503豚 初手は譲ってくれるらしい

 俺がこの土地、サーキスタで出会いたくなかった敵がそこにいる。


「これはこれは。タイソン公に遅れて出陣しようと思ったら、思わぬ珍客が――今の魔法はそんじょそこらの魔法使いが対処できるようなものではないはずですが。そちらの従者、お前は誰ですか? 私の魔法に合わせるなんて。使?」


 巨鯨の眠る城ホエール・キャッスルから俺たちに向かって駆けてくる馬に乗った数騎。

 

 その先頭で、今まさにタイソン公を追いかけようとしている俺たちに向かって魔法を放ってきた男のことを俺はよく知っていた。

 

 




「へ! が、ガガーリン様! な、なぜ、俺を殺そうと! へへ! 冗談にしては、おっかないなあ! やめて下さいよ、へへ!」

 腰を抜かして落馬したギャリバーが大声を上げて、こちらへ近づいてくる者達へ叫んだ。その声は、先頭のガガーリンに向かっていることは明らかだった。ガガーリンはニタニタと笑いながら、杖の先をくるくると回している。


「か、勘違いっすよね? 今のは、その……冬の貴重な食い物の……兎かなんかを狙おうと……」


 ギャリバーの声は震えていた。


「俺はその……ただの雇われ騎士で……タイソン公の出陣に遅れちまったんで、今から急いで追いかけようと……ただそれだけで……へへ……へへっ…………」

 だけど、勿論ギャリバーも分かっている。

 ガガーリンの魔法によって、あいつは今、死にかけたのだとはっきりと感じ取っている筈だ。それも非常に殺傷力の強い魔法で、首を飛ばされかけたのだ。

 

「…………おい、ギャリバー。お前、あいつと知り合いなのか……」

 俺は別の意味で驚いていた。

 あれはガガーリンだ。ドストル帝国にいる強敵の中でも癖の強い男だ。

 荒事には向いていないその見た目に騙されてはいけない。ガガーリンはゆっくりと馬を歩かせ、俺たちに近づいてくる。ギャリバーの動揺は変わらない。


「が、ガガーリン様! 俺のこと、忘れましたか? ギャリバーですよ! 貴方に怪我を治してもらったことだってあったじゃないですか――そりゃあタイソン公の側にいる貴方のことだ、下っ端の俺のことなんか……」

 ああ。知り合いって言うよりも、一方的にギャリバーが知っているだけっぽいな。 

 今さっき自分が殺されたことを忘れ、媚びへつらうギャリバー。それはガガーリンとギャリバーの立場の違いを明確に現していた。

 俺は冷静に、ガガーリンがタイソン公の側近となっていた事実を頭の中で噛み砕いた。タイソン公の側近、それはサーキスタの中でも一際大きな権力の持ち主であることを意味する。

 ……確かにガガーリンの能力なら、権力者に近寄ることも容易だろう。特にガガーリンの水の魔法を用いた能力は、サーキスタで大いなる尊敬を集めることだろう。


「黙りなさい」

 ガガーリンが冷たい目で再び魔法を放つ。今度は俺が助ける必要もなかった。

 

「……クソ!」

 ギャリバーは杖を剣のように抜いて、降りかかる魔法を一刀両断。


「クソが。下手な芝居させやがって、ドストルの狂犬……ついに本性見せやがったな…………」

 ガガーリンは俺たちと一定の距離をとり、騎乗したまま止まっている。俺はガガーリンが連れている数人の連中を見て、ひとまずアレがいないことにホッとした。ガガーリン自体も優れた魔法使いだが、あいつには凶悪すぎる部下が一人存在する。


「本性なんて……お互い様でしょう。ギャリバー・ブラックエン、こちらが気づいていないと思いましたか? 貴方がエデン王の手先であることは、タイソン公をはじめ周知の事実でありました。いつ命を取っても良かったのですが、タイソン公の慈悲に感謝なさい」

「なんで俺が、あの反乱野郎に感謝しなければいけねえんだよ……」

 怒りを現すギャリバー。


「タイソン公は貴方が尻尾を丸めてエデン王の元へ帰ることを期待していたのですよ。行動を起こす前に、予兆は幾らでもあったでしょう? タイソン公は常にエデン王に対して不満を抱えていた」

「ガガーリン……てめえがドストル帝国からやってきたから、タイソン公は人を寄せ付けなくなった。てめえの仕業だろうが……」


 だめだ、ギャリバー。

 あの男と会話を続けては行けない。ガガーリンが引き連れている部下だろう連中が、少しずつ下がっている。その理由は明白だ。


「見解の相違というやつですか。私はただ、タイソン公の内に秘める闘志をそっと押して揚げただけ。それでギャリバー・ブラックエン。逃げないということは……私と戦う、そう理解してもよろしいので?」

 

 俺と同じ無詠唱の魔法使いは――既に魔法を解き放っている。

 特別な目を持つ俺が空を見れば――空色と同化した透明の巨大な魔法陣が幾重にも刻まれ、いや、今もその数は増えている。今度は確実にギャリバーを、そして俺を殺すために。

 ガガーリンはギャリバーを会話をしながら空に魔法陣を描いていた。


「あたりめえだ! ガガーリン! てめえがタイソン公を追いかけるっていうなら、止めるのがエデン王の目である俺の役目だ! 勿論、俺だけじゃてめえに殺されるってのは百も承知だ! だが、今の俺には頼りになる相方がいるんでなあ!」


 ギャリバーがちらりと俺を横目で見た。

 なんとも情けない口上だ。でも、それが俺の役目だろう。それにガガーリンがサーキスタにいると知った時点で、あいつと戦わない選択肢はないのだ。


「なるほど、ギャリバー・ブラックエン。どこから味方を得たのか分かりませんが、多少は骨のある相手を連れてきたようだ。少しだけ……楽しみですよ。タイソン公が動き出した今、もはや振る舞いを抑える必要もない。巨鯨の眠る城ホエール・キャッスルへのお別れも兼ねて、盛大にやってやりましょうか」


 ガガーリンが本来の無詠唱の魔法使いの戦い方で、空へ魔法陣を刻んでいく。

 だけど、こちらもまた同じくであった。


 ガガーリンを上回る速さで、俺もまた魔法陣を空へ展開させていた。無詠唱の魔法使いノーワンドマスターと戦うのは、滅多にあることではない。


「顔の見えない兵士さん。いつでも、いいですよ。私の準備は終わっていますので、初手は譲ってあげましょう。さあ、おいでなさい?」


 それにガガーリンを相手に出し惜しみなんてあり得なかった。

 ――奴を必ず、この場で叩く。そして奴から全ての情報を引き抜いてやる。

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