488豚 お菓子の記憶
「……死なせて」
このままではいけないと思いつつも、どうしようもない気持ちになる。
「……死なせてよ」
なぜ、私だけがこんな目に遭わなければならないのか。この苦しみを理解できる人は誰もいない。彼女はただ一人、独り言を呟きながら、絶望に打ちひしがれていた。
――外から、激しい戦闘の音が聞こえてくるまでは。
「…………?」
ファナは窓の外を確認しようとして、硬い床にドサッと倒れる。
その衝撃で空っぽの胃袋がずきりと痛み、ファナは目に涙を浮かべた。心の真ん中で無力さと孤独を感じている。サーキスタでの食事は毒の混入を恐れ、必要最低限に留めていた。
晩餐会からの逃亡後は、何も口に入れていないのだ。生きる意志が失われつつあるファナの身体には、もはや食べ物は求める意志も小さくなっていた。
「……」
服の下に隠された骨ばった手足はすっかり力を失い、体を起こすのもやっとの状態。かつては活気に満ち溢れていた少女は、今では青白く弱々しく、かつての面影はない。
「……甘いお菓子、リンゴ、プラム」
果物は甘いお菓子で、生で食べたり、特にばあやが作ってくれたスパイスと砂糖を混ぜたお菓子はサクサクとした食感と甘みがあり絶品だった。
「……」
床は硬いが、空腹で感覚が麻痺しているのか、体の痛みは感じないようだ。空腹に耐えながら、最後に食べた食事と、心の中の空虚さを思い浮かべる。
このまま消えてしまえば、二度と空腹や痛みを感じることがないようにと願う。
「……クッキー、蜂蜜たっぷりのハニーケーキ、フルーティータルト」
バター風味の生地に甘く煮詰めたフルーツを詰めたタルト、あれは特別な日にしか味わえない贅沢なお菓子だった。
「……フルーツの砂糖漬け」
新鮮なフルーツをシュガーシロップでコーティングしたもので、甘くてサクサクした食感が仲間の中でもとても人気だった。
全てがもう記憶のなかのもので、あの日々はもう帰ってこない。
「…………」
スロウ・デニングは知るよしもないが、彼こそがファナの希望であった。
会ったこともない人間に頼ってしまうほど、彼女は追い詰められていた。ファナ・ドストルの生きてきた道は、汚れの知らぬ王道だ。
そんな彼女が素性の知らぬ誰かに己の身を任せるなんて真似なんて考えられなかった。
ファナの首には、莫大な報奨金がかけられている。
それは嘗てスロウ・デニングにかけられていたものと比較にならず。ファナの首は取ったものには北方の巨城と貴族の爵位が与えられる。城は既に殺されたファナの支援者のもので、褒章の大きさはファナの兄弟たちが、どれだけ彼女を危険視しているかに他ならず。
「……」
――音が大きくなっていく。
ぶつかり合う武器の音と叫ぶ戦士の声。
「そろそろ見つかるとは思っていたけれど……」
――どこの誰と誰だろう?
この土地にはファナの敵しかいないはずだが……仲間割れ? 誰もが求めるファナ・ドストルの首に掛けられた名誉と金のために、仲間同士で争っているのか。
その音量は徐々に大きく、激しくなっていく。
行進する兵士の足下で大地が震え、鎧や武器の音が空中に響き渡る。
騒ぎの原因、それが自分にとって何を意味するのか。
――それは、間違いなく終わりの足音なのだろう。
金属と金属がぶつかり合う音、盾や武器の衝撃、負傷者の叫び声。汗と血と煙のにおいが、戦いの激化とともに空気中に血の匂いが充満してゆく。
「でも……勝者が私を手に入れるって結末は変わらないわけね」
もはやファナには抵抗する気なんてなかった。煮るなり、焼くなりしてくれ、と。それはファナの年齢からすると、早すぎる諦観だった。
彼女の波瀾万丈な人生が、年齢に見合わない精神年齢を作り上げていた。
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