【外交官ナーゲラス視点】458豚 ファナの言葉

 ファナ殿下の言葉に暖かな拍手が広がっていく。


「この場にお集まりの皆様。あなた方の顔を見るだけで、私の祖国が、ドストル帝国が、どのように思われているかよく理解しましたわ。ふふ、嫌われているみたいです。無理もないですけど」


 さらにこの大舞台で、冗談も言える度胸の強さがある。

 騎士国家の次代女王、カリーナ・リトル・ダリスがあの年代だったころ、同じように人前で堂々と挨拶が出来ただろうかと、不意にナーゲラスは祖国の姫の姿を思い出した。

 不敬だろうが……今も無理だろう。枢機卿が溺愛するカリーナ殿下のそのような姿を、ナーゲラスは想像することも出来なかった。 

 

 歓待の宴は過ぎ去り、今や誰もが彼女の言葉を待ち望んでいる。


「ドストル帝国から南に向かう道すがら、目に入る全てが輝いて見えました。私にとって、生まれて初めての旅路でありました。見るもの全てが、麗しく、南方に足を踏み入れたその時から――」


 そう語るファナ殿下は、旅の思い出に浸っているようだった。

 彼女の姿は決して弱さを見せない凍てつく氷のようだ、そう思っていた自分をナーゲラスは殴り倒したい衝動にかられた。


 いくら超大国の姫とはいえ、ファナ殿下は年頃の娘なのだ。

 このように大勢の大人に見つめられれば、戸惑いや恐怖を感じることもあるだろう。それでも、ああやってドストル帝国の姫として役目を演じている。


 一人の少女の言葉に、厳かな身なりに身を包んだ者たちが飲み込まれていた。

 それはカリスマというものだろうか。


 彼女はただの小娘にあらず。ドストルの姫だ。

 その一挙一動には息を飲んで注目する価値がある。


 ――平和、素晴らしいことだ。


 一体、誰がドストル帝国との敵対を望むだろうか。

 騎士国家ダリスは南方の大国だが、どれだけ血気盛んな若者でもドストル帝国と戦おうなんて、夢にも思わない。


 ドストル帝国に見識が深い学者は誰もが口を揃えて語るだろう。

 あの国は、北方にて猛威を振るった巨人族ジャイアントを筆頭に、恐ろしいモンスターを駆逐して国家を建国した一族の末裔――生粋の戦闘民族と戦うなんて、馬鹿げている。


 彼女の言葉を聞き、今宵は枕を高くしてぐっすりと眠れる。

 そう考える者の数はさぞや多いだろうと、ナーゲラスは胸を撫で下ろした。


「サーキスタ、万歳ッ! ドストル帝国、万歳! 平和、来たるだ!」


 この場に占める過半数の大人はサーキスタ貴族。だが、今宵ばかりはサーキスタに花を持たせてやってもいいのだろうとナーゲラスは思うのだ。


 ドストル帝国の要人を南方に呼び寄せ、大勢の前で平和を宣言してみせたのだ。

 ドストル帝国の姫が、争いは無用と語ったのだ。大陸を南北に分ける分断された時代は終わりを告げ、歴史的瞬間、新たな時代の幕開けが始まるのだろう。




 ナーゲラスは、街に戻れば即座に祖国ダリスへ使いを出すつもりであった。

 マルディーニ枢機卿、あなたの心配は杞憂でありましたぞと、祖国で絶大な権力を振るう恐ろしい上司に伝えなければ――。


 あなたが懸念していたスロウ・デニングは……あれ?

 姿が見えない、さっきまではあそこに……いた筈だが。 


 舞踏会の間、スロウ・デニングから目を離すなと枢機卿に厳命されていたのだが……しかし、誰かに見られているわけでもない。

 これぐらいは失態の内にも入らないだろう。

 ナーゲラスは視線の先から、大勢が待つ社交場に降りてこようとするファナ殿下を見つめ続けた。ナーゲラスもまた、頭を切り替える。

 彼女に――自らの顔を、騎士国家ダリスという南方の大国を売り込もうかと。

  

「――小娘の言葉に騙されてはなりませんぞッ! あの娘、ファナ・ドストルは、悪魔の化身だ! 聞こえが良い言葉の先には、破滅が待っているッ!」


 彼女ファナ・ドストルの周りを取り囲む青い外套、サーキスタの武装兵が現れるまでは、ナーゲラスの胸中は確かな未来に胸を躍らせていたのだ。



―――――――――――――

スロウの血圧はぐんぐんぐんぐん上昇中。

爆発の時が、近くなってきました。

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