513豚 <<ギャリバー・ブラックエン>>

 ギャリバー・ブラックエンは、自分が矮小な存在だと自覚していた。

 ギャリバーはタイソン公に仕える身でありながら、心はエデン王と共にあった。彼の正体はエデン王の目だ。疑心暗鬼なエデン王が貴族たちの元へ遣わせた密偵だ。

 つまり――死ぬことも、仕事のうちなのだ。


「……」

 ギャリバーは自分は英雄にはなれない小人物だ――よく分かっている。

 意図せず息を吹き返したスロウ・デニングや、スロウ・デニングに死を与えた湖の騎士。そんな規格外と比べれば、彼らの攻撃一つで吹き飛ぶような小さき存在なんだ。

 彼らのような力を持ちたいと、そんな稚児のような夢は持っていない。

 ギャリバーは夢物語を夢想するような子供ではなかった。彼は既に十分な大人であった。


 そんなギャリバー・ブラックエンは森を抜け出ると、目の前の光景に、息を呑んだ。


「――おい、おいおいおい! もう始まっちまってるじゃねえか!」

 思わず声に出てしまった。

 それぐらい驚異的な光景だった。戦いが始まっているのであれば、兵士たちの剣がモンスターの身体を切り裂く音や、モンスターが力強く吠える音が聞こえるはずだった。


「……」

 だけど、それがない。戦いは見える範囲で既に終わっていた。

 タイソン公の軍隊とモンスターの戦いによる成果――草原にはモンスターたちの死体が山のように積み上がっていた。 


「……」

 ギャリバーはごくりとつばを飲み込んだ。

 ――早すぎる、何が起きた?

 少なくとも、ギャリバー・ブラックエンにとってタイソン公は老練で慎重な男だったはずだ。準備に時間をかけ、最大戦力を持ってヒュージャックに侵攻する。


「……」

 そう予想されていた。

 まだタイソン公の軍隊には、欠けているピースがあったからだ。


 ――何か、想定外の何かが起きたか?

 ドストル帝国からタイソン公に協力するガガーリンとその部下たちは非常に高い戦闘力を持つものたちだ。特にガガーリンが放つ水の魔法、癒しと破壊の二面性を持ち合わせた美しも残酷な魔法の力はヒュージャック跡地で破格の戦果をもたらすものだ。


「……」

 彼らの到着をタイソン公は待ち続けるものだと考えていた。


 だが、タイソン公の軍隊はどこにも見えない。

 モンスターの屍が累々と草原の向こう側へ続いている。目を凝らせば、草原に沈む人間の死体も大勢見える。既にタイソン公は目的地に向けて走り出していた。


 ――これは……まずいな。

 ギャリバーは口笛を鳴らした。すると空から滑るように大型の鷹が現れる。エデン王が訓練をさせ、情報連絡用に特別に調教させた鷹だった。


「……」

 ギャリバーは鷹の足に括り付けられた丸めた紙を開き、簡素な文面を書き記した。そして身体を叩くと、鷹は再び大空へ飛び立った。

 エデン王の元へ向かわせるのだ。


 ――タイソン公は一線を超えた。

 ――王よ、私は反乱の落とし前として、タイソンの首を持ち帰ります。


 文面にはそう、記した。

「……」

 ギャリバーは前を向いた。

 ギャリバーの気持ちは不思議と落ち着いていた。


 冬楼四家ホワイトバードを率いる四人の当主、その一人ライアー・タイソン。

 エデン王がタイソン公監視のために遣わした王の目、ギャリバー・ブラックエン。


 立場が余りにも違いすぎる二人の戦いは、一方的なギャリバーの思いから始まった。 

 ギャリバー・ブラックエンの覚悟は、タイソン公がヒュージャックへ進軍した瞬間から既に固まっている。


 ――タイソン公。俺たち二人が、ヒュージャック跡地を出ることはあり得ないぜ。

 ――どちらかだ。どちらかなんだ。

 ――俺がお前を殺すか、お前が俺を殺すか……いや、俺があいつの側近に殺されることもありえるし、二人がモンスターによって死ぬことも十分にあり得るか。


「……へっ、おもしれえ」

 ギャリバーには分かっている。

 ――俺が生きてサーキスタに帰れる未来は、限りなく低い。

 ――でも、そうもんだろ? そう決めただろ? 

 ――あの臆病なエデン王に仕えるって決めた日から、ろくな人生は歩めないってわかっていたはずだろ。そして俺はそんな日の当たらない生活に納得した。

 ――今更、後悔するなんて情けねえよ。


「昂ってきたぜ……」

 ギャリバー・ブラックエンは槍を右手に持ち、背中には2本の剣を隠している。

 腰には杖を差し、目は真っ直ぐにヒュージャック跡地に向いている。


 完全武装の出立ちのまま、馬を走らせて先を行く。

 余りにも簡単いヒュージャック跡地へ侵入を果たす。


「……」

 モンスターの死骸の下には大勢の人間が隠れていた。皆んな息絶えている。

 ここより先は死地となる。人の手が入らぬ領土を行くのだ。モンスターの王が支配する、人外の土地となった場所。


 それでもやはり不思議と恐怖は感じなかった。

 清々しい気分だった。心に負い目を感じ、タイソン領地に忍び込んで密偵をやっていた頃に比べれば――やっと、誇らしい仕事に挑めるからだ。


 死への恐れはない。恐れがあるとすれば、何も成せずに死を迎えることだ。


「……」

 右手の槍に刻まれたブラックエン男爵家の紋章に目をやる。

 きっと俺は生き残れない。それでも良かった。エデン王の目となることで、エデン王は約束をした。もし自分が仕事の中で死ぬことがあれば、家族は厚遇すると。

「……」

 貴族の社会の中で見下されて育ってきた家族のことを思えば、身体に力が漲るのだ。


 父よ母よ、弟よ妹よ。家族の皆よ。

「――グルグルブヒブヒ」

 死体の中に紛れていたオークの姿が見えた。起き上がりこちらを狙っていた。オークの目がやけに鋭く、恨みの色が見えた。「はっ、良いご身分だな。手作りか?」オークのくせに鎧を纏っている。ギャリバーは笑いながら、右手に掴む槍を振り抜いた。

 馬が駆ける。すれ違いざま、オークの首に向けて――。


「ブヒブヒブヒイいいイイイ!!」

 ――その太い首を冷酷に刈り取り、周りを見渡す。オーク以外にも死んだ振りをしていたモンスターが起き上がり、ギャリバーを見つめている。

「すげえな、お前たちの間にも仲間意識ってもんがあるんだな? モンスターの国が出来たってのも……あながち間違いじゃねえみたいだな」

 その数は――増えていく。

 しかし、今も起き上がり続けるモンスターの群れを見てもギャリバーの心に恐れの感情が抱かれることはなかった。むしろ、親近感を覚えてしまう。

「オークにゴブリンに、年端も行かないオーガか。お前たちにも悪いことしたなア」

 獰猛な笑みを浮かべ、ギャリバーは槍を地面に突き立て杖を抜いた。やはり恐れは浮かばなかった。ギャリバーは分かっていた。この先、辿る未来を。


「だけど俺もすぐ行くからよオッ!」

 モンスターである彼らも、自分と何も変わらないからだ。


「俺とお前たちの違いなんて……早いか遅いかの違いしかねえわなッ!!」

 ギャリバー・ブラックエンは自分が草原を彩る死体となる未来を確信していた。

 

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