470豚 胸の痛み
胸から広がる痛みに呻きながら、息を整える必要があった。
自分が何日眠っていたのか、この薄汚れた死体安置所の外で何が起きているのか、圧倒的に情報が不足している。
だけど、今は。少しだけあの男に感謝しなければならないだろう。
湖の騎士エクスは、俺の言う通りに動いてくれた。
俺の心臓が鼓動を続け、身体に温かみが戻りつつあることが何よりの証拠だ。
「水の魔法を極めれば、死の疑似体験まで軽々か……」
少なくとも水の魔法分野では、湖の騎士は俺の遥か先を行っている。
まあ、それぐらい出来なければ、サーキスタ最強の騎士なんて呼ばれないか。
湖の騎士エクスは剣で俺の身体を貫き、心臓を刃で穿った。
あの場にいた誰もが俺の死を確信し、エクスへ賞賛の声を届けていた。
さすが湖の騎士エクス、と。サーキスタの守護者からすれば、ダリスの龍殺しさえ敵ではないと。
だが実際のところ、あいつの刃は心臓を僅かに逸れていた。
そして俺の体内を通過した剣は、急速な冷気を持って俺の身体から熱を奪った。
“痛いぞ、スロウ・デニング。一時的な仮死を与える”
「馬鹿野郎……こいつは痛い、なんて言葉に出来るものじゃねえって……」
固いベッドの上から身体を起こし、床に立つ。たったそれだけの動作で、口から大量の血が漏れた。熱を失った俺の身体へ、徐々にだが温かみが戻り始める。
それは俺の体内に埋め込まれたエクスの魔法が解けた証。
あああああああああ、それでも痛え!!!!!
正直に言えば、正気を失いそうだった。
あの場でエクスが持つ剣の鋭い切っ先で身体をぶち抜かれた時よりも、今の方が遥かに痛い。あの時は即座に意識を失ったから。この辛さは、まるで心臓を誰かに握り潰されているかのよう。
ベッドの縁に座り、静かに、身体が動きに耐えうるまで待ち続けた。
明かりのない真っ暗闇の空間。
闇に慣れた俺の目が、この場所は死体安置所だと教えてくれる。
十数人もの騎士たちは名誉の死として腐敗防止の魔法をかけられ、身体には騎士の証であるマントが掛けられている。
「我慢しろ……この痛みが、生きているってことだろ……」
不揃いの動悸を繰り返す、胸を抑えた。
「……名誉の負傷。そう思ってるのは、俺だけだろうな……」
シャツの胸元を手で広げると、左胸に生々しい傷跡。
後でサーキスタの連中は俺の身体をダリスへ返却するだろう。少なくともサーキスタのお偉いさん達は最低限、見られる身体にしてくれたらしい。
もし俺がサーキスタの兵士を一人でも殺していれば、首を飛ばされていただろう。
サーキスタという国は、借りを返す国だからだ。
シャツをたくし上げて、右手を湖の騎士に刺された左胸に当てる。水の魔法は癒しの力を持ち、少しでもこの痛みから逃れるのなら俺が使える最大のヒールを使ってもよかった。
だけど、俺は俺でこれから先で大仕事がある。
寝起きに力を使いすぎて良いことなんて一つもない。ヒールを使用せず、しばらくはズキズキと心臓を直接握り潰されるようなこの痛みと付き合うとする。
「……お腹の減り具合からすると、ニ日、いや三日は経ったか?」
サーキスタの湖の騎士が、ダリスのスロウ・デニングを殺した。
この事実はとてつもなく大きい。例え数日であっても、大陸南方各国の関係は激変する。腐っても俺は
少なくとも、どんな事情があろうとダリスとサーキスタの関係は絶望的。
だけどサーキスタの人間からすると俺はドストル帝国の犯罪者を守ろうとした大罪人だ。湖の騎士が俺を殺さなければ、激しい拷問に合っていても可笑しくはなかった。
指の一本や二本は軽く無くなっていただろう。
「まさか
けれど風の大精霊さんは騎士国家を仮宿に選んでしまった。シャーロットへの愛情は変わらないが、独り立ちの時期がきたとシャーロットをサーキスタへ送り出した。
大精霊であるあいつの心を読むなんて、ただの人間である俺には到底、不可能。
ただ俺とシャーロットは大精霊さんという最強のカードを失った。あいつなら俺が死んだと聞いてどう思うだろうか。きっと何も思わない。大精霊とは、そういう生き物だ。
今、この広い世界で、俺が生きていると知る者は俺を除くとたった一人。
現時点で
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