472豚 黒ずんだ砦城の貴公子

 腰を下げてベッドを降り、あの男から見えないように静かに移動した。


「俺たちは水面を走る飛魚スカイフィッシュの群れだ! 一度でも号令がかかれば、何が相手でも食らいつく! 俺たちはどのような卑劣な狙いでも打ち砕く硬い鱗を持っているのだから!」


 奴はすっかり出来上がっている。顔は茹蛸のように真っ赤だ。

 素晴らしいことにこちらに気付く様子は全くない。

 

 俺は酔っ払ったあいつの声を音楽に、しばらくは体力の回復を優先させることとした。


 各国や有力な貴族はそれぞれの国家、家を現す紋章を持ち、紋章は旗に刻まれる。サーキスタの場合、旗印に刻まれた紋章は水色の下地を跳ねる二匹の鱒。

 俺も子供の頃は国内の有力な貴族たちの旗印を覚えさせられたものだよ。だけど、各国や貴族の旗印を知ることは貴族として生きるなら必要なこと。

 俺みたいに他国の貴族の紋章まで知っている者は珍しいだろうが。


「俺たちはいつまでも水中に隠れる鱒じゃねえって教えてやるッ! おい、お前らを殺したあの娘を俺は絶対に許さねえぞ!」


 熱い決意表明どうもありがとう。でも、俺が聞きたいのはそういった類の情報じゃないんだ。出来れば……そうだな。小さな視点でいえば俺がいる場所とか、あれから何が起きたかとか。もっと大きな視点で考えれば、サーキスタに対するダリスの反応とか。


 正直――知るのも怖いが、ダリスはサーキスタで罪を犯した俺のことをどのように扱っている? ……うん。だめだ。想像するだけで、お腹の奥が痛くなる。


「何百人の兵があいつを探してるんだ! じきに見つかる! 俺がこの手であの娘を捕まえたら――生まれてきたことを後悔するぐらいの苦しみを与えてやるぞッ!」


 そんなことは、俺が絶対にさせないけどな。

 俺は身体をずらしベッドの側面を背に一息ついた。

 あいつから与えられた僅かな情報だけど、頭の中を整理する。


 ……まずいな。非常にまずい事態だといえる。無事にファナ・ドストルはあの場から逃げ出せたようだが、あいつは言った。何百人が彼女を探している……か。


 あの子は帝国の正当な王位継承者。サーキスタの兵士に彼女をどうにか出来るとは思えないが……心配なのは、彼女が大陸南方の人間に失望を覚えることだ。

 ファナ・ドストルの性格を俺はよく知っている。


 一度だって人間から攻撃された野良猫が人に懐くことは決して無い。

 アニメの中でもあの子が心を開いたのはシューヤただ一人だった。


「逃げられたことは癪だが、湖の騎士殿があの娘を助けようとしたスロウ・デニングを殺したことは……胸がスッとするぜ……あの野郎、ザマあってもんだ! 何でもかんでも自分の思い通りになると思ったら大間違いだぜ! ザマあねえな、大貴族デニングの坊ちゃん!」


 残念。生きてるってば。

 俺が生き返ったとあいつが知れば、どれだけ驚いた顔を見せてくれるか。

 それはもう少し後にとっておこう。

 

 ――まだ心臓を掴まれているような違和感は継続中。

 でも手の先までじんわりとした温かみが生まれ、白かった皮膚に柔らかな赤色が見える。

 全身に血が巡り、俺の見せる世界に僅かだが色が戻ってくる。視界には幾つもの精霊の姿だって見えた。


 よし……魔法は……使えなくはないな。

 体力はまだ戻らないが、多少なら無理も効く。

 けれど激しい戦闘は……やめて起こう。湖の騎士エクスが俺を仮死状態とするために何をしたのか……俺はまだ完全に理解出来ていないんだから。


「うしッ!」


 ギクリとした。何かと思えば、あいつが両手を合わせて、パチンと音を立てた。

 あの野郎……驚かせやがって……。

 

