486豚 絶望して死んでいく

「……はあ」


 時々、世界は自分に対して厳しすぎると思うことがあった。

 それは生まれた場所が寒すぎることに対した皮肉でもあったし、自分の想いとは裏腹に生まれ落ちた瞬間に与えられた才能に対する自虐でもあった。


「……あの夜、終わってもいいと思ったのに」


 彼女、ファナ・ドストルはサーキスタ市街地の古民家に忍び込んで、街中の様子を伺っていた。二階の窓から見える光景は、北方と変わらず自分の存在を呪っているように思えた。


「……私は、旅の終わりを望んでいたのよ」


 遠すぎる北の大地にて。今も拘束されているのだろうあの方の言葉に従い、幾つもの壁や困難を越えて、南の土地へやってきた。

 訪れたサーキスタの地は、既にドストル帝国の権力者の一人によって支配されていた。

 権力者の敵であるファナはサーキスタから逃げることが出来ず、そして――。


「勝手に助けて、勝手に死ぬって。最悪じゃない……」


 ――あいつに、生かされてしまった。

 ――憎む人間に、助けられてしまった。

 ――そして憎むべき人は、もういない。

 

 窓辺に座り、黄昏れるファナ・ドストル。

 その心中は困惑と怒り、そして絶望に彩られていた。


「……勝手に命を捨てられて、私は生き残った。けれど、それって余りに勝手。私はもう、あそこで終わってもいいと思っていたのに……」

 

 あの夜。

 血塗られた晩餐会から逃げ出す直前に、スロウ・デニングから与えられた言葉。


 ――


 あの男は助ける理由すらファナ・ドストルに与えず、代わりに呪いの言葉を吐いたのだ。


「助けるって……死んだって話じゃない………」

 

 そうなのだ。彼は、あっさりと死んでしまった。


 ファナ・ドストルを正当なる帝国王位の継承者と祭り上げた者達と同じように。

 彼らが最後の瞬間に吐いた言葉も、スロウ・デニングと同じものだった。


 皆が口々に、諦めないでと言い残しながら息を引き取った。残されたファナ・ドストルはその言葉を頼りにこれまで戦い続けた。

 ファナの陣営は痩せ細り、最後の一人になるまで戦い続けた。ドストル帝国の中で、幾つもの勢力から結託され、集中放火を受けた小獅子の軍勢は壊滅した。


 そして最後の味方になり得る人物――闇の大精霊が南に行けとファナへ命令を下し、騎士国家ダリスのスロウ・デニングはファナ・ドストルの大駒になり得ると伝えた。

 時折、闇の大精霊は理解出来ない予言めいた言葉を言い残す。


 大陸で最も古き歴史を持つドストルを支配続けた超常の存在。

 大陸で唯一、精霊によって支配され、最も強大であり続けた国の指導者。彼女の言葉はファナにとって絶対だった。

 だから、ドストルの小獅子は南下を決断。南へ活路を見出した彼女の行動は、敵前逃亡と謗りを受けた。


「……勝手な人、だったのね。理由も語らず、助けられた私はどうすればいいの?」


 皮肉めいた運命だ。

 闇の大精霊の凋落を招いたスロウ・デニングが、最後の希望とは。


 しかし、悲しくもそれが最後の希望だった。

 もはやファナ・ドストルには、ドストル帝国の大陸統一という悲願を食い止める力も、その意志さえも残っていない。


「私はもう、この小さな街サーキスタで、兄上が送り込んだ狂信者と戦う気概は残っていないわ……」


 ファナ・ドストルが欲した最後の希望。

 大陸北方を支配するドストル王位後継者の一人、小獅子ファナの手となる可能性、騎士国家の少年スロウ・デニングは死んでしまったのだから。

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