504豚 タイソン公の進軍

「――タイソン様! 先行させていた部隊がヒュージャック境界へ到着! 我らを阻む障害物のたぐいは一才、ありません!」


 大勢の男たちが森林地帯を進み、草原へ向かって進軍している。

 彼らは厚い鎧を身にまとい、鋼鉄の武器を手にしていた。足元には、落ち葉や枯れ枝が散乱していたが、それでも彼らは油断なく進んでいた。


「ヒュージャックを奪還した暁には、タイソン様が国王だ!」

「ならん、ならん。それはタイソン様のお考えと相反している! タイソン様はあくまでサーキスタの人間として――おい! 隊列を乱すな!」


 彼らが進むにつれ、森林の動物たちが驚いて逃げ出していく。しかし、彼らはその様子を気にも留めず、ただ前だけを見据えて進んでいた。

 タイソンの旗を掲げ、先頭に立つ指導者たちの指示に従って進んでいる。

 森林の空気は彼らの躍動感と情熱に満ちていた。

 その姿は美しくもあり、威厳に満ちあふれている。彼らはまるで大自然と一体化しているようにさえ見えた。


「見えた……見えたぞ! ヒュージャックだ! 森を抜ければ、ヒュージャック領土だ!」

「俺たちが奪い取れば、俺たちの領土となる!」


 そして、彼らはついに目的地に到着した。


「静まれ! 静まれ! まだモンスターに見つかってはならぬ!」


 森を抜ければ、草原の広がりに囲まれたヒュージャック国土。

 遠目にポツポツと見られる集落には全く人の気配が感じられず、ヒュージャックが捨てられた領土だという事実を如実に物語っていた。


「……」


 これから草木の香りと自然の音に包まれながら、彼らは、サーキスタ大貴族であるタイソンの兵は自分たちの使命を果たすために、一丸となって戦いを挑んでいくのだ。

 ――ヒュージャックを奪還するために。


「……」


 そうしてタイソン公は、自分の決断に付き従う大勢の戦士たちの姿を見た。誰もがこれから行うヒュージャック奪還――その行いに、正義を信じ、顔を輝かせている。


 これから、大勢が死ぬのだろう。

 だが誰も恐怖を感じている様子は見られず、血気盛んで士気も高い。気候も悪くなく、大戦に臨むにあたって、理想的な条件が揃っている。


「あの男は」

「タイソン様。あの男とは……」


 ガガーリンのことだ。

 突如ドストル帝国から現れて、現在はタイソン公の客として扱われている男。とても有能だが、腹の底を見せていない。ガガーリンがタイソン公の味方でないことは分かりきっているが、タイソン公はガガーリンを重宝していた。


「タイソン様。まさかガガーリンのやつ、この土壇場で裏切ったのでは……」

「いや、それはない。あの男が発案者だ。あの男こそがヒュージャックを求めている」


 利用し、利用される関係。それでもガガーリンは極めて有能だ。ガガーリンの治療の腕があれば、ヒュージャック奪還でモンスターに殺される部下が百人単位で助かるだろう。ドストル帝国では両手の指で数えられると豪語する医療の魔法使いの腕は伊達ではない。


 さらにガガーリンの情報は貴重であった。

 ヒュージャックを我が物顔で占領しているモンスターの情報を、ガガーリンは非常に詳しく知っていた。

 時には、たった数人で危険極まりないヒュージャック領内へ向かうこともあった。


 そして現在のヒュージャックを、南方各国が恐れて近寄らない生の情報を持ち帰るのだ。血だらけの姿となったガガーリンとその部下たちの姿は血気迫っていた。

 あれらの姿を幾度も見なければ、いくらタイソン公とは言え帝国の人間を信用しない


 ガガーリン曰く――ヒュージャックの全容は不明。

 まるで地下世界の迷宮が、地上に現れたかのようなモンスターの楽園。


 さらに地上では見かけることのないモンスターの姿を確認し、サーキスタ地下に存在する大迷宮と繋がっている可能性すらある、と。


「タイソン様。すぐに、迎えを送ります」

「そうしろ。あの男がいなければ、ヒュージャックで大勢の者が死ぬのだ。だが長くは待てぬぞ。我々がヒュージャックへ進軍したことはすぐに各国へ知れ渡る。特に、ダリスのエレノア女王は……既に気づいているかもしれぬな」


 タイソン公は、空を見上げた。


 もしもリオットが生きていれば、自らの行いを非難するだろうか。いや、リオットはヒュージャック奪還を事あるごとに進言していた。

 むしろ、リオットは悲しむだろう。何故、ヒュージャック奪還という、歴史に残るに違いない戦を前に自分がいないのかと。あれは、そういう男だった。


「……」


 そしてタイソン公は思い出した。

 リオット・タイソンは、取るに足らない一つの噂を信じていたことを。理由はわからない。なぜか、気になってしまった。

 現実として、ヒュージャック領土を前に心が鈍っているのか。

 タイソン公は心の中で自らを嘲った。もはや心動かされることはないと思っていたが、まだ決心が固まっていないとは。


「イングウェル、ここに」

「は」


 タイソン公は長年、自らに付き従ってきた腹心の部下を呼びつける。


「タイソン様。いかがされました」 


 歴戦を潜り抜けた猛者として名を馳せる隻腕の男は、緊張感を漲らせていた。

 

「…………いや、何でもない。お前は兵の中に先走る者がいないか、目を光らせておけ。個で戦うモンスター相手に、我らが上回る力は組織としての強さだ」


 草原の向こうにチラチラと見えるモンスターの姿。森の中に潜むこちらの存在が奴らに見抜かれれば、一気に戦闘となる。それはまずいことだ。


 タイソン軍勢は一つの槍となり、ヒュージャック中央の城に住まいを構えるモンスターの王を仕留めるのだ。傷つき、崩壊するだろうタイソン軍の中心では、ガガーリンと彼の部下にはその力を大いに奮ってもらわねば困る。


 だが、いつまでも待ち続けるわけにもいかない。タイソンの軍勢は力の捌け口を求め、見えるモンスターもただあの場に理由もなく留まっているわけではないのだ。


「は。タイソン様……いかがされました? 顔色が」

「詮索するな、イングウェル」

「は」


 ヒュージャック王家に生き残りがいるなど、考えるだけでも血の気が引いてしまう。


 タイソン公によるヒュージャック奪還は、亡国の王家が全滅している現実を前提として組まれている。それに王家の誰かが生きていたとして、未だ表舞台に現れない理由は、それを望んでいないからだ。ヒュージャックは、滅亡したのだ。

 確固たる事実は――何も変わらない。

 

「……」


 タイソン公は、視界に移るヒュージャックの現在を目に焼き付けながら――


「何をやっているガガーリン……」


 刻一刻と迫る猶予の中で――ドストル帝国の兵士を、待ち続けた。


 巨鯨の眠る城ホエール・キャッスルで何が起きているか、未だ彼らは何も知らず。既にガガーリンの翼がもがれているなど夢にも思わない。




――――――

お待たせしました。次話よりスロウ視点。

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