「これからでっかい戦いが起こるんだ! 俺だって成り上がってやるぞ……腕が鳴るぜ……俺が世界を変えてやる……! ふう、ふう……俺はやれば出来る男だ……ばあちゃんも、そう言ってた……俺は……頑張ればやれる子だってな……!」


 考えろスロウ・デニング。今の俺は、何を優先すべきだ。

 

 ……サーキスタという国を思い出せ。この国のどこに誰がいて、今の状況で誰が俺の味方となってくれるか。国土でみればダリスよりも広いサーキスタ。サーキスタの平民たちが神々の湖ゴッドレイクと呼ぶ巨大な湖近傍、サーキスタ王都ど真ん中だ。巻き込むつもりはなかったが、今この地には誰がいる?

  

 <鍛冶屋のヤト>は却下。シューヤに対して好意的だったあの若者は、アリシアを袖にしたスロウ・デニングを助けるとは思えない。俺が生きていると知れば、即座に兵士へ通報するだろう。

 <水巫女のミメイ>も却下。ヤトと同一の理由だ。それにあいつは大貴族に偏見を持っている。さらにアリシアに心酔するあいつが俺に協力するとは到底思えない。俺を見かけたら、魔法をぶっ放して来るだろう。

 <王子のグイン>も却下。あいつはエデン王には逆らえない。その他の人間も、却下。却下。却下。却下。却下。却下。却下……却下!


「やれる……やれる……俺は、やれば出来る男だろギャリバー! ばあちゃんも、じいちゃんだって言ってただろ! 俺には湖の騎士ブルーバードとなった男の血が流れてるってッ!」


 却下……却下。<ライアー老>なんてアニメじゃ賢人だったけど、今は賢人の面影もない! エデン王側で俺を殺そうした爺さんだぞ却下! 孫を殺されたって怒るあの顔を思い出すだけで寒気が走る! その他の奴らも却下、却下却下却下ッ!!

 ……。

 …………。

 そうだ、忘れてたブヒイ……俺って、人望ないんだったブヒイ。


「俺だって、貴公子プリンス! サーキスタ東部の密林を守護せし<黒ずんだ砦城ブラックエン・キャッスル>の貴公子プリンス、ギャリバーなんだ!」


 ていうかさ!

 さっきからうるせえなあ!!! サーキスタ貴族さんよお!




――――—――――――――――――――――

サーキスタ編の仲間が冒険者一人を除いて出揃いました。

冴えない魔法使いギャリバーと湖の騎士エクス。そしてスロウが死んだと勘違いするシャーロットとアリシア一行を中心に話が進みます。サーキスタ編は今後始まるドストル帝国との戦いに向けた、小さな前哨戦となります。ちなみにドストル帝国の総力を100とすればサーキスタは7、騎士国家ダリスは13ぐらい。

今のサーキスタには、ドストル帝国の3.3程度が潜んでいます。


■今後のための簡単なキャラ人物紹介

黒ずんだ砦城ブラックエン・キャッスル>の貴公子、ギャリバー:単純で愚鈍な魔法使い。実力以上の立身出世を望むが、空回りばかり。スロウを出世のための道具として利用するが、逆にこき使われる羽目に。

湖の騎士エクス:全てを諦めた中年騎士。スロウより強い力を持つが、強大な力にはリスクあり。諦めた恋のために奮闘する姿はアリシアをも呆然とさせる。

特A級冒険者リンカーン:サーキスタ大迷宮で問題を起こし、牢獄へ幽閉中。サーキスタ王国に奪われた火炎浄炎アークフレアを取り戻すためにスロウへ協力。


※今年もよろしくお願いします。ペンネーム変更はもうちょっと先になりそうで、これから先は力尽きるまで週に3~4回更新の予定です。文字数が少ない場合はお許しを!


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