰も、彼らもが勝手に思うがまま。私も彼らのような自由人と同じよう好き勝手に振る舞うことが出来れば、どれだけ心が晴れるだろうか」

 口調から滲み出る思いは、ロッソ公の本心なのだろう。


「……」

 ロッソ公は鋭い眼光を放ち、厳しい表情で周囲を見渡している。彼の存在はまるで力強い重力のように、周囲の人々から視線を引き寄せていた。

 だが。


「――ロッソ公! ガガーリン殿はタイソン様の客人ぞッ!」

 俺たちが立つ領土は、タイソン公が治めるサーキスタの西端領内なのだ。大貴族ロッソ公がいるべき場所ではない。今この場所はロッソ公にとっても敵地なのだ。


「ガガーリン殿を手にかけるとは、タイソン様へ矢を放つことと変わらずなのだ!」

 タイソンの兵士が一人、魔法を放った。

 俺に何かを語りかけようとしてか、ちょうど俺に向き直った無防備なロッソ公の背中に向けて、だ。それは誰がどう見ても馬鹿げた行いと断ずるに容易い。


 サーキスタという大国において、今しがたガガーリンを斬った男がどれほどの者か分からないのか。タイソン公に仕える者としてあり得ない行いだ。


 けれど、タイソン公の兵士は自分たちの方が圧倒的に数で勝り、さらにこの地はタイソン領内である。そんな自惚れがきっと、あったのだろう。


「ロッソ公――」

 勿論、俺は動こうとした。俺の目からは、ロッソ公に向けられた攻撃がよく見えていたから。俺はロッソ公を守るために、その身体を掴んだ。けれど、ロッソ公は。


「動かないでくれるか公爵家デニングの若君。これはな、私の国の問題なのだよ」

 迫る攻撃に対してロッソ公は無防備だ。

 即座に命を奪うような魔法ではないが、傷の大小が問題ではなかった。


 俺はこれでも騎士国家で貴族の頂点とも呼ばれるデニング公爵家で育ったから、ロッソ公に矢を放つ行為が持つ罪の大きさがよく分かる。

 けれど、ロッソ公は攻撃を避けるでもなく、魔法で弾き返すわけでなく。


「スロウ・デニング。私だって覚悟をしているわけだ。何の意味もなく、この男を斬ったわけじゃない。それに、こういう仕事は私のような立場がある人間だからこそ価値を持つ」

 ロッソ公は背中で魔法を受け、衝撃で顔をしかめた。強くはない魔法だった、それでも無防備な人の身体に小さな穴を開けるには十分な威力。

 ロッソ公の口から吐き出される血。


「……ひっ」

 タイソン兵団の中でロッソ公に魔法を放った男はまさか本当に……ロッソ公に直撃するとは思わなかったのだろう。魔法を行使した男が絶句していた。

「ひっ……違う……違う……」

 そりゃあそうだ。タイソン兵を抑え込んでいたロッソ公の部下たちは魔法に優れた精鋭たちだろう。彼らのマントに付けられた勲章の数が、城を守るタイソンの守兵とは比べものにならない地位の高さを表している。

 しかし、彼らは主人に向けられた攻撃を見て見ぬフリをしたのだ。


「なあ、君。私のやりたいことがわかったかな?」

 ロッソ公がまるで悪戯をしでかした子供のように、俺にだけ分かるよう意地の悪い笑みを浮かべる。そして合点がいった、そういうことか。

  

「……大義名分ですか。ロッソ公が、タイソン領内で自由に動くために」

 ロッソ公は俺の兜に手をおいて、口元の笑みを深めていく。

「そうだ。私がタイソン領内にいる最大の理由はガガーリンを殺すため。精鋭騎士500人を森の中に伏せ、機を伺っていた。恩あるタイソン公と言えど帝国の犬と共に動くなど、見過ごせなかった。タイソン公と決別しようが、私はやる気だったよ。残念ながら、私の目的は君に邪魔をされてしまったわけだが――」

 口調はさぞ残念そうであったが、物言いは快活だった。


「それで……だ、スロウ・デニング。リオットは、本当に生きているのか?」

 ロッソ公が俺に向ける言葉には棘がなく、友好的な意志さえ感じられた。

 俺の水の魔法が、早急にロッソ公の傷を癒していることも理由の一つだと信じたかった。


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