508豚 貴方はだれ?

 ついさっきまでは、確かにあいつは部下の犠牲を前にして涙を流していた。だけど今は違う。ガガーリンは前髪をかきあげると、アニメで俺も見慣れたあの顔が現れる。

 人当たりの良い、穏やかな教育者としての顔。落ち着き払い、余裕を取り戻している。


「そこの貴方が何者なのかこの際どうでもいいでしょう。ただ聞いておかなければならないことがあります。今貴方が殺した二人が、誰の庇護下にあったかご存知ですか」

「知ってるぜ、ロメオ・ドストルだろ。お前たちの国では極めて高い地位を持つ男だ」


 俺の言葉に、ガガーリンの綺麗な眉根がピクリと反応した。


「殿下の名前が出てくるなんて……驚きました」

「よく知っているからな」

「そうですか。よく知っている、と」


 虚言だ。俺はロメオ・ドストルのことをよく知らない

 アニメの中ではロメオ・ドストルという人間は闇の大精霊と敵対し、シューヤがドストル帝国に侵入する前に殺されていた。

 そして主人を殺されたガガーリンは、主人の意志を継いで暴走。

 

「私たちの後ろに誰がいるか、それはあのタイソン公にも伝えていないのですよ。どうして貴方が知っているのか……ますます、その兜の下にある顔を覗いてみたくなりました」

「やめておけよ。多分、お前の知らない顔が出てくるだけだ。がっかりするぜ」


 嘘じゃない。ガガーリンは、俺の顔なんて知らないだろう。

 スロウ・デニングと言えば大陸南方ではちょっとは知られた存在だ。けれど、それは南方に限定された話。ドストル帝国では俺の名前なんてちっとも知られていない。

 アニメの中では真っ黒豚公爵はそこを突いた。無名の存在だったからこそ、暗躍出来た。


「気になりますね。ロメオ殿下の存在を知りながら、私との敵対を選ぶなんて。それにがっかりするかどうかは、見てみないとわかりませんよ? 私はこれでも記憶力が良いようで、一度見た顔は忘れません。どうですか、素顔を晒してみませんか?」

「やめとくよ。顔を覚えられたら、地の果てまで追いかけてきそうだ」

「そうですね。ですが忘れないでください。貴方は私の教え子を殺しました。報いは必ず与えますよ……それで、貴方は誰の陣営の者ですか」

「答えると思うか?」

「思いません。ですが……今喋れば、後で後悔することもありませんよ。私は人の口を割ることが得意ですから……」


 じっと、向かい合う。

 俺とガガーリンを隔てる距離は、卓越した魔法使いにとってはあってないようなものだ。ガガーリンの背後、巨鯨の眠る城ホエール・キャッスルから兵士が数十人こちらに向かってきている。


「貴方は私たちの後ろ盾であるロメオ殿下について確信を持っているようですが……私たちはロメオ殿下の存在を南の人間に知られないよう細心の注意を払っていたのですよ。なのに、貴方はあっさりと殿下の名前を口にした」

 俺は俺でガガーリンから出来るだけ情報を引き出したいが……。


「察するに、南の人間とは思えない。今しがたの魔法にしてもそうです。私の虚をついて二人を狙うなんて……戦い慣れすぎている。北の人間であり、確かな殺しの教育を十分に受けた者――思いつく人間は、ファナの手のものですが……」


 ファナ・ドストルを守るものたち――それは嘗て、小獅子レオンの愛称を与えられたファナにちなんで小獅子の軍勢と呼ばれていた。

 それぐらいは俺も知っている。 

 

 ガガーリンは思案顔で。


「一時期は最大派閥を誇っていた小獅子レオンの軍勢は、既に大半が殺されました。僅かな残党は各地に散らばっているでしょうが、残党が私を狙うとは思えない。それに生き残りがいるならば、ファナを救いにサーキスタ王都へ駆けつけるでしょう。私たちの計略によって現在のファナは窮地に追い込まれていますから。あのファナが絶望している様子、早くこの目で見たいものです」


 言質げんちをとった。今の言葉で十分だ。ファナ・ドストルが置かれている状況は、ロメオ王子によるもの。そして実行者はロメオ王子の腹心、ガガーリン。


 解釈は余りにも簡単だった。

 ドストル帝国の王位継承争いが南へ波及し、サーキスタが舞台に選ばれた。ロメオ王子の目的は不明だが、こいつがいるってことは碌なことじゃない。


「貴方は誰ですか? なぜ、私の前に立っているのですか? どうして私の教え子を殺したのですか? ロメオ殿下に敵対する意味を、理解しているのですか?」

「聞きたいか」

是非ぜひ


 無詠唱の魔法使いノーワンドマスター同士の戦いはきっかけがない。

 俺たちは詠唱を必要とせず魔法を放てるからこそ、一対一の戦いにおいては、無詠唱の魔法使いノーワンドマスターは不敗と称される。


 だからこそ、こいつの余裕。

 落ち着き払った笑みは、自分が圧倒的強者である自覚から来ている。


「いいぜ、教えてやる。だが、一つだけ条件がある」

「条件ですか。よろしい、聞きましょう。何なりと、どうぞ」


 既にガガーリンの魔法は放たれている。

 俺との会話を始めた瞬間から、やつは気を伺っていた。


 南では忌み嫌われている闇の魔法。闇に精通した魔法使いが好んで使う魔法――南では浸透していない魔法技術は、魔法を相手に気づかせないことに特化していた。


 奴は会話の中で俺の反応を常に伺っていた。

 ガガーリンは無詠唱の魔法使いノーワンドマスターとして有能であるからこそ、俺へ近づけている魔法に細心の注意を払っていた。俺が気づくかどうかの一点を。


「その前に一ついいか。さっきから気になっていたんだが」


 奴は、俺が奴と同じ無詠唱の魔法使いノーワンドマスターであるなんて夢にも思っていない。俺を別陣営の殺し屋だと考えている。それもロメオ王子の兵士を容易く殺せる技量をもった魔法使い――だから、あのように距離をとっている。


「なんでしょう? 私に答えられる問いであれば答えましょう」


 警戒しているからこそ近づかない。盾となるサーキスタ兵士の到着を待っていた。兵士がやってきた瞬間、あいつは俺の周りに漂う魔法を具現化させ、発動させるだろう。

 だけど遅い、致命的だ――俺の目にはガガーリンが操作する闇の魔法がしっかりと見えているし、俺の魔法が準備を終える方が圧倒的に早い。

 

「クソ野郎、てめえ――がたけえよ」

 

 俺の言葉をきっかけに、あいつの身体は荒地に吸い付くように、まるで大地が逆さまになったかのように崩れ落ちた。崩れ落ちたガガーリンは愕然とした表情で、目を見開いた。


 

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