514豚 <<ロッソ公>>

 冬楼四家ホワイトバードの中核を成す大貴族。

 ロッソ公――ハメス・ロッソが初めてその少年の名を思い出す時は、同時に、最愛の父親との会話も同じく思い出されるのだ。


 ハメスが彼の存在を知ったのは、天真爛漫なアリシア王女が、他国の貴族と婚約関係を結ぶらしい、と小耳に挟んだ時だ。


「ち――父上、皆が浮き足立っていますッ! あのアリシア王女です、あのアリシア王女が他国の人間と婚約関係を結ぶなんて……国の損失でしょうが!」

 衛兵が警備する父親の執務室、重たい扉を力の限りこじ開けて、ハメス・ロッソは父親であるロッソ公に向けて断固、反対の言葉を並べた。何がなんでも反対の立場であった。


「……ハメス、お前はいつも突然だな。それにお前がなぜ今、私の前にいるのだ。新兵たちの練兵中ではなかったか?」

「そ、ん、な、も、のは、後回しだ!」

「そうか。で、何ようか?」

「アリシア王女で、す、よ! アリシア!」

「お前の耳には最後まで入らないよう祈っていたのだがな……というか、呼び捨てはまずいだろう?」

 そしてハメスの父親は語った。

 他国の若者――その者をアリシア王女と繋げた理由は、その若者が持つ素晴らしき特異性によるのだと。


 さらに信じられないことに、アリシア王女とその他国の若者の婚姻に、父親であるロッソ公、つまり冬楼四家ホワイトバードの当主が全員、程度の差はあれど納得の意を示したと聞いた時、ハメス・ロッソは顎が外れるかと思うぐらいに驚いたものだ。


「も、く、て、き! 目的は何なのですか! アリシア王女を差し出す以上の見返りが得られると言うのですか!? アリシア王女は水の大精霊ホルトグレイスの花嫁ともなれる逸材なのですよ!? あの子を騎士国家に渡してサーキスタは何を得るのですか!?」

「ハメス……お前の欠点は感情に引っ張られることだ。きっとお前は、ロッソ公となっても変わらないのだろうな」


 また始まった。

 いつもの父親の苦言に、アインスは首を振った。


「私の話ではない! アリシア王女を他国に引き渡すなんて……父上、貴方はそれでもサーキスタを支える冬楼四家ホワイトバードの当主ですかッ。我らに従う貴族が納得するわけがない! ロッソからよそへ離反する者が出ますよ――」

「離反したければ、するが良い。先が見えない愚か者はロッソの陣営に不要だ」

 

 ハメスの父親は静かに語った。いつもそうだった。感情を面に出すことが多いハメスに比べれば、彼の父親は穏やかだった。

 だからこそ、ハメス・ロッソは苛立つのだ。

 何歳になっても子供扱いをする父親、自分はもう大人として成長しているというのに。


「結論は変わらんよ、ハメス。冬楼四家ホワイトバードの中で3人の当主が賛成に回った、後で誓いを破らぬよう文書に纏めている。後はエデン王の最終判断を待つのみだが、納得されるだろう」

「わ、た、し! 父上、私が納得していない!」

「そうか、お前が納得していないか。だが残念だな、ハメス。お前はまだロッソ公ではなく、私の息子であるだけだ。今のお前には何の力も持たない若者に過ぎない」


 ロッソ公は机の上に置かれたお茶をうまそうに飲み干して、微笑んだ。

 昔から変わらない――子供に向ける笑み。


「父上……。勿体ぶらずに教えて下さい。他国の若者が、あのデニング公爵家の三男であるということは私も掴んでいます。ちょっとした噂を小耳に挟むこともあります。彼は……アリシア王女を引き渡すに相応しい、それほどの男なのですか?」


 ハメスは自分の言葉に父親の意見を変える力がないことを理解している

 さらにロッソ公は――人を見る目はあると、息子であるハメス・ロッソが誰よりも分かっていた。何せ兄弟の中で最も最年少のハメスを後継者に指名していたからだ。


「ハメス、私からの最後の授業だ」

 まーた始まった――そうハメスは思う。

 だが父親ロッソ公の言葉は、いつだってハメスを納得させるに相応しく、今回もまた父親の言葉によってハメスは強引にアリシア王女の婚約を納得させられるのだと考えた。


 けれど、ハメスの予想とは異なった。

 ロッソ公の言葉は理知騒然としたものではなく、予言と言っても差し支えない言葉の羅列。


「……父上。本当にそんな理由なのですか?」

「ああ、そうだ。面白いだろう、ハメス」

 笑えない。子供の冗談にしか思えない。それが大国サーキスタで最上の権力を持つロッソ公としての言葉なのか。


「……」 

 アリシア王女を引き渡す理由がそれか、馬鹿にするのも大概にしろ。

 きっとロッソ家の直系として生まれた者たちでは、理解できない理由なのだろう。


「……いいですね」

 けれどハメスには納得してしまった。

 父親がアリシア王女とスロウ・デニングの婚約を求めた理由。


「父上――いえ、ロッソ公。私は、そう在れるよう、全力を尽くします」

 ハメスは姿勢を改め、父親に向き直った。


「ああ、ありがとう。それとなハメス。非公式だが、今からお前がロッソの当主だ」

 相変わらずの穏やかな顔で、父親はそう伝え、微笑んだ。


 そしてアリシア・ブラ・ディア・サーキスタとスロウ・デニングの婚約が成立した数日後、前代ロッソ公は最後の仕事をやり遂げたとばかりに、この世を去った。

 この世に何の未練もないと言わんばかりの顔を見つめながら、ハメス・ロッソは父親からバトンを受け取った。前代ロッソ公が最後に成し得た仕事――。

 

 そこから先の話は語るまでもなく、スロウ・デニングの変貌によってアリシア王女との婚約関係は事実上の破棄。

 ハメス――いや、ロッソ公は限りなく、スロウ・デニングを恨んでいる。

 父親の思いを踏み躙るクソ野郎、自らの手で八つ裂きにしてやりたいほど。だけど、逆の思いもあったのだ。


「…………なぜだ」



 ロッソ公が独自に調べ上げた情報による、現在、風の大精霊アルトアンジュが騎士国家の領内に滞在しているという――であれば、一つの疑念がロッソ公には生まれている。


「………………なぜ、君なのだ」 


 そして今、ロッソ公の目の前に、死んだと思われていた彼がいる。


 前代ロッソ公からバトンを託された者として、ロッソ公は聞かなければならなかった。

 

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