476豚 一方、ダリスにて

 重たい樫の木で出来た扉を開けると、建物の中から騒々しい音が耳に響いた。

 週末の夕暮れとあって、随分と繁盛しているようだ。白マントの登場とあって一瞬がピリッとした空気が流れる。特権階級である王室騎士ロイヤルナイトがこのような店に来ることはないからだ。


「――おお! 一番槍の騎士サー・ペンドラゴンに乾杯! 侯爵家の落とし子様が登場だ!」


 だが、店内にやってきた騎士がセピスだとわかると、市民たちは歓声を上げた。


「セピス殿は騎士国家ダリス! 馬上槍試合における至高の騎士チャンピオンだぞ!」

 

 シューヤ・ニュケルンの先輩騎士はペンドラゴン侯爵家の人間で、通常貴族と平民の間には壁があるものだ。シューヤのように男爵家といった格の低い貴族であれば、まだ市民との距離は近しいがセピス・ペンドラゴンは侯爵家。


 あのデニングには及ばないが国内でも屈指の大貴族である。

 だから歓迎ぶりはシューヤの常識の外に合った。これだけ人気がある王室騎士と言えば、花の騎士サー・オリバーぐらいのものだが。


「私は意外と平民から人気があるようだ。私が正統なペンドラゴン家の嫡子ではなく、庶子であることによるところが大きいが」

「……え」


 シューヤは目を丸くして目の前の背中を見た。

 庶子――それは正統なるペンドラゴン侯爵家の血を受け継ぐものでない証だった。


「今更ながら、どうして私がお前の指導に選ばれたか理解した。付いてこい、シューヤ」




 貴族と愛人の子供である庶子が王室騎士になれるとシューヤは考えていなかった。

 騎士国家にとっての王室騎士は、地方領主の貴族に忠誠を尽くす騎士とは異なり、輝かしいダリス王室に忠誠を使うものだ。実力だけでなく血の尊さが必要となる。


 店内の奥に設けられた四人掛けのテーブルにて、赤髪の新米騎士は容貌整った騎士と向かい合った。店働きの少年が持ってきたエールが二杯、机の上に置かれる。

 少年は白マントを羽織る二人をキラキラとした目で見つめていた。


乾杯チェアーズ

乾杯チェアーズ……」


 グラスとグラスをぶつけ、セピス・ペンドラゴンはエールを飲み干した。彼は給仕の少年へさらに二杯のエールを要求し、語った。


「クルッシュ魔法学園で私たちは働き続けた。昼夜問わず、魔力を失い意志を失う限界まで学園のために尽くしている。確かにお前が、これが名誉ある王室騎士としての仕事なのかと疑問を持つのも無理はないが……少しぐらいの休憩は許されると思わないか?」


 優雅な振る舞いはどの国へ出しても問題のないダリス大貴族そのものだが、初めてシューヤは先輩騎士へ親近感を持った。

 何人もの酔っ払い連中を適当にあしらう先輩騎士の姿を見て、セピスは今、決して他の同僚には見せない姿を見せていると感じられたからだ。それにシューヤはクルッシュ魔法学園では何人もの平民の友人がおり、貴族や平民といった階級の差に頓着しない性格でもあったことが大きいだろう。


「俺、セピスさんは……」

「一度でも私が栄誉あるペンドラゴン侯爵家の血を引いていると言ったか? 半分は流れているが、私はただの庶子だ。身体に流れる血の尊さにおいてはシューヤ・ニュケルン、お前は私よりも遥かに王室騎士として相応しいのだ」


 セピス・ペンドラゴンは嫡子だと思っていた。

 庶子としての立場を考えれば、貴族としての格はシューヤ・ニュケルンが上である。


「お前は気づかないだろうが、庶子として生まれた私は王室騎士団ロイヤルナイツでも疎まれている。その点で言えば私たちは特殊なペア……まあ、お前の中にいる化け物の存在を知るものは王室騎士団でも少ないがな」


 シューヤは一杯目のエールに口をつけて、半分を一気に喉へ流し込んだ。身体にこびりついていた怒りとは違う温かみが体内に広がってゆく。いつもならエールを三杯も飲めば酔っ払ってしまうが、今日ばかりは何杯流し込んでも酔う気配は感じられなかった。

 ――今のところ、だが。


「セピスさんはいつだって冷静ですね……あいつがサーキスタでとんでもない事件を引き起こしたってのに……」


 思わず小声になり、周りを見渡した。

 王室騎士として与えられた情報は、未だ市民への間では噂程度のものだった。先ほどから大胆不敵な平民が数名、サーキスタでスロウ・デニングが死んだ噂が本当か尋ねてきたが、そのような噂は聞いたことがないと二人は返している。


「ああ、将来はスロウ・デニングの乱とでも呼ばれるだろう。公爵家デニングの若殿はしでかした行いが大きく南方各国の未来を変えるに違いない」

「……」


 サーキスタでは天地を揺るがす暴動が起きている。

 全ての発端はシューヤ・ニュケルンもよく知るスロウ・デニングだ。彼らは今までの豚公爵としての逸話を軽く吹き飛ばしてしまうぐらいの大事件を他国で引き起こしてしまったのだ。それなのに自分達は街中でエールを楽しんでいる。

 これから――戦争になるかもしれないのに。


「人は彼を傍迷惑な振る舞いを続けた稀代の馬鹿者なんて語るだろうが……けれど、私は騎士国家は稀有な人材を失ってしまったとも思うのだ。スロウ・デニングは確かに理解することが難しい異端な思考回路の持ち主だが……」


 セピス・ペンドラゴンはさらにエールを一杯、飲み干した。若干、顔が赤くなっているが、シューヤの見間違いではないだろう。


「私が若君と実際にお会いした機会は数少ないが、思えば、私は公爵家の若君からは敵視されていたようにも思う。彼が私を見る目には常に、疑心が付き纏っていた」

 

 彼はスロウ・デニングが未来を変えなければ裏切りの守護騎士プリンス・スレイヤーとして世界に名前を馳せた男だ。


 本来の未来では、騎士国家の国家武装である光の付与剣エンチャントソードを奪い、ドストル帝国に寝返った狂気の男。

 彼の刃によって騎士国家に仕える大勢の騎士が討ち取られた。


「今思えば、若殿は私の二心を見抜いていたのかもしれない。ダリスとドストル帝国、二国のどちらかを取るか――」


 何でもない雑談かのように語られる言葉だが、シューヤは呆気に取られた。


「……待ってください。セピスさん、何を――」

「聞け、シューヤ。私も此度こたび、若殿が起こした行動で切羽詰まっている者の一人だ。私のような庶子には……裏切りが付き纏うと歴史が物語っている。嘆かわしい話だが、私は一度、敵の言葉に心が傾いたことを認めねばならない。奴らの行動は巧みで……言葉は甘い蜜のように滑らかだ」


 アニメの中では、セピス・ペンドラゴンに近づくドストル帝国の人間がいた。ダリスを裏切り、ドストル帝国の軍門に降れと甘い言葉で唆す者達がいた。そしてアニメの中で、セピスは栄達を望めない故郷での未来を諦め、北方で与えられる高い地位に未来を見た。


「北方の闇へ近づいてしまった私だから分かる真実もある。恐らくサーキスタは……あの国を統治するエデン王すら気づかぬまま、ドストル帝国の人間が望むように――いや、もっと端的に言おう。再びドストル帝国の人間が私に接触し、語った言葉がある――」


 別の世界線で故郷を裏切った騎士サー・ペンドラゴンは一呼吸置いて。


「――南方崩壊の兆しは、あの清廉な街サーキスタから始まるらしい」

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